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他人に「野獣先輩で笑ってます」とは言えなかった
人と会話していて、話題に困ることがよくある。話の掘り下げがヘタで、質問ばかりで面接みたいになるとか、提供された話題を繋げずに単発で終わりがちだとか、原因は色々とある。だが最も大きなものは、ボキャブラリーの少なさだろう。人生経験が浅く、世間知も最近の流行も知らないから、会話の引き出しがまるで無いのだ。
もともと興味の幅が狭く、流行や新しいものに食指が動きづらい性格である。関心のない事柄はスマホで簡単に調べることすら億劫で、流行りの音楽やアニメ、有名人の報道に至るまで驚くほど何も知らない。SNS等で話題になって一週間くらいして、風のうわさに聞くほどである。
べつに、流行り物に乗っかることが軽薄で嫌いだと言いたいのではない。そうした中に、人生を豊かにしてくれる「掘り出し物」があることは承知している。何より新しいものを取り入れないと人生は縮小する一方だ。
だがそれを見つけるためには大量のガラクタの中に飛び込んで、仕分けする作業が必要だ。俺は何の関心もないことに触れるのは退屈どころか苦痛を感じるたちだから、そんな骨の折れることはしたくない。あらゆる分野のミーハーになるより、昔好きだったコンテンツを繰り返し視聴してのんびりしていたい。そう思い、過去の縮小再生産の日々を送っている。
昔好きだったもの、その最たる例が「真夏の夜の淫夢」だ。俺はもう十年以上これと付き合っていて、動画視聴はもはや習慣のひとつ言っていい。朝起きて、仕事から帰って、風呂から上がって、真っ先に確認するのはラインの通知でも天気予報でもなく、新しい淫夢動画の投稿である。
正直、我ながら見下げ果てた趣味だと思う。あんな人権侵害もはなはだしい倒錯した反社会的コンテンツに、どんな魅力があるというのか。まだ分別のつかない子供や、倫理観のあいまいな中高生が、その露悪さに惹かれてはしゃぐのなら理解できる。しかしいい歳の大人が、アダルトビデオの切り抜きや悪意に編集された出演者の姿で腹を抱えて笑うなど、悪趣味を通り越して醜悪である。どう考えても人として間違っているし、情けない限りだ。だが、面白いものは面白いのである。
裸の男がおかしな台詞を吐きながら、奇妙な姿に変えられて、カートゥーンのように大暴れする。日本中でもてあそばれるそいつは野獣先輩という馴染みやすい名で、元ネタはお笑い番組でもなんでもない、無名のゲイ向けアダルトビデオだ。
そうした心底馬鹿らしい下品さと、センシティブな性的少数派を徹底的にコケにする不謹慎さがたまらなく可笑しい。「人として恥ずかしい」という至極真っ当な批判さえも、自虐的な笑いに変えてしまうのである。
そういうわけで、高校の頃に淫夢を知って以来、俺はずっと夢中になってきた。あまちゃんや半沢直樹、新海誠や鬼滅の刃といった百戦錬磨の作品群が一世を風靡していた頃、俺は相変わらず淫夢動画で笑っていた。野獣先輩というエキセントリックなミームの前に、有象無象の流行など物の数ではなかったのである。しかしそんな無気力と無関心とが、今になって俺を呪っている。
世俗の流行を知ろうともしないから、人とプライベートの話をすると、とたんに困ってしまう。休みの日とか趣味のことを聞かれても、答えられないのだ。
「休日何してるの?」と聞かれた時、真っ先に思い浮かぶのは淫夢動画だ。俺はほとんど動画を見ながら寝てばかりいるから、野獣先輩の浅黒い肌が、もだえる顔が、甲高い声が、蜃気楼のように浮かんでくる。そのイメージを振り払い、とっさに猫の動画とか見てるよ、と無難な回答をするのだが、後が続かない。実のところ愛嬌たっぷりのあざとい動物の動画はあまり好きではないから、上手く話せない。知人からは「隠居したおじいちゃんの生活だ」と笑われたりもした。まったくその通りで、こんな枯れ果てた話題で会話が弾むはずもない。急いで相手に話題を振って、質問攻めにすることもあるが、いずれにしろ会話は盛り上がらない。
これではいけないと思い、話題作りと流行を知るためアマプラやネットフリックス等に登録はしている。しかしほとんど観ることはない。ドラマ/アニメ全十二話、映画一時間半という長丁場に足がすくむのだ。我慢して観たとしても必ず途中で飽きて、最後まで視聴できる作品は稀だ。好きだった映画(ガメラ3とか仄暗い水の底からとか)でも二十分でスマホをいじりだす始末で、いかに集中力が衰えているかがわかる。
一方でニコニコ動画に上がっている淫夢動画は飽きることがない。一本十分前後と気楽な再生時間であるし、オチもだいたい知っているから肩ひじ張らずに寝ながら見られる。俺のような怠け者にとって、淫夢は手軽なジャンクフードのような存在なのである。
それにしても、最近は本当に好奇心が衰えたなと思う。新しいものに手を出すどころか、今まで好きだったものを好きでいることすら難しくなってきた。自分で言うのもなんだが、俺は案外多彩だった。カメラや小説の執筆や料理など、下手の横好きながら熱中することが多かった。それがいつしか気楽にはやれなくなっていた。単に元気がなくなったというのもあるが、それ以上に「こんなことをしていていいのか」という思いが強くなったためだ。
仕事がない時は、楽しむのではなく自分を高めるために使うべきではないのか。資格とか、婚活とか、他の勉強とか、歳相応のスキルや身分を身に着けるために投資すべきものではないのか。そんな思いに邪魔されて、何かを楽しむ余裕がない。
かといって、何か生産的なことをするのかといえば、それもしない。義務感より面倒が勝つためだ。だから空虚な焦燥感を抱えながら、何も考えずもう見飽きたはずの淫夢動画なんかを周回している。
やりたい事は特にないが、やるべき事は山ほどある。そのやるべき事をこなすことでしか、この焦燥感は消えないだろう。