天気予報



大切なものに気づかされるのはいつだって取り返しがつかなくなってから。

新たな視野が生まれるときは苦痛が伴うことが多く、必ずと言っていいほど後悔に付き纏われる。


少なくとも自分はそうだ。


新しい発見をするというのは、人としての「成長」を意味していると思う。が、成長するには苦しまなければならないという、何とも不器用で皮肉なものか。(確かに筋肉痛や成長痛もあるようにそれと同じようなものなのかもしれない。)


ただでさえ自己嫌悪と劣等感で削られまくったメンタルで、その先の「成長」を促されれば気持ちが行き詰まるのも無理はない。不躾な応援や期待はときに人を傷つけるのも理解できる。


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今日自分は自らの言葉で人を傷つけてしまった。

そんなつもりは全くなかった、あるわけなかった。


ただ少しでも相手の気持ちが軽くなればと、しょうもない言葉を投げかけてしまった。
いや、もしくは自分がつまらない人間だと、話す価値がない人間だと思われたくなかったから、そんな不純で利己的な理由かもしれない。


その人は落ち込んでいたことも知らずに。




「また間違えてしまった。」



この言葉は自分の好きな歌の語り出しであり、現に自分はいつも間違えている。間違いだらけの生き方をしている。その度に、ああしていればと、こう言っていればと、哀れで惨めな後悔に襲われ、苦しんで苦しんで、苦しんで苦しんで苦しんで、苦しみまくったその先でようやく、大切なものに気付かせてもらっている。


もっと上手く生きられないのだろうか。
まぁ自分が馬鹿だから仕方がない。


馬鹿なりに次はどうしたらいいかと、より良くしようともがいているつもりである。せめてこんなダサい姿だけでも、もっとあなたと良い関係でいたいと、自分の自己中でわがままな姿勢だけでも伝わらないものかと....いや、伝わったところで何が変わるわけでもない。それは全て相手が決めることだ。



でも、自分に出来ることは出来る限りやりたい。

それはもう相手が、とかではなく。
自分はそういう人間でありたい。



自分以外の誰かがきっかけで悩んでるのに、最後は自分のあるべき姿について考えている。

おかしな話だ。




今日の天気はずっと雨が続く予報だったが、今は綺麗に星が見えている。


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