天鳳×Vtuber杯のドラフトまで毎日更新する麻雀note145日目
人に興味があるやつが一番強い。これは多くの勝負事に当てはまることなんじゃないかと思います。
物事への意識や取り組み方はどうしてもその人の環境や価値観などが影響してくるので自分だけでは到達できない考え方や視点というのは存在します。
そこで他人に興味を持ち他人の考え方や視点に触れれることで自分一人ではたどり着けない考え方や発想を得られますしそもそも現代は一つのゲームというか競技に対しての攻略情報が多すぎてそれらを自分に落とし込むだけでも相当に大変です。
そうなるとやはり他人に興味を持って多角的に情報を取り入れると言うことが重要なんじゃないかなと思います。
こういったことは普段からなんとなく思っていて先日銀貨先生がNAGAに関するnoteを上げていました。
僕はNAGAをあまり使っていないのですがNAGAを使っている人たちの話は面白い。これもある意味では人への興味と言えるのかなと思っています。NAGAを大いに利用している人たちの考えや思考、そういうものは参考にしたい。
そして上の記事の中の一文で
こういう文がありました。
現代では安牌をもって進行するという手順の有用性が少し高まっているような気がします。
以前はフリー雀荘と言うのが麻雀の主流であってそういう場では祝儀の要素があるので和了り逃しが罪でしたが今ではネット麻雀を主戦場にする人も増えたため和了りという物への価値の認識が若干だけど下がっている、そして人口が増えレベルが上がったことにより技術介入の余地として新しい手順が研究されている、などが原因かなと思います。
僕はかなり目いっぱいにするタイプなのですが世間の好む手順と少しズレているな、というのを感じていました。
そして上にも書きましたが競技と言うのは時間が経てば必ずと言っていいほどレベルは上がります。そのため自分の使っている自分の和了りがそれなりにある手牌はパンパンにするという戦術は少し劣っているのかな?という疑問は持っていたのですがNAGAによるとどうも問題ないようです。
ただ銀貨先生のnoteにも書かれていましたが何かが起こるまで自己都合で進める戦術は何かが起きた時にかなり難しい選択を強いられるという欠点はあります。
最強の戦術が最良の戦術とは限らないということですね。
ただこれは雀荘店員をやっていた時代の産物で僕はそういう状況に慣れてしまっているんですよね。
和了りがメチャクチャ偉いルールだからパンパンに受ける。そうなると地獄のような状況に陥ることも多い、みたいな。
別にそこで最良の選択をしているという自信があるわけではないのですがその状況の経験値がある程度あるならこの戦術を使い続けてもいいような気もします。
誰しもが得られる経験値ではないのであればせっかくそれをもっているんだからそれを使ったルートを探索してそれを情報として麻雀界に還元するのも一つの役割として面白いんじゃないかなという感じ。
ドラフトは11/23日になっております。対戦よろしくお願いします。
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