愛することと幸せにすることは、イコールではない。

いまは金曜の夜であるのだ。
ちょっとしたエッセイの体を装いさえすれば、ふだん腹に仕舞われている不平をデトックスしたところでさしもの問題では無いだろう。

事は、とあるJ-POPを耳にしたときから。
歌詞の趣旨を私なりに概略すると、「私には何一つないが、あなたを愛し続ける事はできる。あなたと一緒にいたい。」というものになる。
普段J-POPを一切耳にしない私でも、サビを何度か聞いたことがあるほどの曲である。
認知度は相当に高いはずだ。

聞くところによると、その歌手は最近ライブをやったりしているらしい。
どうやらZ世代に人気と言うやつのようだ。
Z世代は一般にその曲のメッセージをどう受け取るのかは知らないが、私は戯言だと思う。

まず、愛では腹が膨れることがない。
愛がなくても人間は死なないが、お金がないと人間は死ぬ。
「私には何もないが」という前提は、「あなたを幸せにする気はない」というニュアンスを含んでいるように感じられる。

「あなたを愛し続ける事はできる。」という部分に関しては、自分の社会的な弱点を補うための発言である。
「愛したい」と言うのは主観的な欲望に過ぎない。
さも常人にはできないことが私にはできますとしたり顔のようだが、作詞家は毎日ご飯を食べるという行為にすら苦労しているのか?
お前が「愛したい」から「愛する」だけだろう。
つまり、愛するだけならば、誰でもできるのだ
加えて、「愛したい」と伝えて喜ばれる条件は、受け手が「この人に愛されたい」と思っている時だけだろう。
受け手からすると「愛したい」も「ヤリたい」も欲望を向けられる対象により受け止められ方が異なるだけであり、客観的に見たニュアンスに差はないだろう。
大切なのは「幸せにする」ことであって、闇雲に「愛する」ことではない。

「あなたと一緒にいたい」と、最後にプロポーズをしている。
プロポーズをするという決断をしたということは、自分にチャンスがあると踏んでのことだ。
つまり、「自身が社会的に弱者である」というマイナスなポイントは、「愛し続けることができる」という信憑性の低い情報で帳消しになっているだろう、という腹づもりだということだ。
そのような状況であるにも関わらず、相手からOKが貰える可能性が存在しているという認識でいるのだ。
この部分に関しては、完全に相手を下に見ている
直接相手に「あなたは、客観的事実として全体的に低水準である人間にもなびくような低水準な人間でしょ?」と言っているようにしか聞こえない。

最後に、YouTubeで当該楽曲の公式動画の再生数を調査したところ、1億回再生直前であった。
世も末である。


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