人類にとってのパレート最適


私の様な凡人が、人類に対してしてやれることはほぼ存在しない。
社会貢献ならば、工場でネジでも締めていればできるのだが。

現時点では、我々人類は問題を抱えすぎている
人類はすでに、構成員の全員が充分幸せに生活するに足る資源を手にしている。
今、この瞬間に戦場で戦っている某国の軍人の男性がいる。
私が瞬きをしたこの一瞬間ののちに、彼が敵国の兵士と篤く抱擁をし始めたとして、物理現象に逆らうわけでは全くないのだ。
極論ではあるが。
それだというのに、今日の不幸でいる人間の数は少なくないと言えるだろう。
全ての根幹が一つの要因に集結しているとは全く思わないが、人類が生み出した大概の概念の根幹には、他者への疑念があるように思えてならない。

ここでしたい話は、それら諸問題が解決された時代の話だ。
見知らぬ人にお金を貸すことすら、なんらおかしくないくらい平和な時代だ。
そんな時代で、人間は何をして暮らすのか。
というより、何をして自分の欲求を満たしていくのか。

私は、真に進化した人間というのは、好奇心を満たすことのみに全精力を傾ける人間のことだと定義したい。
しかし、人類においてそのような人間が占める割合というのは、1%もないだろう。
大抵の人間が、2,30代で結婚し、そのほとんどが子供を作る。
自分の人生すら2,3割という段階であるのにも関わらず、自分には自分の子供を導くことができると信じて疑ったことがないのだろう。
つまり、自分の生活のこと以外はどうでもいいのだ。
大抵の人間、少なくとも私の周りの人間というのは、どれもこのような人間だ。
遊び続けられる体を維持するために健康活動をしている人間がどれだけいるのだろうか。
彼らは健康でいるために、健康活動をしているのだと思えてならない。

ここまで来れば、真に進化した人間ではない我々凡人が人類に対してできることが見えてくるだろう。
それは、真に進化した人間を邪魔しないことだ。
では、何をもって邪魔とするか。
それは、彼らの機会を奪うことである。
金銭を奪えば、研究環境が満足できるものにならず、研究の機会を奪うことになる。
生命を奪えば、少なくともその個体を用いて我々が生活している4次元空間に一切の影響を与えることができなくなり、研究の機会を奪うことになる。
時間を奪えば、研究に必要な時間が確保できず、研究の機会を奪うことになる。
など、その他考えうる限りの方法で、凡人は容易に真に進化した人間を邪魔できる。
99%以上の凡人が、1%にも満たない真に進化した人類を邪魔しない状態を維持できる様になってこそ、我々人類は真に進化した人類になることができる。
なぜ真に進化した人間を邪魔してはいけないのかというと、我々凡人は彼らが生み出したものに頼ってしか生きていくことはできないからだ。
電子機器を生み出したのは彼らだ。
電子機器がなくても人間が死ぬことはないが、人生の意味を失う凡人は多いだろう。
我々凡人が何億人束になったところで、電子機器の発明はおろか電気の発見すら出来ないまま寿命を迎えただろう。
それに、何も電子機器など複雑なものだけの話ではない。
これだけ世界人口が増加したというのに、食料が我々の元に行き届くのはなぜか。
農業の発明があったからだろう。
遺伝子組み換えなど、食物の大量供給を可能にする技術の発明があったからだろう。
我々凡人というのは、代々真に進化した人間の脛を齧りながら繁殖してきたのだ。
彼らが好奇心の赴くままに研究し、研究結果の副産物として生まれたさまざまな概念やシステムに生かされているという事実を無視してはいけない。
我々には彼らを邪魔する権利などないのだ。
では、凡人は何から始めたらいいのだろうか。
自分が凡人であることを認め、生活保護を受給することから始めてみてはどうだろうか。
ベーシックインカムについて語れることは殆どないが、第一段階に入るためにはある程度の実績が必要だと聞く。
おそらく私は、制度が安定するまでの十数年間は半額セールに張り付くことにはなると思う。
しかし、もし私と気が合うような人間がいるのならば、複数人でなけなしのお金を持ち寄ってたこ焼きパーティでもしよう。
それ以上に幸福になれる方法があるのだろうか。

