適当な日記も書くべきと考えた

タイトル通りの話である。

文章等をよーく練ったものは今まで通りはてなブログに書き、思いついた事や雑多な事をnoteの方に書いていこうと思う。

何故?

どういう方針でインターネットというものに接していくか考えた結果である。
世間一般に言う思春期というような時期からインターネットとお付き合いをしているが、付き合い方はその時々で変えてきた。
年齢だったり、昨今のSNSを見てるとそろそろまた変える準備をしなければならなそうな雰囲気が存分に出ており、さて何をしていくべきかなと考えた結果のこのnoteだ。

インターネットの使い方

人により其々あると思うが僕の場合は「話し相手が欲しかった」ように思う。
ただ、非常に贅沢なもんで誰でも良いとは思ってない。
やはり話が合う人が欲しかった。

「話が合う」はどういう状態かを考えると、会話において語彙をほとんどセーブしなくて良い関係性だと考えている。

相手だけ50%で話している場合「話を合わせてもらってる」関係性なのだけど、それを許容してもらえるのであれば有難い話である。
そういう関係性は相手へのリスペクトが絶対不可欠であり、私もリスペクトが感じられれば誰とでも話すようにしている。

話が合う相手は数が多ければいいと考えている。

分野や見えてる世界は違えど、解像度が自分と同じレベルかそれ以上なのだから単純に相談事が出来る。
ゲーマーは特によく"攻略"している。
倫理面には難有れど、それは確かなので参考になる事が多い。

話が合う相手を増やすという事は僕なりの攻略であるのかもしれない。

話が合う相手とマッチングする

話が合う人間とどうマッチングするかは、単純に相手の創作物や自分の創作物を見せ合えば良い。

基本的に同じジャンルであればその価値観みたいなものはお互いに認識しやすく、結果的に絵描きは絵描きで集まるとかそういう事になる。

一生懸命作って、それを見せ合うと大体話の合う人間が集まる。

ただ、それはインターネットが大衆の波に飲まれて無い時代の話であり、現代は異なる。

多くに理解される段階に入っている価値観に集まってる人から話が合う人を探すのは実際のところ非常に困難である。

一方で多くの人に評価されないが実際のところ話が合うような人を見つける事が検索システム上非常に困難になってしまっている。

現在のSNSでは僕が思う「話が合う人」とマッチングするのは実際のところ滅茶苦茶困難であると思う。

表現の規制と表現の場所

歳を取るとみんな公共の場での表現がマイルドになっていくのだが、ご多分に漏れず私もそうだ。

様々な丸くなっていった芸人達がYoutuberに転身している時代なので、この辺の話はよく言及されるが、口を揃えて言うのは「人に迷惑をかけられなくなったから」である。

僕の場合そんな大層な事は無いのだけど、真面目に「ちんちん」と打つべきか打たないべきか、あるいはどの言葉を使うべきかで悩みに悩んでいる。

はるか太古、mixiなんかで文章を書いてた時も私の文体は「非常に怖い」と言われているのを聞き、twitterからはその対策として「一週間に一度は度を越えた下ネタを必ず呟く」という任務を自分に課していた。

要は「話が合う人」を見つけたいのに、「怖そうな人」だとそもそも話しかけられないから対策しなければならないと思ったのだ。

自分に対するそういう偏見は十分薄れたかなとそういう事はやらなくなったが、「そろそろ思想も固まってきたし、一回まとめとくか」と始めたはてなブログを読んだ人からまた「mekasueさんって怖い人だと思ってました」という感想をいただく結果になってしまった。

ではまた「ちんちん」と打つ習慣を始めるかと考えたところで、「今から打つ…?」となってしまったのだ。

早い話がここを「ちんちん」と打つ場所にする予定である。

VRは今のところ「ちんちん」を言う場所である

VRは今のところ「ちんちん」を言う場所である。

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