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◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その18】<グアム島の生き残り日本兵・横井庄一さんの結婚~昭和47年11月3日>

●奇跡の生存兵

 グアム島のジャングルで生き残っていた愛知県出身の元日本兵・横井庄一さん(大正4年~平成9年)が発見されたのは昭和47年1月。今、どれだけの日本人が記憶しているだろうか。
 横井さんは終戦前年の昭和19年、陸軍伍長としてグアム島に配属されたが、米軍との戦いで日本軍は壊滅。敗走した横井さんはジャングルに潜伏、終戦後も自ら作った地下壕で生活していたが、昭和47年1月、現地人に発見され確保された。終戦から27年、高度経済成長を経て公害や交通地獄、受験戦争など社会矛盾をはらんだニッポンの国民に「奇跡の帰還兵」の出現は強烈なインパクトを与えた。
 名古屋に居を構えた横井さんは、その後評論活動や参院選出馬、作陶など多彩な活動を続けたが、人生のハイライトは帰国した年の11月の結婚ではなかろうか。

●京都美人との恋

 お相手は京都市在住の幡新美保子さん。そこにいたるまでの花嫁探しは難航したという。昭和47年10月5日の名古屋タイムズはこう伝えている。(以下、<>内は名タイ記事)

<何人もの花嫁候補者はあったのだが、財産目当ての“押しかけ花嫁”があったり、テレビや週刊誌にとりあげられることを目的にしての“タレント花嫁”であったりして、なかなかスムーズに運ばなかった>

 美保子さんとの結婚について同日、横井さんが名タイのインタビューに応じている。以下は、その一問一答である。

<―美保子さんを選んだわけは?
 彼女は戦前の女なので、考え方が同じようだし、純真だと分かったからです。ほかにも候補はいたけど、もうこのあたりでよかろうと思った。
 ―彼女との出会いは?
 近所に住む昔からの知人から紹介された。彼は私が帰国したときから“よし、きみのお嫁さんは、ぼくがさがしてやるよ”とはりきっていたんですよ。8月13日に彼の家でお見合いをしました。口数も少ないし、性格も素直そうだし、いい人だなと思いました。人間って変なもので一目見た瞬間好意のもてる人というものはあるんですね。8月終わりごろに私の家に来てもらい、家族に会ってもらいました。この人と生涯をともにしようと心で決めていました。
 ―新婚旅行は?
 やりません。彼女の希望ですから。もし、周囲の声でどうしてもやらねばならなくなったら、報道関係者に知られないようにこっそりといきますよ。ともかく意表を突いた方法をとりたい。帰国以来一日として心の休まった日はないんですから。
 ―子どもは何人ぐらいほしいですか?
  一人ほしいです。それも女の子。>

●1回目にお会いしたときから…

翌日、美保子さんと一緒に婚約会見が行われた。以下は、美保子さんの話。

<―婚約の意思を固めたのはいつ?
 1回目にお会いしたとき、私はすでにこの人だと思いました。
 ―あなたが花嫁候補と知らされたときの気持ちは?
 どうして私のところにお鉢が回ってきたのかと思いました。
 ―横井さんが発見されたときのニュースは見ましたか?
 見ました。大変お気の毒な方だと思いました。
 ―お茶もお花も文学も料理も何でもやるそうですが、28年間洞穴生活をしていた横井さんとのギャップをどう埋めていきますか?
 特別これといったことは考えておりません。でも一日一日努力していけばなんとかなると思う。あたたかい、くつろげる家庭をつくるよう努力したい>

 帰国して25年後、横井さんは息をひきとる。海外メディアが「人類の驚異」と伝えた帰還兵をみとったのは愛妻の美保子さんであった。


次回の名古屋・戦後意外史は
<ジャズの王様・サッチモがやってきた!~昭和28年12月16日>
お楽しみに

◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 まとめ読み】🔽

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