ネタがない私はnoteを休む
お久しぶりです。毎日特段おもしろいこともなく、かといって前のようなネットか自身の経験のまとめを書く気力もなく、何日か執筆をしなかった。
ただの言い訳である。しかしnoteの執筆は日々の国語力の低下を少しでも抑えれるかもしれないのでちょくちょく続けていきたい。
毎日ゲーム(と勉強)が続き、たまには違うこともしてみようと思い、今日はNetflixで映画を見た。「泣きたい私は猫をかぶる」
これを見て感じたことをいろいろ書いていこうと思う。視聴していない方もいると思うので映画の内容にはあまり触れないようにする。
その前にこの作品について私の知っている情報で簡単に紹介する。本来劇場で公開されるはずだったがコロナの影響でNetflixで公開となった作品である。6月頃から視聴できるようになり、その頃は電車内の広告などでも宣伝されていた(気づいた方もいるのでは?)。また、「ペンギンハイウェイ」と同じ制作スタジオである。
この作品を見終わってまず感じたことは、アニメ映画製作の難しさである。
なぜこう思ったのか。それは2時間の制約の存在があるからである。映画である以上、これを大きく超えることはできない(エンドゲームなどの例外を除く)。この限られた時間でオリジナル作品の物語を始め締めくくることは非常に難しい。そのためどうしても設定や展開の違和感を払拭できない。原作が存在すればなおさらである。実際、この作品でもドラマをスキップしながら見ている感じがあった。まあ長ければいいってものじゃないけどね
次にアニメ映画の良さを感じられたことを書こう。実写映画では表現できない非日常な映像だけでなく、日常的な風景の鮮やかな再現は私のアニメ映画の好きな点である。ジブリ映画のザ・アニメーション感や、新海誠の「君の名は」や「天気の子」での都会の再現度はすごいので見てない方はぜひ見てほしい。「泣きたい私は猫をかぶる」では愛知県常滑市を舞台(?)としている。陶芸で有名らしく、焼き物が点在している街並みを見るのは楽しかった。
最後に、主人公の親友キャラクターがめちゃくちゃ好みだったことについて。なぜだかよくわからないが好き、多分私はこういう髪型がタイプなんだろう。
この記事を見て「泣きたい私は猫をかぶる」を見たいと思う人は少ないと思うが(そもそも紹介記事ではない)、見てないなら見てほしい。Netflixに契約していない方もこの機に契約してみてはいかがだろうか。QOL上がりますよ。