わたしとコロナと。#1 日本にいるのに「話が通じない」違和感
上海での駐妻生活を終えて、昨年秋に本帰国した私。
私からみた新型コロナウイルスのことを考えてみた。
友人たちへの心配から、自分の心配へ
本帰国して、数ヶ月後。
「中国で肺炎が流行り始めた」と友人たちから聞くようになった。
同時に「上海にいる友だちは大丈夫だろうか」と心配した。
ただでさえ、海外生活は勝手が違う。
楽しいこともあるが、大変さは計り知れない。
大変な部分はみな、自分の中でどうにかして消化している。
みんなどうにかして「笑い話」にしているのだ。
いたって自然に。
言語が違う国で暮らす友人たちにできる限りのことをしたくて、
日本で報道されている内容を伝えたり、
日本語でのコロナ情報がまとっているサイトを探したりした。
気がつけば1月下旬になり、春節連休に入った。
この連休は中国人にとって、一大イベント。
お金を貯め、半年以上前から航空券、ホテルなどを押さえ、
この連休を家族・友人と思いっきり楽しむ万全の用意をした
多くの中国人や中国在住者が、
世界各地に大移動することは容易に想像ができた。
中国全土で広がった感染症は
小さな島国である日本になんて簡単に入ってくるだろうと
ずっとずっと心配をしていた。
しかし、日本では
「オリンピックは予定通り開催する」
「日本は大丈夫」
「検疫でしっかり対応する」
と、緊張感なんて微塵も感じない雰囲気だった。
実家の両親に
「春節中はできるだけじっとしていて」と伝えても
なかなか理解してもらえず、もどかしい思いをした。
伝わらないものは、もう仕方がない。
違和感はありながらも
「自分や家族の身を守ることに集中しよう」と
気持ちを切り替えていった。
「通じる安心感」が欲しかった
「上海にいるよりも日本に帰った方が安全だろう」と思って
急きょ一時帰国した駐妻ともだちがたくさんいる。
彼女たちは現地での緊張を全身で感じながら、
家族を守るべく、様々な判断をしなくてはならなかった。
彼女たちのその心情を察するだけで、私は苦しい。
当時、一時帰国を決めた人や、帰国しようか迷っていた人には
「あなたたちは、何も悪いことしてないんだから、堂々と帰ってきて!」
と声をかけた。
日本で緊急事態宣言が出る前、
一時帰国した駐妻ともだちと集まる機会を設けた。
その時に聞いたのは
「実家に帰ってきたけど、なんかわかってもらえない。」
「ずっと気を付けて過ごしてきたけど、一時帰国して良かったのか…?」
「中国から帰ってきたことを堂々と言えないのがつらい。」
「日本の緊張感のなさに、がっかりしてしまう。」
といった、違和感だった。
それと同時に、
「自分の話が通じること」への安心感を共有できた。
現地のことを知ってるからこそ
互いに「通じ合えること」がうれしかった。
本帰国してからずっと抱えていたもどかしさが解消された瞬間だった。
友人たちの中には、上海へ戻れた人もいるが、
夫の勤務先の判断で「帯同する家族の本帰国すること」と通達されたり、
上海にある自分たちの住まいに戻れるかどうかが分からなかったり、
戻っていいのか自体を迷ったりする人もいる。
もし今も自分が上海駐在妻だったら、
どう判断し行動するだろうか。
すごく、悩む。
そんな状況の駐妻ともだちを
どうやったら支えられるだろうか。
毎日、悩む。
未だ収束しないウイルス。続く違和感。
緊急事態宣言が終わってからも
子どもの幼稚園送迎、スーパーへの買い物程度しか外出をしていない。
経済を動かさなくてはいけないのはわかるが
動けば、自分が感染するかもしれないし、
周りの人たちを感染させてしまうかもしれない。
気にしすぎかもしれないが、
その不安はどうしてもぬぐえないでいる。
アフターコロナを迎えている上海の様子を
現地にいる駐妻ともだちに聞くと
また日本への違和感が大きくなっていく。
この違和感と付き合いながら、
気持ちの整理をしたり、考えたことをまとめたりするために
「わたしとコロナと。」というタイトルで
noteを書き続けてみようと思う。
書いた後も、きっと
ちょこちょこ書き加えたり、消したりを繰り返すだろう。
でも、それでいい。
自分なりの実験だから。