見出し画像

【海外で子育て】チャレンジする自分の背中を魅せる親でいこう! | vol.1

6年も前にnote始めようとした僕がいたようで、さてさて、それはいつ頃で、僕は一体何を書こうとしていたのかと、今さらながらに読み返して気がついたことがありまして。

「なんだ俺、移住した頃にこんなこと書こうとしてたんだ…」と。

そうなんです。
2018年4月、「家族4人+ワンちゃん1匹」という極々標準的な日本人家族の僕らは、それまで慣れ親しんで暮らしてきた日本を飛び出し、一人の知り合いもいない、当時日本ではほぼ無名であった(今もか)南国タイの隠れ家的ビーチリゾートの街に移住しちゃったんですよね。

そんな頃に「シンプルでええやんnote🎵」と思って始めたみたいだけど、たぶん何書こうか考えてるうちにめんどくさくなって、自己紹介的なことも書くことなくほったらかしにしてたっぽいので(いや、続かなかっただけなんだけどね)、ついつい改めて書いてみようかと思っちゃったんだよね…

「心の声 by 俺」より

あらためまして、みなさん初めまして。
すでにフォローしてくださってる方、いつもありがとうございます。

なんとなくテーマが定まってきたような気がするので(6年かかったのか?)そんな気がしてる今のうちに(いつ気が変わるとも限らないので)そろそろと始めることにしました。

このシリーズでは(シリーズにするの!?)そうですね、なんでどうしてどうやったら海外で移住生活ができるようになったのかとか、どんな暮らしを楽しんでるのかとか、自分自身が何を考えてきて、どんな行動をとって来たのかなどを自分自身のために整理するような感覚で書き連ねてみようかなと思ってます。


そもそもなぜ海外を目指したのか
Why We Chose to Pursue Life Abroad


6年前、僕たち家族が日本を飛び出したのは、夫婦でとことん話あって実行してきたそれまでの子育て環境作りのバージョンアップとしての行動であったと言うのが一つの答えです。

それは教育移住と言われているジャンルなのかもしれません。ただ、なんとなくですが、一括りに簡単にカテゴリー分されるのも変な感覚なんです。「我が子のために」という思いが根底にあったのは確かなのですが、じゃあそれが中心だったのかというと多分違う気がするんです、それも根本的に。

例えば、移住した先には知り合いどころか頼れる日本人すら住んでいない土地であった上に、日本語以外の言語力はゼロでの海外移住とういう暴挙に出た私たちのことを知れば、多分ほとんどの方が「子どものことなんてひとつも考えていないじゃないか」「無計画すぎるいい加減な親の行動じゃないの」と疑われること間違いなしです。しかも、この土地で暮らしましょうかと決めたのも、たまたま、本当にたまたま、運よくこの土地が想像以上に居心地が良かったので、しばらくの間(子どもが巣立つまで)はここでいいよねというくらい行き当たりばったりな行動だったのですから。

ところが、それが「行き当たりバッチリ」になっちゃうんです僕たち。運がいいというか、ツイてるんですね、きっと。

と言うか、そう言う生き方をすることこそが、実は僕たちの暮らしや生活や人生の中心にあるテーマだったりするわけなんですが、それを一言でなんと表現すればいいのか見当もつかないんです。

そんなカテゴリー分けが超苦手な僕なので、6年もの間、何を書こうかと彷徨い続けてたんだなとお察しいただけるのかなと思うわけです。


どんな子に育って欲しかったのか
The Vision We Had for Raising Our Children


で、そんなことを一気にまとめて書けるほどの文才もないので、これからそれらを小出しにしながら、自分の頭の中を整理していこうかと言うのが今回のシリーズ(もう一回聞くけど、シリーズにするの?)ですので、ここいらで、私たちが抱いていた我が子に対する思いの部分に話を戻してみることにしましょう。

  • まずはバイリンガル、できればトリリンガル、目指すはマルチリンガル

  • 一つでも多くの国に友人がいる交友関係

  • 海や山、自然を大切にする地球感覚

  • 人種や民族、生い立ちに関係なく友情を育む人間関係

  • 他人に対してリスペクトを忘れない人間感覚

  • 地位や名誉よりも、努力や過程にフォーカスするセンス

  • 一つのことに熱中できる情熱

  • ユニークであること

これらは子育ての理想というよりは、どんな子であって欲しいかという願望希望の様なものですね。しかも、自分が過去出来てたことでもないですし、子どもが生まれる前からこれほどの理想を語れるほどの哲学すらありませんでしたので、反面教師的な表れだと取られるかも知れません。

でもそれは、もし自分がこんな思いを抱いてくれる親や周りの大人たちに育ててもらっていたとしたら、今とは随分と違う世界を見ていたのだろうなという正直な感覚(かといって親や過去の環境に恨みなど一切持っていません。感謝こそすれ。)がありまして、そんなわけなので、僕の持つ世界観とは比べ物にならないぐらい壮大な世界観で生きていける子にしてあげたいなという純粋な気持ちから導き出された思いなのです。

振り返ってみると、僕は幼い頃から「外の世界」に憧れるという感覚があったように思います。今見えている世界の向こう側にいつも「何があるんだろう」「何が見えるんだろう」という期待感を持ってワクワクし、扉を開けてそっちに行きたい衝動に駆られる性格だったというか。

