ねむい
毎日毎日午前六時に、僕の部屋の窓に石を投げて僕を叩きおこし、挙句の果てに窓を割りやがったあいつの事を思い出している。
六時という時間は、季節によっては、夜のままであったり朝になりかけだったり、昼のままだったり夜になりかけであったりと風情があるねなんて、子供らしくない事ばっかり言っていた。不明瞭で不明確な六時が一番好きだなんて言葉は、小学生五年生になったばかりの僕には全くわからなかった。高校二年生になってやっと、彼女の言っていた意味が飲み込めて、やっぱり大人だったんだなと思う。
未だに子供な僕と、大人にならざるを得なかった君との、登校前六時の逃避行は、時間の流れに押しつぶされて、話した内容や何をしたかなんてもうほとんど覚えていないけれど。
一月九日、冬休み明けの六年前の今日、六時に石を投げるはずの君は僕の家に来なかった。
寝坊でもしたのかななんて思って、たまには僕から行ってみるかとあいつの家に向かう途中、救急車に追い抜かされて、同じ場所で止まった。
今はもう、あの日の悲しみも時間に押しつぶされて、思い出すのは一月九日の朝六時だけだけど。
家を出て、不明瞭で不明確な六時に思いを馳せて、最後に彼女の顔を見た交差点に、無造作に花を放り投げて、ちょっとだけ頭の中で祈って。
色んなものを飲み込んで、僕は少しだけ大人になった。
コンビニ行ったら花持って自転車乗ってたおじさんにどつかれてイラつきました。一体これから何をするのでしょうあのおじさんは。そんな話です。何が書きたいのか彷徨ったので戒めとして公開します。頭の中で補正しといて。
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