僕と界隈

挨拶、自己紹介、はじめに


初めましての方もそうでない方も皆さんこんにちは。「めいぱん」と過去呼ばれた者です。ここ数年メディアで話題の【界隈】皆さん行かれてるでしょうか?まぁ間違いなく行かない方がいいんですけどね。さてとまずは軽く自己紹介をします。僕「めいぱん」は2003年大阪生まれの21歳独身男性です。2021年9月頃〜2022年5月頃まで大阪の【グリ下界隈】にて[グリ下の帝王](まとめ役みたいなもの)をしていて2023年9月から12月くらいまで東京のトー横(東宝シネマ横)界隈にて[トー横の帝王]をしていました。現在はモデル業と並行してバーテン見習いとまぁ色々しています。前置きはこの辺にして、今回のお話の舞台、【トー横界隈】と【グリ下界隈】についておさらいします。


【界隈】の発足、成り立ちについて


【トー横界隈】ここ数年よく耳にしますよね。主に悪い話だと思いますが。2021年新春コロナが流行ったのは記憶に新しいと思います。その頃から東京新宿歌舞伎町TOHOシネマのすぐ横にあるローソン、アイラブ歌舞伎町の前で人知れずたむろする人達が居ました。家庭の事情で学校に通えない、家に帰りたくないそう思う少年少女です。はじめ、そこに溜まる彼らは自撮り界隈(自撮りを撮り、それをSNSへと載せ承認欲求を満たす人間の集まり)の数人でした。未成年への喫煙や飲酒に緩い場所、それが当時の歌舞伎町でした(今もですが当時は今よりももっと緩かったです)彼らは日を追う事にどんどん人数を増やしていきました。Twitterやyay等のSNSでその集まりを知った者、歌舞伎町で働くホストやコンカフェ、メンズコンカフェキャスト、そこに集まるのも自撮り界隈だけではなくなりました。そうして【トー横界隈】は少しずつ大きくなっていきました。大きくなった場所にはその秩序を守るものが現れます。それが[トー横の王]と呼ばれる者でした。彼は圧倒的なカリスマ性と整った顔立ちでそこにいる数多の人間を魅了し、彼に従わない者は居ないと言っても過言ではありませんでした。そうして[トー横の王]となった彼は2021年春大阪へと繰り出しました。
【グリ下界隈】こちらもここ数年よく耳にしますよね。大阪難波のグリコの橋(ひっかけ橋、戎橋)の下の遊歩道にたむろする若者達です。2021年春頃既にたむろしていた数人と前述した[トー横の王]が合流し命名された場所です。言うなれば大阪における【トー横界隈】でここにも家庭の事情で家に帰れない少年少女、難波にて夜職をしている者等が集まっています。そしてここも変わらず未成年喫煙飲酒が溢れています。次はなぜこの時期に【界隈】というものが出来てしまったのかを紐解いていきましょう。

なぜ'この頃'【界隈】が出来たのか

僕が思うに3つ程理由があると思います。
1.コロナ禍で外出自粛のムードが流れ、必然的に家庭で親と顔を合わせる機会が多くなり逃げ場が欲しかった為。前述した通り初期の界隈には家庭に事情がある子達が多くそんな中家族が家に頻繁にいる、自粛のムードが流れている為行く宛も無かった、のだと思います。

2.コロナ禍で自粛ムードが広がりホテルが安かった
彼らが家から逃げ出したとしても行く宛が無い為意味が無いと思いますよね。ところがどっこい当時はビジネスホテルが安く、難波のア○ホテルに至っては1泊3400円という破格の安さでしたからね。コロナが落ち着いてきた今ではそのホテルも1泊10000円を超え、値段はコロナ禍以前より高くなっています。

3.病んだ日本の子供の受け皿
これを読んでいる皆様には関係の無い話かもしれませんが今の日本は病んでいます。家庭内における虐待、学校の中のいじめ、SNS上での誹謗中傷、晒しや暴露がここ数年異常に増えています。全てが狂っています。僕も兄から虐待を受けていた過去があり、そしてそんなに狂っているのにマイノリティは受け入れられない。地雷系、顔にピアス、男の化粧等全てが当時は今ほど受け入れられてなく上記に該当する人間は「変わっている」と周りに思われていました。そんな病んだ世の中、同じような者とコミュニティや意見を分かち合いたい、そういう空間が出来るのは時間の問題だったのでしょう。


