第7回 教員から研究者へ。「教える人」を支える研究で未来を創る(後編)
今井 彩さん(明星大学通信制大学院 博士後期課程在学中)
前編では、ソフトボールに夢中だった学生時代から、DC2を応募するまでの足跡をたどりました。後編では、今井さんの研究活動の内容に加え、子育てなどプライベートについて、さらに未来に向けた想いも語っていただきました。何事にも全力で取り組む今井さんの姿勢に、多くの刺激をもらえると思います。
「ひとの幸せって何だろう」ということを考えることにつながる研究です
研究では、特別支援学校高等部にて行われるキャリアガイダンスの取り組みをインタビュー等で明らかにし、得られた成果をもとに教育現場への介入を図り検証する。「教員それぞれが行ってきた指導を言語化し意味づけをしたり、生徒の変化につながる指導とは何かを教員と考えたりしながら、ガイダンスの作成や研修を実施し、それを特別支援学校で進路指導にあたる教員への支援につなげていきたいと考えています」と今井さんは言う。現場で実態を調査し、介入し、顕在化を図り整理をすることで、生徒のキャリア形成に役立つ教育とは何かを具体化・具現化。それを教員の進路指導の支援へと結びつけていくのだ。
さらに並行して特別支援学校の卒業生を対象にインタビュー調査を行い、進路決定のプロセスを追うという研究も進めている。2つの研究を同時進行させながら、教員・生徒・企業・保護者など全方向にわたり最適解を探究していく、進取の気性に富んだ研究だ。
インタビューが主となる今井さんの研究は、単に言葉で発せられたものを拾い集めるだけではない。何故そう話すのか、そこにどんな力が働いているのか、話し方やその人の背景、時代・経済・文化的な側面と細部にまで思考を巡らせていく。特別支援学校の卒業生へのインタビュー調査でも、彼らが進路決定時に考えていたことと、時間が経過した今当時を振り返り考えたことは、イコールになるとは限らない。さらにそこへ知的障害が加わることから、インタビュー側には高い専門性が問われることになる。
「彼らと一緒に探っていくような研究の方法を取っているのですごく時間はかかります。ですが、『人の生き方に少しお邪魔させていただいて一緒に追体験していくような研究』は楽しいですよ。研究対象は障害がある方ですが、そこに焦点を置きつつも、『ひとの幸せって何だろう』ということを考えることにつながっていく気がしています。指導教員の島田先生も、障害がある方の生涯にわたる生活や彼らの幸せについて研究を重ねてきた方なので、話をしているとすごく勉強になります」。
「難しいのは、教員が生徒のためにと思ってやっていることでも、生徒がどのように感じているのかは、実際のところ教員も保護者もわからない部分があるということ。そこは私が振り返りや検証を繰返しながら明確化する必要があります。生徒自身がしたいと思ったことをどうやったら実現できるのか、その方法や知識・スキルを与えられるのが教育者です。だからこそ教員がしっかりとしたエビデンスをもって指導できるようになることが、教員支援のポイントになると考えています」。
息子がきっかけで知ったスペインサッカーに、障害者教育との共通点が
毎日平均9~10時間、ときには15時間くらい研究に費やしているという今井さん。空き時間はわずかのように思えるが、秋田県サッカー協会の委員と秋田市サッカー協会の理事を兼任し、サッカー普及のための活動もしているというから驚く。
「息子がサッカーを始めた時に息子に教えるためにも、まずは自分がきちんと学ばなければと思い、審判と指導者の資格を取得しました。教員であることの血が騒いだというか、何でもハマるとどっぷりつかってしまうタイプなので(笑)」。そこからサッカーとの縁ができたという。
その長男は、中学の時にスペインサッカーを学びたいと山梨県にある全寮制のサッカーアカデミーに入り、高校生の現在は、奈良県にあるプロクラブのユースチームでサッカーをしている。「息子が小学生の時にスペインサッカーにハマって、とことん調べたのですが、ヨーロッパの指導方法が、特別支援の世界の考え方にとてもよく似ているのです。これはぜひ経験させてあげたいと体験キャンプに参加したことが、彼がサッカーアカデミーに行くきっかけになりました」。とことん調べ、あらゆる選択肢を見せて、話し合い、可能な限り体験させる、そのうえで何を選択するかは子ども本人にゆだねていく子育てだ。
