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◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 その25】<かつて怪獣に破壊された国の重要文化財~映画と名古屋テレビ塔>

●昭和29年6月20日開業

 昨年竣工&開業70年となった名古屋のシンボル・名古屋テレビ塔。令和2年に免震工事を施してホテルのある「シン・テレビ塔」となってリニューアルオープンした。令和4年には国の重要文化財に指定され、世界中の旅行者から注目される施設になった。名古屋が誇るタワーはしばしば映画の舞台になった。知られざるシネマとの蜜月を振り返る―。
 昭和28年、東京のNHKと日本テレビが相次いでテレビの本放送を開始した。名古屋でもテレビ局開局の機運が高まり、NHK名古屋放送局とCBC(中部日本放送)が名乗りを上げた。当時、東京ではテレビ局ごとに電波塔を建てていたが、名古屋では財界の後押しで、複数のテレビ局の電波を集約した「集約電波塔」の計画が進んだ。
 場所は、戦後復興の目玉となった100m道路=久屋大通。そのど真ん中に建設し、展望台などもつけて観光のシンボルにもしようという試みだった。こうして、昭和29年6月20日、高さ178・7mの名古屋テレビ塔が完成する。日本初の集約電波塔。東京タワーよりも4年早い最先端の施設だった。

●「名古屋を代表する場所」

 「名古屋の観光の目玉に」という財界の思惑通り、名古屋テレビ塔には開業後、多数の市民や観光客が詰めかけた。展望室への入場者だけでも1年を待たずに100万人を突破した。殺風景な100m道路にニョキリと立つタワーは名古屋のランドマークとなる。
 当時全盛期を迎えていた映画もその人気に目をつける。名古屋タイムズ(名タイ)によれば、開業2年後の昭和31年10月公開の日活映画「飢える魂」のロケが同日9日に行われている。同映画は丹羽文雄原作のメロドラマ。監督は名匠・川島雄三、三橋達也と南田洋子が主演した。同月9日に列車で名古屋入りしたロケ隊は、名古屋駅ホームで撮影後、翌日にテレビ塔内で三橋と南田があいびきをするシーンを撮っている。
 続いて、昭和32年4月公開の大映映画「忘れじの午後8時13分」で名古屋テレビ塔が登場。こちらも菊田一夫原作の恋愛もので、テレビ塔のほか名古屋港や名古屋駅でロケを行っている。名タイのエントツ広告にはテレビ塔がそびえたっている。
 その後も、松竹配給映画「淑女夜河を渡る」(昭和32年8月公開)、新東宝映画「新日本珍道中・西日本編」(昭和33年6月公開)、大映映画「都会という港」(昭和33年9月公開)と名古屋テレビ塔の雄姿をとらえた映画が続々と撮影された。
 このように当時、名古屋テレビ塔がロケ地として選ばれたのは「名古屋城の不在」という事情があった。江戸の昔から名古屋のシンボルであった名古屋城は昭和20年5月の空襲で天守閣などが焼け落ちて、再建されるのは昭和34年10月のことである。
 「都会という港」のロケに臨んだ島耕二監督は名タイの取材にこんなコメントを残している。
 「かねてから名古屋でロケーションをしたいと思っていました。この映画は原作(菊田一夫)には名古屋は入っていないのですが。かねてからの念願を達成する意味で無理に舞台をこしらえたのです。しかし、名古屋を代表するような風景はテレビ塔しかなく、ここはすでに幾度も使い古されているのでもっと名古屋らしいところを探すのにいろいろと苦労しました」
 このコメントから、名古屋テレビ塔が名古屋のシンボルとして、多くの映画のロケ地になったことがわかる。
 この後、松竹映画「ちんじゃらじゃら物語」(昭和37年12月公開)、同「喜劇一発大必勝」(昭和44年3月公開)に登場。だが、今もファンの語り草となっているのは怪獣映画だ。
ゴジラやガメラなど怪獣スターたちは各地の名所、建造物をぶち壊しているが名古屋テレビ塔も例外ではない。いずれも、東宝映画のモスラもので、「モスラ対ゴジラ」(昭和39年4月公開)、「ゴジラ対モスラ」(平成4年12月公開)、「モスラ3 キングギドラ来襲」(平成10年12月公開)に登場。怪獣たちに破壊されるのだった。


次回の名古屋・戦後意外史は
<「名古屋を兵隊の位に直すと…」~放浪の画家・山下清来名記(昭和32年冬)>
お楽しみに

◉昭和100年記念【名古屋・戦後意外史 まとめ読み】🔽

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