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日記(2025年2月1日〜2月7日)

2月1日(土)

 大学時代の後輩のウェディング撮影(後撮り)で1ヶ月ぶりの横浜に来た。雪予報が出る冷たい空気の中、奇跡的に青空が広がっていて、後輩のテラコッタのドレスが映えて美しかった。
 カップルフォトこそあるが、ウェディング関係の撮影はまだ片手で数えられるほどしか経験していない。そもそも結婚式にもほとんど参加した事がない。周りはどんどん結婚しているし、自分自身も結婚願望自体はあるが、何故か「結婚」という事象に縁遠い人生を送り続けている気がする。なんなら従姉妹の結婚式すらコロナ禍で参加していないのだから、もうそういう星の元に生まれているんだと自分に言い聞かせてグッと耐えている。そんな「結婚」に対する意識も知識もふわふわしている私に、卒業ぶりの後輩が連絡をくれた時、なんだかえも言われぬ温かい気持ちが広がった。懐かしさ、嬉しさ、ありがたいな、でも私で良いんだろうか。若干の不安が残る中、早朝に
起きて横浜に向かい、前日の仕事の疲れで新幹線で爆睡してしまった。起きたらすっきりして、不安は吹き飛んだ。
 撮影には関東住みの同級生が着いてきてくれたわけだが、彼女と話すのも私の今回の目的の1つだった。学生時代の4年間よりも社会人歴の方が長くなった今、古い友人と言っても過言ではないだろう。彼女と話す時間が私は大好きだ。どうしたって『久々の友人と会うこと』にアルコールを挟みがちな「大人」が多いが、彼女とは会う目的が『対話すること』なので、もうそれだけでワクワクする。今回も色々と話せて良かった。楽しかった。ありがとう、また会おうK。
 夜は実家で豆乳鍋を囲んでのんびり。鍋奉行の父が大張り切りで微笑ましいこと以外は、ついこの間会ったばかりなので特筆すべき内容なし。

2月2日(日)

 雨だ。折り畳み傘を忘れて実家から出られなくなったので、両親とのんびり話をしながら過ごす。転職してから父と同業種になった上、今まさにマラソン大会に向けて日々ランニングをしているので、共通の話題が増えた。お前は痩せすぎだ(余計なお世話だ!)、サングラスは持っておいた方が良いぞ、なんて大して中身もないようなことをああだこうだと話していたら、いつの間にか昼になっていた。毎度思うが我が家はどちらもよく喋る家系である。私の高速マシンガントークはサラブレッドだ。
 今日が節分ということもあり、少し早めではあるが恵方巻きを食べる。子供の頃は鬼の面をつけた母が玄関から入ってきて、ギャン泣きしながら全力で殻ごとの落花生を投げつけていた記憶がある。ちなみに東海圏の他所の家では大豆を投げると知ったのは随分後のことである(両親は北海道出身、こんなところでまさか地域性を感じるとは)。殻付きの落花生は重量がまあまああるので絶対痛かったろうに。これが親の愛か。父が買ってきた恵方巻きのチョイスは、唐揚げ巻きだったり納豆巻き、照り焼き巻き、みたいな所謂変わり種ばかりで「え〜不思議なのばっかり!」と大笑いしてしまった(編:書いていて思い出したが、ウリ科アレルギーの私がどれでも選べるようにキュウリの入っていないものをわざわざ買ってきてくれたんだと気づいた。ちょっとだけ泣きそうになる。すぐに気付けなくてごめんねお父さん。これも親の愛である)。
 雨の合間を縫って慌てて帰ろうとしたら、両親が駅まで送ってくれた。大量の機材が濡れないようにと長傘を貸してくれて、駅からは荷物が少しでも軽くなるようにとその傘を持ち帰ってくれた。父よ、母よ、娘はもう28歳です。そんなに大切に甘やかしたらダメだよ、まったく優しすぎるんだから。なんだか最後まで親の愛をたっぷり満喫する日になってしまったと無事帰宅したら、父から『エネルギー補給できるゼリーと、サングラス送ったから届いたら受け取りなさい。あと気づいていないだろうが、帽子も荷物に入れておきました』の連絡がきた。……あと数日は親の愛を感じ続けることになりそうである。

2月3日(月)