彼女の夫は元バスケットボールの選手で、現在は知的障害のある女子バスケットボールチームの秋田県代表監督をやっている。互いに特別支援の世界で教える立場にあることから、『教えること』に自然と目が行くという。そんな今井家の子育ては、『型にはめることなく、一人ひとりに合わせた指導をする』といった特別支援学校の教育指導と変わらない。
障害者にもモラトリアムがあっていい。そんな未来を創りたい
特別支援学校の生徒の多くは、高等部卒業後に『就労する』もしくは、『福祉事業所へ行く』の2択を迫られるそうだ。彼女はそこに3つ目の選択肢として『進学』という手段も入れることはできないかと模索する。「障害がある子どもって、経験値よりも経験の幅そのものが狭かったり、障害の特質もあったりして発達が人よりもゆっくりなんです。ゆっくりといっても同年齢で比べた場合の話です。時間をかけて学習し経験を積み重ねれば、社会に適応して働ける力を十分に備えられると思います」。
確かに大学等に進学し、自分の生き方を模索するモラトリアム期を過ごす若者は少なくない。なぜ特別支援学校に通う学生は、18歳で職業選択の2択を迫られるのか。『進学』という学びの場で、社会に出るための心の準備をする期間があってもいいはずだ。
「特別支援教育やキャリア教育の研究を通して、『多様な人の多様な生き方と、多様な幸せの在り方を支えるための学び』を子どもたち一人ひとりに提供していきたいと思っています」と今井さんは言う。それは、障害者教育の研究という目の前の課題に向かいつつ、彼女が描く未来が、障害者に向けられたものだけでは無いことを意味する。
「今後は特別支援学校以外の学校種にも目を向け、学校や社会に適応することに難しさを感じる子どもたちへのキャリア教育や、進路指導についても研究を進めたい。また教員不足の中でも、教員の仕事に魅力を感じてもらえるように、大学で教員養成にも携わりたいとも考えています」。『教育』という名のすべてが少しでもより良くなるよう、彼女の挑戦は続く。
「息子が中学卒業時にくれた手紙に、『ママは自分のやりたいことに向かって一生懸命頑張っていて、本当にすごいと思います』と書いてくれました。私としてはその言葉をそのまま息子に返したいくらい、息子から影響を受けているのですが。さらに夫に向けて、『パパは、ママや僕がやりたいことをやれるようにずっと支えてくれて、本当にすごいと思います』と書いてくれましたが、全くその通りで(笑)。私に刺激と活力を与えてくれる息子と、私がしたいことを全力で支えてくれる主人のおかげで、私は頑張ることができているのだと思います」。
研究活動とサッカー協会の仕事、さらに磨いたソフトボールの技術は朝野球のチームで活かしているという。「どこかで休みたい自分もいるのですが、休めないんですよね。丈夫が取柄なので、この丈夫さを世のために使いたいと思っています」。底知れぬ気力と体力、そして果てなき好奇心に脱帽する。今井彩という人間が創る未来を見てみたいと、彼女と接した誰もが思うのではないのだろうか。
今井彩(いまいあや)プロフィール
1983年秋田県生まれ。小学校からソフトボールを始め、高校3年時の熊本インターハイ出場を機にプロ選手を目指す。2002年4月富士大学経済学部入学。大学4年次に2007年開催予定の秋田国体のソフトボール強化選手に選出される。2006年3月同大学卒業(学士)。同年4月臨時講師として秋田県の特別支援学校に着任。その後2010年に秋田県特別支援学校教諭として採用になる。2021年4月秋田大学大学院教育学研究科 専門職学位課程・教職大学院入学。2023年3月同大学院修了(修士)。同年4月明星大学通信制大学院教育学研究科 博士後期課程(博士課程)入学。一般社団法人秋田県サッカー協会一種委員会と女子委員会の委員および一般財団法人秋田市サッカー協会の理事として主にサッカーの普及活動に尽力。
<所持する教員免許状(取得年度)>
2002年:中学校教諭1種(社会)、高等学校教諭1種(地理歴史・公民)、2012年:特別支援教育教諭2種、2022年:特別支援教育教諭1種、2023年:特別支援教育専修