ただ僕は、多分人一倍めちゃくちゃ世界観が狭くて、例えば小学校6年生の3学期まで「中学校」という存在を知らなかったくらい狭くて、それは一般的な子どもの世界観の狭さを語るレベルどころじゃないほど世界が狭く、別の世界を知る機会が極端に少なかったのか、情報が乏しかったのか、何が原因だったのかは分かりませんが、とにかく世間知らずだったんです。

そんなこともあってか、我が子には、広い世界を見せてあげたいし、教えてあげたい。そんな思いがとても強かったのだと思います。


自分がされて嫌なことは他人にもしないこと
What I Wouldn’t Want Done to Me, I Shouldn’t Do to Others


ただ、だからと言って僕たちは、子どもに向かって「ああしなさい」「こうしなさい」と言って聞かせる躾けの様な育て方をしない様に徹しました。

そして、常に「自分が子どもだったらどうしてほしいかな」と言うことを考えながら、子どもの目線まで腰を落として一人の人間と対峙するよう心がけました。子どもにそう望むなら、「まず先に、親である自分たちがそうする」ことに徹することが大事だと気づけたからです。

決して完璧ではないし、なんなら常に反省の日々で、間違いだらけのことを犯してましたが、気づいたらすぐに非を認め、間違いだったと修正して子どもに謝罪する様な親の姿、大人だって山ほど間違えることも正直に見せてきました。

そんな親としての在り方に気づかせてくれた教えの一つが、時の聯合艦隊司令長官・山本五十六が残されたこの名言でした。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず

聯合艦隊司令長官・山本五十六

人生色々な場面で哲学的なことを学ぶ機会がありましたし、今はネットでもこういう深いい言葉をたくさん目にする機会があるので、僕らの頭の中にはこの様な教えの言葉が山ほど詰まっていました。

でも僕たちは、知っているというだけで、実践するどころか、深く理解することすらしていませんでした。

そんないい加減な大人で過ごしてきた僕らに気づきを与えてくれたのが、子どもの誕生だったんです。僕らは、「親ってさ、子どもに教え育る側なんじゃなくて、子どもに育ててもらってる側なんだな」と語り合える夫婦に変化できたことが本当に子どものお陰だと思ってるんです。

自分がされて嫌なことを子どもにもしない

「勇気を出して壁を乗り越えて未来へ進むんだ」と子どもに伝えたいのなら、まず親である僕たちが「勇気を出して壁を乗り越えて未来へ進む」努力と行動の人にならないと説得力がないですよね。

だからです。だから無謀とも思われる様な行動に出たのです。他人にどう思われてもいいんです。僕たちには「根拠のない勇気を持つとはどういうことなのか」「ぶっ飛んだ夢を実現する行動とはどういう事なのか」を背中で見せるという明確な目的があったからです。


自分に出来ないことを他者に委ねる(環境作り)
Creating an Environment: Relying on Others for Support


決定的なのが、僕たちが抱く環境作りの概念。

環境とは、その子(その人)の人生や生活の背景に、当たり前のように常に存在している物事の状態。

「我が家の定義 by 俺」よりw

僕たち夫婦は「環境」のことをそう定義しました。

その気づきは、子どもの英語教育について夫婦で議論している時でした。子どもを本当に英語を喋れる人にしたいのなら、究極「アメリカに住むアメリカ人の誰かに生まれたばかりの子どもを預けちゃえばいい」わけですよね。(本気じゃないけどそうだと思いません?←誰に同意求めてるの?)

日本で育てば日本語が話せるのが当たり前の様に、英語圏で育てば英語を話せる様になります。

僕たちはバリバリの日本人で、夫婦ともに英語喋れないません(今でも)。子どもの英語教育ためにこれから学び始めたって遅かりしだし、どう足掻いてもネイティブには絶対なれない。「じゃあどうする?」ってところから導き出した環境作りに色々と取り組みました。

その環境作りの最終形が「海外で暮らす」ことだったのは言うまでもありませんが、僕らが大事にしたことは、先生じゃないのに先生を演じたり、ネイティブじゃないのに英語を語ったり、ミュージシャンじゃないのに楽器を弾いてみせたりなど、親だからと言って知ったかぶりして教えちゃわないこと。

そして、親である僕ら自身が嬉しくなっちゃうような、楽しくなっちゃうような、うっとりしちゃうようなその道のプロ(専門家、ネイティブ…)的な人たちと仲良くなって、人間関係を大切にして、家族ぐるみのお付き合いをするかのような、これもやはり子どもにとってその子の背景に当たり前の様に存在する日常を作るといった、「他者の手をかりる」発想の取り組み。

そして、何事も最終的には当の本人が「それ」を習得する意思を持って本人が努力しないと身につくことはあり得ませんので、僕ら親がやることは「それ」に自ら興味を持って「面白そう!」と感じて、楽しいから続けたくなってしまうようなシチュエーション(嫌いにならない手引き)をたくさん作ってあげること。

自らが率先すること。行動すること。そして自分たち親が最もそれを楽しむこと。それが子どもにとって最高の環境作りなんじゃないかと思ったりしてるわけです。

だから続けよう…

そんな感じの私たちのドタバタ人生を、これから少しづつ書き残していこうかなと思います。(え、続けるの?)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?