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朝だ

なんだか朝は胸がキリキリと痛むことが多い。
大抵はこのように吐き出すことで大丈夫になるのだが、今日は書くことがあまりないかもしれない。
今朝はやはり不眠がひどく12時に眠り4時に強制起床した。
目覚ましはかけないので(これを言うとどんびかれるが、そもそも連続して寝れないタチなので問題がない)
8時ぴったりに目を覚ました。
まあだから7時間は寝れたのだ。眠剤なしで。とても頑張ったと思う。
(4時〜5時は何をしようが寝付けなくて悶えていたが)

昨日はあまりに眠れなくてデエビゴ2錠を突っ込んだのだが、逆に覚醒してしまい(デエビゴは死ぬほど効く時と全く効かない時で差があって辛い)死ぬ思いをした。漢方と抗不安剤を飲んで何度か眠れたが、それでも一日眠かった。

眠れないかもと言う不安なしに眠りにつきたい。
一体なんだってこんなに眠れないのか。
寂しいのか、先行き不安か、それともトラウマか。
きっと先行き不安だとは思う。

しかしTwitterをやっていた頃全くもってコントロールできなかった自分が、少しコントロールできている気がする。

昨日だって、在宅勤務して、昼休みにフィットボクシングをして、勤務後は自炊して「マイ・インターン」を見て配信を見て寝た。
仕事終わりの5時間の過ごし方が圧倒的に違う。Twitter依存だった頃は、「あ、寝なきゃ」と言う感じだった。
気づいたら夜。気づいたら朝。気づいたら家を出る時間。
それが今は、
夜までに〜して、朝までに〜して、家出るまでに必ず〜をして、と言う考えが浮かぶようになった。

というか。
色々な人間とメッセージを交わしていて思ったのだが、一番イラつくことは
「くだらねえおもんない自分語り」

「自虐ネタ」
だ。
「〜お勧めされて見たけど寝ちゃった」
「まだ〜できてない」
こう言う自分を下げてこちらの同情を買うような報告は、私も前までしていたが、今は頭がクリアになったからわかる。
普通に迷惑。
うざい。
それで?と言う気分になる。
お前の感情の世話をさせるな。同情を買うな。おもん無い言葉の処理をこちらにさせるな。どう書けば人が返信しやすいのか、相手のためを思った言動ができないのか。
そんな気分だ。

しかし、私こそ少し前まではこうだった。
でも気づかなかった。ネガティブな自分が周囲に与える悪影響に。
知らず知らずのうちにポジティブな人間に自分が助けられていると言うことに。ポジティブな人間たちは余裕があるから余力でダルいけど俺らみたいなのを構っていてやっていると言う事実に。
もう既にそこには優劣の差が出来ている。
優位たたれているのだ、向こうに。

こんなんじゃダメだ。こんなんじゃいけない。
私も優位に立たねば。

マイ・インターンはそれはそれはいい映画だった。
なぜつて、「普通の善人」についてとても細やかに書いていて、お手本になるからだ。
「周囲に良い影響を与える人間」
について、私もそうなりたいなあと思った。
もちろん今の私のままでいいのだ。いいことにはもちろん、しかしもっと良くなりたいのだ。これは純粋たる向上心である。
思えば「普通」と言う言葉に含有されているのは「普通」という言葉通りの意味だけでは無い。

「普通」とは全てのバランスと統率がとれた最も良い状態であり、限りない努力の上に成り立つ高度なものであり、高度な「普通」以上のものが求められる社会と、高度な「普通」を獲得したがる私たちで作られている。

「普通」になる。
一番後悔しない道だ。
「普通」が嫌な人もいるだろう。
がしかし、私は「普通」が好きなのだ。

小さな頃から得られなかった「普通」を手にして、一度落ち着いて見たいのだ。
そしたらこの胸のぽっかりと空いた穴と不安感も、少しはマシになると思うから。

みんなで幸せになろうと、そう願いたいのだ。

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