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◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その4】「知と熱」が生んだ20年ぶり優勝~昭和49年のドラゴンズ(後編)



●V予想は「巨人」

 中日ドラゴンズが初優勝から20年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした昭和49年から半世紀。その軌跡を名古屋タイムズの記事を参考に振り返る。今回はその後編。
 開幕直前になるとペナントレース予想記事が各紙に掲載される。この年4月6日開幕前のセ・リーグ予想記事では、前年まで日本シリーズ含めて9連覇の巨人の「高齢化」が指摘された。前年の昭和48年、優勝は巨人と阪神の最終戦決着。巨人は青息吐息の栄冠だった。ONの一角、長嶋茂雄は37歳。野手の平均年齢は32・5歳。今だったら「働き盛り」だが、当時は「ロートル」といわれた。とはいえ、「抜きんでたチームはなく前年同様に混戦。結局、優勝最有力は巨人」というのが名タイの予想。
 理由はリーグ1の投手力と「9連覇の自信と誇り」。そして打倒巨人の候補として挙げられたのが中日だ。昭和47年、48年と2年連続で巨人に勝ち越した実績と巨人に勝るとも劣らぬ投手力が評価された。不安は打線。
「マーチンという大砲が加わったが、今のところ未知数。これが4番にすわれるようだと、優勝争いの本命に押してもいい」(昭和49年4月4日、名タイ)
 この予想はズバリ的中する。

●モリミチ、昇竜3番勝負

 マーチンは4番にどっしり座り、打率2割6分9厘ながら、本塁打35本、打点87で打線の核となった。ただ、野球は数字だけでは語れない。この年、節目節目で水際立ったプレーを見せたのが15年目、33歳の高木守道。「あれがなければ優勝なかったかも」というプレーが少なくとも3度あった。
 まず、6月28日、中日球場に首位阪神を迎えた一戦。3連敗中の中日は防御率1位の古沢憲司に抑えられた。4対6で迎えた9回裏2死。高木守が起死回生の逆転サヨナラ3ランを放った。ここから阪神は失速、中日と巨人の一騎打ちとなっていく。9月3日の広島戦で代打の切り札・飯田幸夫が代打満塁サヨナラ本塁打を放ち中日は首位に躍り出た。
 そして、同月17日、中日球場での阪神戦で高木守の「神業」が飛び出した。2対0で迎えた5回。1死1、3塁で打席に入った高木守にベンチはスクイズのサイン。これを察した阪神バッテリーは高木守の頭上高くに外した。すると高木守は驚異的な反射神経でバットを立てて飛び上がり、ボールを捉える。スクイズ成功。結局、7対3でトラの息の根を止めた。
 同月28日、巨人戦(中日球場)を引き分け、ついにマジック12が点灯した。しかし、プレッシャーからその後、マジックは点滅。迎えた10月11日の神宮球場でのヤクルト戦。残り5試合。この試合に敗れると、翌12日の中日球場での大洋とのダブルヘッダーに連勝しても、14日の後楽園球場での巨人とのダブルヘッダーで一つ勝たないと優勝できないというところまで追い込まれた。土壇場での巨人の強さは前年のシーズンで実証済み。直接対決に持ち込まれれば、中日の勝ち目は遠のく。
 10月11日のヤクルト戦は、中日ナインにプレッシャーが襲う。そして、2対3で迎えた9回2死3塁。凡退すればジ・エンドという局面で打席に立った高木守はしぶとく三遊間を破り同点。その裏を星野仙一が抑え引き分け。マジック2が再点灯した。翌日の大洋戦に連勝し与那嶺要監督が宙を舞った。

●全員野球。

 与那嶺監督は就任以来、チームワークとハッスルプレーを植え付けた。前述の飯田ら、日替わりでヒーローが登場したこの年の中日は、ONのようなスーパースターに頼らぬ全員野球で優勝を勝ち取った。星野仙がセーブ王と沢村賞、松本幸行が最多勝(20勝)を手にしたものの、MVPは三冠王の巨人・王貞治の手に。
 鬼神のごとき活躍をした高木守は2割7分6厘、15本塁打、47打点でタイトルはダイヤモンドグラブ賞のみ。しかし、そのプレーは今も中日ファンの語り草だ。
 この年、巨人の長嶋が引退、川上哲治監督も勇退。一つの時代が終わる。プロ野球の歴史の歯車を動かした中日の優勝だった。


次回の名古屋・戦後意外史は
<北川民次が名古屋の子どもに託した夢>
お楽しみに

◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 まとめ読み】🔽

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