トランスジェンダーについて考える

Twitterでは毎日のように問題を見つけ出してはほじくり返している。私の悪い癖だと思いながらも、ついやってしまう。

トランスジェンダーについて調べてみたが、分からない所が結構出てきている。実態にトランスジェンダーの人に会ったことがないので分からないのもある。

一般人として分からない所があるとすれば、2つある。一つは「トランスジェンダーと言っても意見が総集されてるわけじゃなくて、結構人によって違うしバラバラな意見ばかりなんだね」という所だ。世界ではトランスジェンダーの問題が大きく取り上げられ、多様化を求めて奔走しているが、本当にそれは国がするべき対処の一部なのだろうか。私は思うのだ。「完璧な国」というものは絶対に存在しないと。黒人至上主義と言えば白人至上主義の人の意見が蔑ろにされ、逆の主義を持ち上げればデモが起こる。あっちが立てばこっちが立たずの意見は大抵「小規模の大きな声の意見に惑わされている。」と私には思えてならない。主義や思想を極端な方向に振り分ける20%の人物よりも、80%の普通の人の声を聞いてあげた方が全体的に幸福度は上がる。例えばそれで残り20%の人が声を荒げた所で、「自分で環境を変える」ということがすっぽ抜けているように思えるのだ。ジェンダー問題についても同じことが言える。20%の人の暮らしのために、80%の普通の人の暮らしを脅かすことがあるのなら、20%は不幸になるか別の国で暮らせばいい。と。国に関わる人は半端に優しすぎて、少し言葉が強いだけの人に簡単に惑わされてしまうが、スウェーデンでも幸福度が高いのは老人を殺して若者の福利を上げているからに他ならないように、「意見がバラバラな人達の声を聞く」というのは難しいということだ。


もう一つは「それそんな大きな話じゃなくてもっと小さい問題を誇張してるだけでは?」という話だ。例えばトランス女性がいたとして、その人が社会で爪弾きにされてそうなってしまったのは社会のせいだと憤ったとする。いやいや、それ「お前の周囲の人間が悪かっただけでしょう」と思えるのだ。それこそ転職すれば簡単に書き変わる人間関係、引っ越しすれば簡単に変わる家庭関係なのだから国に憤る前に自分の環境を変えればいいのでは?と思えるのだ。そもそも自称トランスジェンダーという人達は私の中ではそこそこ性格が悪いように思えてくる。(申し訳ないが)(少し差別をする)自分を男か女かで大別し、勝手に線引きして「私とあんたらは違う」と平気で言ってみせる。そして勝手につけた線引きで勝手に距離を置いていく。自己愛もいいところだ。いや、同じ人間だし。もしも多様化を認めて欲しければ、男か女かという二極化の思想も線引きもやめて、トランスジェンダーを認めるという一様化も辞めてくれればもっと幅が広がるのにと思ってしまうのだ。そもそもトランスだからといって足並み揃えて世界を変えなくてもいいし、もっと好き勝手に幸せになっててほしい。タイでもいってキングゲイを掘ったり掘られたりしてきていいじゃないか。承認取らなければ何処にも行けないわけじゃないじゃないんだし。あとお前がモテないのはトランスジェンダーだからじゃない。お前の人間性の問題よこのおブス!人間関係が上手くいかないのはコミュニケーション力がないだけじゃないの!朝サラダばっかり食べやがって…。デモを起こす前に自分にデモを起こせ。


おしまい