生活保護受給者の割合が多くなってこそ、両者の間に明確なラインが引かれ、両者が各々の求める最大のリターンを得ることができるようになるだろう。
なぜならば、この世の仕事の9割は不要なものだからだ。
具体的には衣食住以外に関係のある仕事は不要だ。(おしゃれ着ブランド、特にペラペラの化学繊維と出来の悪い機械式の縫製でハイブランドの劣化コピーを量産している様な企業は衣に該当するが、例外的に不要だ)
医療が不要だと断ずるわけではないが、ロボットでも理解できる様に因果的にかつ論理的に、医療が必要な理由を説明できる人間がいるのだろうか?
生きる意味とは何か、万人に通底する事項を挙げるがいい。
これは非常に悲しい話だが、人類にとって不要なものを作るためだけであるのに関わらず、責任という言葉に潰されてしまい、命を絶つ人間がいまだに存在しているという。

この話は何度もしているが、一例を挙げておくと、ボールペンの開発などはとっくの昔に完了したはずだ。
全てのものに進化の余地があるのは、確かにそうなのかもしれない。
しかし、インク持ちが良くなったり、グリップの柔らかさが向上したところで、不幸な人間が減ることはないだろう。
好奇心のままにボールペンを開発するのならばいいが、企業はボールペン開発部を食わせてやっているという現状を忘れてはいけない。

ボールペンばかり槍玉に上げるのはよくないだろう。
申し訳ないが、これは手癖なのだ。
そのため、ボールペンと同様に私が不要だと思っているものを挙げよう。
それは自動車開発だ。
私には、何のために鉄道があるのかがさっぱりわからない。
安い運賃さえ払ってしまえば、座席に座っているだけで遠くまで行くことができる。
目的地の方向へ直線的に進むわけではないため、自動車に比べて時間がかかるという事実はある。
しかし、移動の時間を削るほどやりたいことがあるのだろうか。
目的地に早く到着したとて、興味があるわけでもない動画をダラダラ見ることに時間を費消してしまうのではないか?
それに、自動車を全て廃止することでそれらも解消される可能性がある。
ありとあらゆる方向に路線が敷かれ、どの駅からどの駅に行くにもほとんど直線的に移動できるようになる可能性があるはずだ。

話を戻そう。
具体的に自動車開発のどのあたりが不要なのか。
まず、古い自動車でも新しい自動車でも、法定速度の範囲内であれば問題なく使用できる。
スピードだとか乗り味だとかそう言ったことにこだわる人間は、公道ではなくサーキットに行くべきなのだ。
それに、自動車の開発・生産には大勢の資源が必要になる。
それは生産や実験に必要な材料のことでもあるし、人間のリソースの話でもある。
地球に害を全く与えない自動車が完成したとして、その自動車の生産に至るまでに要したコストを回収できるのは何年後の話なのだろうか。
古い車を必要分だけ生産し、故障しても修理して乗り続けた場合とでは、何年後に損益分岐点が訪れるのだろうか。
ここからは私怨になるが、まともではない自動車乗りというのはそこら中にいる。
騒音、前方不注視、信号無視、轢き逃げ、速度超過、飲酒運転、、、
捕まっている数など氷山の一角に過ぎないだろうし、騒音に関しては捕まっているところを見たことがない。
彼らは騒音をより大きくするために謎のパイプを純正品と交換し、携帯の画面を見ながら、時に飲酒したのちに猛スピードで街を駆ける。
ひどい時には大量殺人、最もいい場合でも騒音
自分が理解出来ないからという理由で他人の趣味を否定するのは愚か者のすることだが、他人に迷惑をかけることが趣味だというのならば、私は自信を持ってその趣味を否定しよう。
大きな音を出すための鉄の塊を生産するためにも、多くの資源を必要とするのだ。

【雑談】人類はなぜ進化しないのだろうか

人間は自分の思いどおりに物事を動かすために権力を求めるのではなく、権力を振りかざすために権力を求める。
雑な一般化だ。
私は、そんな妄言をどこかで読んだことがある。
現状では、一人の暴君の下卑た支配欲を満たすためだけに、大勢の人間が不幸になっている。
人類史を見るに、先史のころと何も変わっていないのだろう。

私はこの支配欲というものが、人類が進化できない大きな要因の一つだと考えている。
現状では、行きすぎた支配欲を満たす方法が浮かばない。
支配欲のほかに懸念される近接的な欲求として、征服欲がある。
定義上ではほとんど同じようだが、ここでの意味合いは大きく異なる。