 古い友人から「婚約しました」と連絡をもらった。相手の方もとても優しそうな、彼女のことを深い愛で包み込んでくれそうな素敵な方だった。本当に、心の底から自分のことのように嬉しい。
 可愛らしい顔立ちとは裏腹に歳の近い兄の影響で少年のような振る舞いだった彼女は、10歳の頃から通っていた塾のクラスメイトで、そのまま進学した中学も高校も一緒だったので、実に18年の付き合いである。大学でバラバラになった後も数年に一度の間隔では会っていて、どんどん大人の女性として成長した顔を合わせては、その度に積もり積もった話をたくさんして、互いの幸せを祈りながらまたそれぞれの生活を重ねるという関係だったので、なんだか誇らしさすら感じる。本当におめでとうY。貴女のこれからの人生に、今まで以上に愛が溢れますように。幸あれ。
 さて話は変わるが、12月に行った報告発表会の結果が出た。無事に2連覇達成。嬉しさもあるが、プレッシャーからの解放の方が強い。リーダーである同僚が半休のため代理でサブリーダーだった私が表彰状を受け取ったわけだが、大人になってから貰う賞状ってどうしてこんなに嬉しいのだろう!褒められる機会が減るから、分かりやすい形で「頑張ったね!」と努力を認めてもらえていると実感できるからなのかしらん。性格のいけ好かない部長も今日だけはニコニコしながらちょっと良いお店の美味しいタルトを買ってきてくれた。今年のチームリーダーは私である。3連覇への期待と重圧が両肩に乗っかってくるが、絶対に負けたくないという執念でもぎ取ってやりたい。

2月4日(火)

 関わっているプロジェクトのリーダーになってしまった。しかもかなり時間的制約が大きく費用対効果も高めなものである。社会人歴6年目(もうすぐ7年目)にして初のリーダー経験。右も左も、なんなら上も下も分からないが、幸い私には心強い大好きな課長たちがついている。複数工場あるメイン担当者は皆同年代の(ギリ)若手だが「思いっきり暴れても勉強になるなら良し!」と言ってもらった。折角いただいた機会だ。目一杯頑張って(ついでに最短での昇進を目指して)、得た知識や力は全て自分の力にしてみせるぞ。中途採用の女だって、やる時はやるってところを経営陣に証明してやる!!
 早速会議して資料作っていたらいつの間にかしっかり残業していた。出世欲が強い同年代と、活発な議論ができる環境があるのは嬉しい。子供の頃思い描いていたような“バリキャリOL”みたいで、今が一番大変だけど一番楽しい。

2月5日(水)

 仕事後にはじめましての人と食事へ。自分(私)の意志の強さや、芯を通した考え方に対して「隙が無さすぎて怖いかな、俺そんな先のこと考えられないし」と言われてしまった。むしろこの年齢で人生プランがふわふわしている人の方が心配になる、と思うが、よく考えてみれば年齢に関わる価値観や社会性への意識には性差があるように実感する。育児に協力的な男性が増えているとはいえ、妊娠や出産に人生を振り回されるのはいつだって母体である女性側なのだ。キャリアとの両立を考えると計画的にならざるを得ない。が、そこまで考えられる男性にはまだ私は遭遇できていない。理解はあるけど、人体的に不可能なんだから俺たちにはどうしようもない、と言われると、では”自分たちの”子供なのだから君の人生・キャリアを嫌な顔ひとつせずに犠牲にできるか?と返したくなってしまう。戻る場所も保証されず、戻れたとしても今までのように全力を出すこともできず。まあ返す気力もないのだけど。
 嫌な気持ちになったまま、仕事だったり当たり障りのない話をして、張り付いたような笑顔で解散する。怖いと平然と言い放ったくせに「またご飯行きたい!次いつにする?」と人生プランふわふわ君からメッセージが届いたので、淡々と「機会があれば!」と返し非表示にする。
 まだ、己の信念を曲げてまで、自分を殺してまで、妥協する人生は送りたくないなあ。生きるのって難しい。

2月6日(木)

 プロジェクトで使うソフトのオンライン勉強会に参加させてもらった。が、一人のために会議室は使わせられないとのことで、自席でのイヤホン参加。私の席は事務所の入り口に一番近いので、ひっきりなしの来客対応が必要で、会議中だろうとそれは関係ないのが本当に困る話である。挙句、会議中だと言っているのに現場のおじさん達にも容赦無く呼ばれる。結局、4割くらいしかちゃんと聞けなかった。Zoomでの勉強会に参加しながら聞き逃した部分を、別工場から参加している方にTeamsのチャットで教えてもらってなんとか追いつくレベル。不甲斐ない。流石にこれでは意味がないので、送られてきた録画を確認しながら、残業中にプログラムを組んでいたら「そういうのは残業でやっちゃダメだから明日からは止めてね」という謎のお達し。現場からの要請や来客対応で勉強会の参加が不十分だったので、本日の残業は些か致し方ないのでは、と返しても「とにかくダメなものはダメ、なんとかして就業時間中にしてくれないと」の一点張りで軽く絶望した。
 私の部署は「ハズレ」と言われる理由が、分かるようになってきた。私は業務の都合上、始業の20分前から働いているが当然その分の給与は出ない(30分以内なので部長が許可してくれない)し、残業内容まで制限される、挙句気に入らない部下には彼らが反論できないのを良いことにパワハラめいた発言を平気でする。今まではハズレ(何とも失礼な言い方だが)の人材が流れ着く場所だった、と言われていたが真相は違うだろう。もしかしたらその人材はハズレにならざるを得ないほど部長に傷つけられていたのかもしれない。諸悪の根源の定年まではまだまだある、ここで生き延びて上にのしあがるにはいつかちゃんと正面からぶつからなければいけない日が来るだろう。それまで少しずつ証拠集めでもしておくかな。

