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◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その9】<名古屋まつりのひな型、知られざる名古屋商工祭(昭和29年10月)>

●デフレを吹っ飛ばせ!

名古屋の秋の風物詩、名古屋まつりは昭和30年10月から始まった。その原型となったのが前年の10月に開かれた「名古屋商工祭」だ。どんな祭りだったのか。名古屋タイムズ(名タイ)からひもとく。
 同紙によると、「名古屋商工祭」は名古屋市と愛知県、名古屋商工会議所が名古屋市政65周年記念日(10月1日)を期して1か月開催。当時は深刻なデフレで、「名古屋の産業を全日本的に紹介し新販路の獲得を図りデフレにあえぐ人々に活を入れようとするのが目的」(当時の名タイ)だった。
 総予算は1000万円(現在の約3億6000万円)で、名古屋通産局(現・中部経産局)など行政や観光、工業、貿易などの業界団体が協賛した。主な行事は全国優良機械展(金山体育館)、全国プラスチック新製品展(松坂屋)、名古屋陶器展(丸栄)、中部日本貿易と観光展(松坂屋)、発明大展覧会(愛知県商工館)など。
 実行委員会会長の小林橘川名古屋市長は「この機会に産業名古屋のめざましい復興と隆盛を祝い名実ともに一新した本市商工業の全貌をあまねく紹介したい」とコメント。同会顧問の伊藤次郎左衛門名古屋商工会議所会頭は「近代的な“まつり”は都市の性格とマッチしこれを強く表徴するものでなければならない。今度行われる諸行事は商工都市名古屋の祭りにふさわしく、各種の新製品の展覧会見本市には世界的視野の優良製品が展示され当地方のみならずわが国産業の発展口上に貢献するところは大きい」と意気込んだ。つまり「産業振興」を前面に出した祭りだった。

●花電車とミス・ナゴヤ選出

 とはいえ、にぎやかな出し物も目白押しだった。
 10月1日の初日、名古屋市内は提灯やアーチで飾られ、飛行機からは祭りを告げるビラが散布された。協賛イベントとして東山動物園では動物祭り、名古屋城では菊人形展がスタート。名古屋は祭りムード一色に。
「ミス・ナゴヤ・コンテスト」も行われ、副賞10万円と訪問着など時価30万円相当の賞品がころがりこむとあって事務局には350人以上の応募が。以下、名タイより。

<この中にはミスお伊勢博、ミス海の女王、ミスカメラなど初当選から数えて5年というのも含まれた常連が目白押しで、遅れはならじと申し込み、受付氏は終日美しい写真の山に埋まって“もう少し若かったら”とため息。大部分は郵送だが約10人近くの美人はご自身で乗り込んできた。百貨店の中には人事課がまとめて大量に推薦候補を送り出してきた。ところが、この推薦に漏れた店員たちが憤然として単独立候補。公認、非公認の争いも>

 「祭りの花」は花電車。名古屋市交通局は戦後初となる本格的花電車6両(装備費1両30万円)、装飾電車30両を12日~18日に運行。夜には1両に500~600個の電灯をつけて市内を走った。装飾は協賛企業や業界団体がスポンサーとなってPRするもので、いかにも商工祭らしい花電車となった。

●夜の蝶パレードと山車ぞろえ

 一方、「夜の業界」も負けていなかった。25の名古屋市内の社交場で組織する名古屋社交事業協会が15日から5日間、「カフエー・スター・パレード 夜の祭典」を実施。オープンカー6台を連ね、スイングジャズ・バンドを先頭に、王冠にレイを着飾った各店推薦のナンバーワン麗人を満載し広小路通~南大津通をパレード。期間中は、参加店でビールなどが当たる三角くじをサービスした。
 商店街も元気だ。15日には豊臣秀吉のふるさと、中村区の商店街が「太閤一代記変装コンクール」を実施。日吉丸や木下藤吉郎、羽柴秀吉、織田信長、前田犬千代らに扮した総勢51人が太閤通~広小路通を練り歩いた。
 名古屋菓子商工連合会は商工祭に協賛して「菓子まつり」を開き、「ミス菓子」と50台の宣伝カーを連ねたパレードを市内で行った。
 花電車と並ぶ祭りの呼び物が山車ぞろえ。17日、戦災で焼け残った市内7両の山車が各町内の御輿などとともに市役所~那古野神社~本町通~錦通を練り歩き祭りは最高潮に。山車ぞろえは大正、昭和時代にはなく45年ぶりだった。
 祭り期間中の10月19日、中日ドラゴンズが初のリーグ優勝。名古屋っ子を熱狂させた。


次回の名古屋・戦後意外史は
<良心の冒険~名古屋ATGの挑戦(昭和37年6月1日)>
お楽しみに

◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 まとめ読み】🔽

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