![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170551319/rectangle_large_type_2_cadc9efcaaeaaf20ec7628f7ffb55ee1.png?width=1200)
◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その13】<テレビ放送開始70年余。名古屋で活躍した「刑事」たち>
●名古屋駅を走る「七人の刑事」
昭和28年に日本のテレビ本放送が始まって70年がすぎた。現在も続くジャンルの一つが「刑事ドラマ」である。数々の名作は名古屋でもロケが行われている。
昭和40年4月2、3日、TBS(CBC)のドラマ「七人の刑事」のロケが名古屋駅新幹線ホームで行われた。「七人の刑事」は昭和36年~44年に放送。アクションよりも人間ドラマを重視したTBSらしい人気番組だった。ロケは逃走中の強殺犯が名古屋に住む内縁の妻と逢引きするという情報をつかんだ刑事たちが同駅に張り込み、大捕り物を演じるというくだり。刑事役はおなじみの菅原謙二、芦田伸介、美川陽一郎。
ダークブラウンのダスターコートにごつい黒縁眼鏡の芦田は、名古屋タイムズ(名タイ)の取材に「駅でのロケはいいですよ。みんな目的があってきている人ばかりだから、気がついても黒山の人だかりとならない。それにいろんな人種が集まりますから」と話し、菅原も「いくらエキストラでもこうはうまくいきません」と同調した。
●「大門軍団」、大暴れ
昭和57年11月にはテレビ朝日(名古屋テレビ)の人気ドラマ「西部警察」の大掛かりなロケが愛知県一帯で行われている。
「西部警察」は昭和54年~59年に放送された石原プロ制作のアクションドラマ。西部署の大門部長刑事(渡哲也)率いる「大門軍団」の活躍と派手なカーアクションや爆破シーンが売り物だった。昭和57年~59年には「日本全国縦断ロケ」と称して、16道府県でロケを行った。
愛知ロケはその一環。「大門軍団」がニセ札犯を追う「決戦・地獄の要塞」と宝石強盗の一味と対決する「戦慄のカーニバル」の2本分を撮影。ロケは11月22日~12月3日の約2週間にわたり愛知県内各地や三重県・長島温泉で行われた。
ハイライトは「決戦・地獄の要塞」のエントツ爆破シーンで12月3日に撮影された。名タイは以下のようにレポートしている。(以下、<>内は名タイ記事)
<中川区にある二村化学の旧工場が舞台。大門軍団が追い詰めた犯人がここに立てこもり、イチかバチか、エントツをブッ飛ばして脱出を図るという設定。高さ40㍍のエントツを根元から切断。カメラが回る。石原軍団の小林専務の合図でエントツを支える最後の鉄筋が切られた。やがて、そびえたつ大エントツがグラリと傾き、そのまま廃工場の屋根を破壊して崩れ落ちた。警察の大型バスも真っ二つ。大音響が起こり、火災が。ものすごい迫力だ>
全国縦断ロケでは、こうした大爆破シーンが見せ場になっているが、名タイによると、まずクライマックスで何を爆破させるかを決め、そこから逆算してストーリーを作り上げていたという。
●炎上車両13台、ガソリン800㍑
長島温泉では園内に逃げ込んだ犯人を「大門軍団」が大捜索。遊園地の施設やホテルなどを舞台に華々しいアクションとカーチェイスを撮影した。同温泉では全国縦断ロケ恒例のファンサービスも行われ、5万人余のファンに石原裕次郎らが歌やアトラクションを披露した。
名タイによると、ロケのエキストラには1万人以上が応募。1800人が「出演」し、謝礼は番組特製トレーナーと帽子だった。ロケについての問い合わせ電話は1日9000本。うち名古屋テレビにつながったのは3000本で、同局はアルバイト10人を動員して処理した。
長島ロケでは200人が整理、警備にあたり、地元三重県警などからも約50人が出動した。エントツ爆破のロケでは愛知県警から約30人が出動している。一方、名古屋テレビは両ロケで各130人の社員を動員。石原プロが爆破などに使用したガソリンは約800㍑(ドラム缶4本分)で、炎上した車は13台だった。
集まった観衆はのべ約10万人。裕次郎は「2年前に大病をしたものの、すっかり良くなりました。今は作品で恩返ししようという気持ちです。そのためには喜んで楽しんでみてもらえるものをといつも考えています。名古屋ロケは多くの人たちにご声援いただきロケ隊一同、燃えました」と話した。
終
次回の名古屋・戦後意外史は
<初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」誕生~昭和38年1月1日>
お楽しみに
◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 まとめ読み】🔽