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「愛するということ」を読んで

ぉはょ

エーリッヒフロムの「愛するということ」深かった。(小並感)
なんだっけな、愛とは
配慮
責任
尊重
知る
らしい。
ふむ。そうかも。

あと、フロムの「自由からの逃走」?みたいなやつも、興味深かった。
封建主義は、君主の元に農民が仕えるみたいな、
各々に役割が与えられていて皆が皆己の存在意義に揺らぐことはなかったけど、
資本主義のこの自由な社会になって、歯車ではあれど役割を与えられるわけではないので、

役割を得たところで歯車になるという構図が爆誕し、
しかもその役割を得る為に個々人の努力や環境などが左右されるというvery hardな構図が爆誕してしまって、みんな承認欲求や孤独に喘いでいるという話だった。

家族が欲しいというのも、結局は居場所と役割が欲しいのだろう。
正社員になって責任と職務は増したが、
しかしながらこの役割には「社会的に正社員であるという安心感」や、「金融機関や不動産、敷いては社会からの信頼」が含まれ、会社には居場所が存在することになる。
(やはり派遣の時は派遣さんという感じで、外部社員という感じは否めなかった。)

居場所と役割。
個人の承認欲求と帰属欲求。
自由であることの負荷。

結婚して旦那と子供を得れば女は母として、男は父として、
または妻と旦那として、社会的立場と家庭内での役割ができる。
私には、東出のような、、いとも簡単に役割を得ておきながら無造作に捨てる人間がガチのマジで理解できない。
なんだアイツ。

そんな簡単に役割をポイって捨てる選択ができるのが、その精神がいっそのこと羨ましい。

私は結局のところ社会規範に属したい人間で、
(要は寂しがりなのだ)
きちんと働きたい。
会社でも一員として認められたい。
家庭が欲しい。
家族が欲しい。
旦那に愛されたい。
友達にも今のまま構って欲しい。

みんな失いたくない。
自身の家族関係が希薄だからそれを社会に求めているのだろう。

けど、昨今そうじゃない人間や友達が沢山いて、
自由やなーと顔をしかめると同時にその身軽さが羨ましいな、と思う。
私は寂しいから人との繋がりを欲してやまないし、
あんまり理解はできない。

というか多分私の方が「普通」なんだろう。
別に悩むほどのことでもないなあ。そしたら。

愛されてこなかった人間が、愛するって、難しいなあ。
やっぱりこの寂しさとか、空虚とかの根底は毒親にある。
が、
そうだが、、もう親のせいにするのをやめたのだ。
連絡もとっていない。
友人はきょうだい児らしくて病んでいたが、私も親が精神病!と手を挙げたら、
「親は先に死ぬ」
と。
目から鱗。

たしかに。
まじか。
親って先に死ぬわ。

それを聞いてマジで目から鱗だった。
生まれて初めて、「母親」が精神障害でよかった、とポジティブに思えた。

よ、、、、、よかった、、、、。。。
そのことを気づかせてくれた友達マジありがてえ。
毒親に苦しんでいる、または苦しんだ仲間たちよ。
親は先に死ぬぞ。

なんだかそう思えば、少し気が楽になる気がしないか。
自立してしまえば家庭なんて関係ないのだ。
あとは自分次第。
あなたが、私が、どうしたいか、どう生きたいか、
言ってみれば自由だ。

まあ、この自由がしんどいんだけど。
でも毎日ヒステリで怒鳴られて打たれ続けてうずくまって泣く生活よりは何倍も何倍もいい。

だから私は親が精神障害でよかった。
先にいなくなるから。

介護は絶対にしないと言ってあるから、その心配もないだろう。勝手にのたれ死んでくれ。親族が面倒を見るだろう。

関係を経って半年以上経過したが、やっと「お荷物だ」という気持ちに慣れてきた。
結局のところ共依存だったのだ。気持ちが悪い。
「お荷物」ならば放り出してしまえばいい。
親の役割を全うしない親など親と思ってやる必要もない。

わたしは私で幸せな人生を歩むのだから。
やりたい放題、ね。




追記
そういえば昨日はサッシーに似てると言われた。
そしたら横の人がさっしーより可愛いって言ってくれた。
こないだは本田翼に似てるって言われた。
嬉しい!
嬉しいけどなのになんで結婚できない⁉️
お世辞⁉️
うおおおお
頑張るぞ
今日は相談所に申し込んだので資料作りをがんばります。(なみだ)
あとスパイファミリーおもしろい。
アーニャかわいい。
アーニャかわいい・・・(遅すぎる、流行り)
圧倒的に男の子派だったけど、娘が欲しくなってきた。
アーニャを、産みます。

敬具

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