記憶を変換させる努力
みなさま、こんにちわ。
雨音と濡れた路面と雨露で色濃くなる木々の葉はとっても好きです。美しい時季だと思います。
今、私は自分を好きになる努力中です。これは大変な作業です。
最初に実感したのは20代の後半に中学の担任の先生と会った時でした。 先生の記憶の中にいた私と目の前にいる私があまりに違うので驚かれました。その時は10代の私と変わらない方がオカシイと先生には笑って応えましたが、それなりに心の負の部分がグリーフとなり疼きだしている時でした。
次は再就職をした時です。 何も楽しくない日常からの復活を目標にしていましたが、 普通を「レベル10」だとするとその時の私は「レベル4」くらいのテンションで楽しいと思えない時の中で過ごしていました。
私にとって「レベル4」でも、そこで出会った人にとっては目の前にいる私は普通に「レベル10」に思っていたわけで、誰も私が苦しみの中にいることを知りません。新しく出会った人に心の苦しみを打ち明けるなんてしませんから。 少しづつ少しだけ先が見えてきた時に人間関係に亀裂が生じました。
それは私の人生を大きく崩壊するものでした。
人が怖くなりました。笑って優しそうな人もお腹の中で何を考えているかわからないと思うと新しい人間関係を築くことができなくなりました。 スーパーで買い物中に営業の男性が話しかけてきたり、電車で隣に男の人が並んで立っただけで気絶しそうになりました。まったく見ず知らずの人なのに。女の人でも元気のいい闊達な人がいるとエネルギーを吸い取られるようにフラフラになりました。多分。。。私は重い鬱だったと思います。
この時に治療を受けていれば、こんなに長引かなかったと、今は思います。
その後も信頼していた人の裏切りや嘘・・・どうしてそういう人と出会ってしまうのか・・・自分をますます嫌いになって行きました。
その「辛い出来事」が上塗りされて膨らんでいく自分が嫌で嫌でたまらなく、こんな人生じゃなかったはずと何度も泣いて消し去りたいと切実に願いました。が、やり直しなんて出来るわけもなく、心療内科に通院し、カウンセリングも勧められましたが、保険適応外の治療費を捻出できない経済力。 それもまた自分の不甲斐なさとなり苦しめました。
最近になってやっと、それらの負の出来事が私を苦しめ、人生を歪めダメになってしまった私ではなく、全部含めて「私の人生」・・・耐えてここまでやってきた私は「敗北者」ではなく、長い時間かけて耐えてきた「頑張って生きてきた私」じゃないかと、自分に優しい言葉をかけて抱きしめてあげて良いのではないかと・・・そんな風に思える日も出て来ました。
歯医者に行っても接骨院に行っても健診に行っても「力を抜いて下さい」と言われるほど、いつも無意識に踏ん張って力でガードしている。 ただいまその力を抜く作業中です。
本当の私じゃないと否定していた昔の私も私自身だった。 どれも紛れもない私だったのに。
人間不信に落ちた事々を良いように変換は出来ないけれど、どれも私でだから今、人の痛みのわかる私がここにいるとポジティブに気持ちを変換するように努めている所です。
気持ちに波はありますが、これで良かったんだと、ひっくるめて思える愛しい私を創造することが、これからの私への道筋になっていくと思考変換中です。
拙い文章ですみません。