二礼二拍手一礼
最近はDNF duelまでの繋ぎでLeague of Legend(LoL)を履修しているのだけども、始めるにあたって有識者の方々にこう言って周っていた。
「『二礼二拍手一礼』を教えてくれ」
教養があり、察しのよろしい皆さんならここで言う『二礼二拍手一礼』が神社にお参りする時のテンプレ行動を指すいう事は分かってるだろうし、もっと言えばここで言う『二礼二拍手一礼』が指すのは「とりあえず知っといた方が良いと思われるルールや作法を教えてほしい」という意味を含む事も分かっていただけるだろう。
しかし似たような言葉も多い中で何故表現として『二礼二拍手一礼』を用いているかにはもちろん理由がある。
大前提として、攻略情報は基本的に自ら調べるべきである。
特に他人の時間を著しく消費してしまう恐れがある場合はなおさらだ。
しかしながら初学者の一番最初の問題点は「調べ方すら分からず、調べたとしてもその文献が信用するべきものが分からない」事である。
特に歴史が長い分野なんかは文献が分散してしまっており、大体訳が分からない状態になっている。
一人用のゲームならば嘘情報を掴んだ所で試行錯誤すれば何も問題は無い。何故ならそれで損するのは自分だけだからだ。
しかしながらチームゲームではそうはいかない。
ゲーム序盤の味方の行動の観察はチームゲーにおいて味方のゲーム理解度を推測する材料として重要であったりもするため、そもそも試行錯誤したくとも罵詈雑言の嵐が飛んできたり、味方が試合放棄をしたりする。
LoLの『二礼二拍手一礼』は多岐に渡り過ぎるので端的に表現するのは難しいが、人狼ゲームにおける「狩人は初日カミングアウトしない」やLegion TD2における「大体130~200コストで1waveは配置せよ」といった「最序盤のセオリー」として共通認識されている事だと思ってもらえると良い。
そんな「最序盤のセオリー」から外れた行動を見たら「なるほど初心者だな、フォローを多めにしよう」という行動をみんなが取れればいいのだけど、大体待っているのは心無い人格否定の罵声である。
逆に序盤さえ抑えとけば結果がどうなろうと、ゲームは滑り出す。
一度滑り出したら後は死ぬ気で適応するだけである。
一般的に言う「挨拶が肝心である」のような言説はこの考え方に基づくものと考えている。
「郷に入れば郷に従え」はその通りだと思うし、「守・破・離」の話なんかはこの後に続く。
そして実際のところ『二礼二拍手一礼』の持つ意味なんか誰も気にしていないのだ。
誰もが雰囲気でセオリーを行い、その意味の把握はあやふやである。
何故かというと、大体の場合においてセオリーに沿っている自分に満足しており、それ以上何も考えてはいないからだ。
そんなこんなで「意味は後々理解するとして、とりあえず真似とけば誰も気分を害さず、かつ情報を知っとくだけである程度簡潔に習得可能な行動」に対して『二礼二拍手一礼』という表現はピッタリであり気に入っている。
『二礼二拍手一礼』を通過すれば何が楽か。
それは情報の探索と精査を一人で進める事が出来る点に尽きる。
信頼たる人物が挙げる重要度の高い行動をちゃんと含むような情報は少なくとも試す価値はある。
最近はこの『二礼二拍手一礼』の重要さが骨身に染みている。
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