うんこは漏らした方が良い
大昔に「探偵!ナイトスクープ」で街ゆく人々に「成人してからうんこを漏らした事があるか?」とインタビューしていったところ、8割~9割の人々が「漏らした事がある」と答えたという回があった。
実際のところは即答ではなくで、みんな初めは「そんな事ありませんよ!」と答えるのだけど、しつこく聞いてみると「実は1回…」と告白するのだ。
私の父親は割とうんこを漏らして帰って来る側の人だったので全面的に同意をしながら僕の横で見ていた覚えがあるが、幼心に「そんなバカな」と思っていた。
しかし成人して分かった事は、うんこは漏れるもんだし、なんなら漏らした方が良いという事だ。
うんこはどう漏れるか
うんこ漏らしの大先輩方には釈迦に説法ではあるが、うんこの漏れ方は大きく分けて2種類あると考えている。
1つは下痢タイプである。
何かしらダメな物を食べたりして腹を下した際に肛門相手に水攻めをされるわけだ。
ただ、水攻めを完全に閉じてしまうと腸内にガスが蓄積していってしまうため、ガス抜きとして必ず門を少し開けなければならないタイミングが訪れる。
そこを少し抜けられてしまうのだ。
そしてもう1つは大容量タイプである。
私の父は割と勢いよく漏らして帰って来る事が多く、一体何故かと疑問に思っていたがどうやらこちらだったらしい。
腸内で大きくモリモリに成長したうんこさんが肛門に達した時に「たのもう!!」と声をかけてくる。
「たのもう!!」と言われても今は出せる場所が無い。そんな時にうんこさんが「たのもーう!!」と言いながら肛門に突っ込んでくるのだ。
その姿はさながら破城槌である。
結果、肛門が崩壊するという事だ。
そして途切れる点が無いので一定量出し切るまで止める事は難しい。
うんこ漏らしの平等性
赤ん坊は当然のようにうんこを漏らす。
そして老人も当然のようにうんこを漏らす。
要は肛門括約筋のコントロールがある程度上手くいっている時期はハプニング以外で中々うんこは漏らさない。
私はこのうんこ漏らしに平等性を感じている。
生まれの差や男女の性差等により様々な問題を抱えているものの、やはり実際に体験しない限りは共感は難しい。
男は金玉を蹴り上げられる行為の辛さはよく分かっていると思うし、女は生理の辛さが良く分かっていると思う。
しかしお互い分かりあえない。
一方でうんこは大体誰でも平等に漏れる可能性がある。そして世間的には大きな『恥』とされている。
腸の長さ等、やはり個人差はあるものの、体験的には極めて平等な経験ではないかと考えている。
じゃあ尿漏れでもいいじゃないかと言われれば、尿道の長さが男女で大きく異なるので基本的に男性有利だよねとなるのでそうでもない。
やはりうんこを漏らす事のみに平等性を感じている。
うんこは漏らした方が良い
うんこを漏らす事は極めて平等な「失敗体験」となると考えている。
情報化社会の発達により、「失敗しない若者」が増えているという。
失敗しない事は簡単である。挑戦しなければいいのだ。
情報収集も極めて重要であるが、その上で失敗を繰り返す実践に入らなければ能力の向上はほとんど見込めないだろう。
一方でうんこを漏らす事は自然発生的に襲ってくる「失敗体験」である。
人間一度失敗体験をしてしまえば後の失敗体験をしやすくなる。
つまりうんこを漏らす体験こそが成長の第一歩になる可能性が高いのではないかと考えている。
しかしながら、昨今コンビニの充実により、街中に綺麗なトイレが常備されるようになってしまった結果、うんこを漏らしてしまう経験を得にくくなってしまったと考えている。
うんこを漏らした人を笑う大人になっちゃいけない。
うんこは当然の如くある日漏れる。漏れないのが当然だと思ってたある日、突然である。
そんな時思い出してほしい。
「うんこは漏らした方が良いのだ。」
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?