支配欲というものは、他者を自分の管理下に置きたい欲求のこととして扱っている。
つまり、支配者がしようとしている事とは、おままごとの延長に過ぎない。
お人形さえ手元にあれば、それから死ぬまで目を離さずに管理するという人生を望むのだ。
ここで厄介なのは、お人形は支配者が望む服に、髪型にされ、お人形自体には一切の権限がないということだ。
そういったお人形が幸せでいられるのだろうか。

征服欲というものは、自分と同等かそれ以上の策士と勝負で打ち勝ちたいという欲求だ。
周辺の小国に進軍することで併合・統治をしてきた国があるが、それらは征服欲というよりは支配欲からくるものだろう。
小学生が幼稚園児からお人形を強奪するようなものだ。
対して、征服欲の場合は異なる。
それは闘争本能からくるものであるし、自分の知恵の高さを証明したいという欲求からくるものである。
この場合は、お人形にはトロフィー程度の価値しかない。
お人形そのものが欲しいわけではないのだ。

人間の大概の欲望は、効率的に解消できる様になってきている。
先の征服欲だと、スマートフォン1台あれば満たすことができる。
先史の時代では、屈強な兵士が兵法に合致するように教育し、戦場に赴いて初めて戦いの準備ができる。
密偵からの情報などほかにも複数の要素が必要であることは疑う余地がない。
そして戦場の指揮をして勝利をして初めて、征服欲が満たされるのだ。
もし敗戦した場合はどうだ。
征服欲が満たされないどころか、最悪の場合は自分の首が獲られてしまうだろう。
この様に、全能感という大きなリターンを得るためには、大量のコストを支払う必要があったのだ。

では、現代の人間が征服欲をどの様に満たしているのか考ていこう。
先述したが、スマートフォン1台と少しの時間があればいいのだ。
スマートフォンでできるゲームは山ほどあり、その中に対戦型のゲームも数多く存在している。
ゲームである以上、プレイヤーが活用する情報というのは、お互いに知る権利がある。
自分の手駒がどの程度の強さなのかをしりたければ、インターネットで検索するだけでよい。
そうするだけで、従順で期待を裏切らない兵士たちを敵陣に送り込む準備が完了する。
対戦相手に敗北したところで、首が離れることはない。
通勤中に目の前の中年男性の首が飛んだ、という話など聞いたことがない。
それに、負け方によっては次に活かせる学びも得られるのだし、芸術と言えるほど完膚なきまでに叩きのめされると、かえって気持ちがいいこともある。
この様に、スマートフォン一台あれば、通勤中の数駅間で征服欲を満たすことができる時代なのだ。
時に、この様な現代の軍師、名将たちを思い浮かべてみて欲しい。
彼らはみな、子豚を倒すほどの力すら持たないだろう。

【余談】今月は私の人生を200時間無駄にした

筆がノッてしまったため、余談を多分に挟んでしまった。
私も現在、仕事のための仕事に忙しく、毎日遅くまで残業して対処している。
普段の私は18:30ごろから部屋の明かりを落とし、基本的にアロマキャンドルの火だけで生活する様にしているため、遅い時間まで光を浴びてしまうと即日で自律神経のバランスが乱れてしまう。
一言で言うと、仕事のせいで夜寝られないのだ。
なぜ外が暗いのに残業をすることが合法なのかがわからない。
だから過労死する人が後を絶たないのだろう。

なんだかんだで気がついたら2時間半も経ってしまっている。
明日は特に忙しくなると言うのに。
まぁ、どれだけいい仕事をしたところで、私と数名の上司が時間を潰しただけで終わるのだが。
仕事の量とは関係なく残業時間が少ないと、他部署に暇だと思われて人員を削減されるからそれを避けたいと言う理由で残業をしているのだ。
現在私に与えられた任務は、私が作成した資料をより上司好みのものにするためにその上司と打ち合わせを重ねるというもので、完成した資料は再雇用で碌にパソコンを使うことができないとある人間に引き渡した後、役目を終えるという。
今月だけでも私の人生を200時間以上無駄にした計算になる。
まだ終盤に差し掛かった段階だと言うのに。
200時間あれば何ができるだろうか。
少なくとも「失われた時を求めて」を読破することが可能だろう。

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