2月7日(金)

 読書の趣味で仲良くなった友人と仕事後におでんを食べに行く。今週はこのために仕事頑張っていたと言っても過言ではない。平日はほとんど外食をしない上に会社の友達とは焼肉かラーメンか、たまに韓国料理屋か、のルーチンを繰り返しているので、こうして全然関係ない友人と、しかもおでん!!!最高である。
 飛魚出汁のおでん10種盛りをつつきながら最近読んだ本やおすすめの本の話をひたすらする。実際に会うのは初めてだったが、以前から文字や電話で夜な夜な語り合っていたので初めまして感ゼロでずっと話せてありがたいことである。友人はかなりの速読で私がおすすめした作品は基本的にすぐ読んでくれるのだが、同じ作品でも捉え方が私と全く違う。1つの描写に対してああだこうだと見方考え方を議論できるのが本当に楽しくて、ついたくさんおすすめしてしまう。逆に私は、多趣味ゆえに肉体と時間が足りないのもあってそこまで読むのが早くない、のにどうしてか積読がどんどん増えていく。文芸誌や雑誌も含めると、現時点で15冊控えている(まあ佐伯ポインティ氏も「自分のMy書店への仕入れ」と言っているしな〜、とデスクの積読エリアから目を逸らしながら)。だからおすすめされた作品を読む余裕が残っていなくて最後尾に回してしまう。
 なんだか私の人生というのはいつもそう。余白や余裕がない。スケジュール帳真っ黒にしたいタイプだし、そもそも1日の中でも止まっている時間が殆どない。それは日々の仕事でもそうだし、遅く起きた休日だってそこからの追い上げが凄まじい方ではある。でも例えば人生が四角の枠で可視化されたとしたら、四隅に合わせた形の乾いたスポンジが詰まっているんだろうな。密度はスカスカなくせに一丁前に幅は取る、あの感じ。余白や余裕がないように見えて、その実凝縮したら大したものも残らない。要領が悪いから遠回りでもがむしゃらに泥臭く歩んでしまうし、器用でもないから人の数倍取り組まないと追いつけない。スポンジは吸収力が高いけど、たっぷり水を含んだスポンジは軽く手で押すとその水は漏れ出してしまうし、かといってそのまま放置していたらいずれ乾燥してまたスカスカになる。何度も何度も吸収しては乾燥して、また吸収しては乾燥しての繰り返しで、いつになっても辞典のような重く高密度な存在にはなれない。苦しい。私だって生き急ぎたいわけじゃない。
 ああいやだ、こんなに楽しかったのに。今週は仕事以外の事象でも時間に追われたり、たくさんの人に会ったりしたから疲れているのだろうか。せめて今読んでいる作品の次は、友人の勧めてくれた短編集を読むくらいはしたい。

2月8日(土)

 お気に入りの喫茶店へ関東出身の友人を連れて行った。昨夜「人に会って疲れている」なんて書いていたのに、また人と会う約束である。誰だこんな過密スケジュールにしたのは(数週間前の年末年始休みボケで躁状態だった私である)。人前では明るく社交的に振る舞っているが、本音を言えばメイクして出かける準備までしていても家を出る直前まで「面倒だよ〜!行きたくないよ〜!」と駄々を捏ねているタイプなので難儀なものだ。
 SNSを通じて知り合った友人Rはつい2年前まで関東から出たことのない筋金入りの都会育ちだが、名古屋に異動になり、友達も多くないせいで名古屋を味わいきれていないとのことだった。両親は名古屋人じゃないけれど、私は育ちは名古屋である。なんなら一度出たのにまた戻ってきたほど名古屋に対して謎の愛着がある。よし任せたまえ、甘党ならやっぱり小倉トーストは食べておかないと、と自信満々でシェア予定で頼んだのに、殆ど一人で平らげてしまった。食事制限している普段なら絶対食べ切れないカロリーなのは頭では分かっているが、こんな絶品を目の前にしてそんなことは言ってられない。痩せすぎだから増量しろって父にも言われたし!と誰に止められるわけでもないのに、つい言い訳をしながら最後の一切れを口に運ぶ。
 己の弱い身体でカフェインの過剰摂取を長年続けていたせいか、最近は1日1杯しかコーヒーが飲めないが、貴重な1杯をこうして絶品と味わえるのは幸せである。これだけで今日家から出て良かったと思えた。昔は苦手だった餡子も、和菓子職人である三重時代の友人のおかげで克服した(想像以上にコーヒーと合うんだな、これが)し、Rほどではないが私もまだまだ名古屋を満喫しきれていないから、今年は共に名古屋開拓トライしていきたいところである(編:おすすめの名古屋の老舗店とかあれば是非教えてください)。

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