僕と【界隈】

自己紹介に書いてある通り僕は大阪生まれの人間です。
僕が何故【界隈】と関わったのかをここでは記載していこうと思います。興味のない方は飛ばして頂いて結構です。2021年4月僕は高校に通いながら現場仕事をするという生活を送っていました。当時僕はyayというアプリでネットの友人とよく遊んでいました。オフ会のようなものも参加したりネットではそれなりに充実した日々を送っていました。そんな僕にネット上に彼女が出来、その彼女と僕は半同棲を始めました。彼女の家から学校に通い仕事に向かい、何も無い日は実家へ帰るという生活サイクルを送っていたある日yayの友人に「yayの共通の友人が飛び降りて亡くなった。原因はトー横にある」と聞きました。当時の僕は【トー横】なんてものを知らなかったので多数の人間に聞き回り、そしてTwitterで調べていました。【トー横界隈】と調べ、1番上に出てきたのは15歳の紫髪の少年がホームレスっぽい老人をボコボコにするという正直イカれた動画で「狂っている。これは死人が出るのも頷ける」と僕は思いました。そんな中調べを進めていくと僕が住む大阪にも同じような【グリ下界隈】があるということを知りました。そして【界隈】を調べていた僕に同棲していた彼女は「私はグリ下界隈の人間とツテがある」といい当時の【グリ下界隈】を仕切っていた[グリ下の王]を紹介してくれました。僕は彼のSNSを詳しく見ました。そこには【トー横界隈】とは全く違った地雷系達の姿を見ました。彼らはその[グリ下の王]に従い溜まっていた遊歩道の地面を雑巾がけしていました。又僕は[グリ下の王]と連絡を取るようになり人を動かすことが出来る彼に次第に心酔するようになりました。彼女とは別れ、実家にて彼とやり取りを続けていたそんなある日彼は僕を難波へと誘いました。人生で始めて行った夜の街は美しく煌びやかで妖艶な雰囲気が漂い、自粛中の真夜中だと言うのに人で賑わい眩しく見えました。彼に呼ばれた場所に行くとそこにはグリコの看板があり、その橋の下へと僕は彼に連れられ初めて行きました。そこでは10代と思われる少年少女が15人程で酒を飲み回していました。彼がどこかに消え僕は何をしたら良いのか分からず立ち竦んで居ましたが彼の声が聞こえてました。「お前飲めや飲めへんねやったら来んなや」テキーラの瓶をもつ彼がそう言い放つ先には15歳程の少女が土下座をしながら「すいませんもう飲めません」と泣きながら言っていました。そう言って泣いている少女の髪を彼は掴み無理やり飲ませて笑っていました。僕は彼が怖くなりましたがそんな非日常的な言動が溢れている空間へと溶け込めているようなそんな不思議な感覚に陥りました。彼は僕の方へ歩み寄りテキーラの瓶を僕へと渡しました。僕は彼が僕に嫌悪感を示すかもしれないのがとても怖くテキーラを飲みました。人生で初めてのテキーラでしたが不思議と悪くなくむしろ心地が良かったです。数時間経ったあと彼は僕のSNSのQRコードを手に「俺の友達のTwitterやけどお前らフォローするやんな?」と大きな声で言いました。この日僕はグリ下界隈の一員へとなったのだと思います。僕は彼が友達だと言ってくれたこと、1番最後まで残り、ゴミ掃除をしていたのを見ていたので怖いとはもう思わなくなり人を動かすカリスマ性のある彼に憧れを抱いていくこととなります。

【トー横界隈へ】

【グリ下界隈】へ行った2日後僕は人生初の関東へと行きました。ネットで新しい彼女が出来、彼女は横浜に住んでいた為彼女と会うついでに【トー横界隈】にも行ってみたくなったのです。無事横浜に着いた僕は彼女と合流し、渋谷という街へ初めて行きました。渋谷の大きなドンキで、憧れだった彼と色違いの俗に言う芋ジャージを買ってもらいドンペンTシャツを羽織り、ドンペンサンダルを履きました。彼女は僕にお揃いのバックや服を買い与え歌舞伎町のホテルまで取ってくれました。そして彼女は予定があった為家へと帰り、僕は1人で【トー横界隈】へと向かうことに。そこにはコロナ禍と思えない空間が広がっていました。【グリ下界隈】とは比較にならない程の人数が鏡月というお酒の回し飲みをし、大きな声でコールをしていました。そして1週間程当時の彼女に貢がれ毎日2〜3万円とホテル代を貰って養ってもらう生活が日常となっていた当時の僕を悲劇が襲います。僕の当時の行いを全て某暴露系配信者が晒しそれにより彼女が離れてしまいます。ホテル住まいをし毎日遊んでいた僕は一転歌舞伎町のホームレスへと成り下がりました。そしてそこで大阪の【グリ下界隈】から来ている少女や複数の「リアコ(リアルに恋しているの略であり、好きになった男性へと金品を貢ぐ界隈の女の子の名称)」と出会い僕も少しずつ狂っていきます。貢がれるのが当たり前だという歌舞伎や難波の狂った考えに僕の脳が侵食されていくのです。

貢がれ、そしてその金で大阪へと帰還

東京に降り立ったのが7月20日頃。そして8月18日「リアコ」のお金で大阪に帰還します。その頃の僕は既に十分狂って居たのだと思います。貢がれて当然と思っており戻って暫くして【グリ下界隈】にも馴染むことが出来ました。その頃の記憶は全て詳細に覚えています。ホテルに【グリ下界隈】の人間10人以上と泊まっていたこと、【グリ下界隈】にコロナが蔓延し殆どがそのホテルから追い出され別のホテルへと移ったこと、【グリ下の王】が居なくなり新たに別の人間が【グリ下の帝王】という肩書きを得たこと。その帝王とやらは前の王とはうって変わり好き勝手していたこと、全て昨日のことのように覚えています。そんな中雑談たぬきという掲示板のトー横界隈スレッドにてこんな書き込みがありました「〜〜(現帝王の名称)はあまり人気がなく次の帝王はめいぱんか?」この書き込みを見た時僕は本気で「やっと憧れの彼と同じ土俵に立てるかもしれない。」「僕なら今のグリ下をもっと楽しい場所に出来るかもしれない。いや、できる」と思っていました。そしてその帝王と話し僕は【グリ下の帝王】と成ったのでした。

【グリ下の帝王】と成った僕

自分で言うのもなんだけど僕は帝王にこの上なく向いていました。周りの意見を聞き入れ、揉め事が起これば全て仲裁し解決する。そして皆が嫌っている者や物は排除する。それを徹底した僕の評判はみるみる上がりリアコも腐るほど増えていきました。馬鹿なリアコは1万で僕とのプリクラを撮ろうとし僕へと入る金額も馬鹿にならなくなってきました。住んでいたホテルに毎日のように届く遠方のリアコからの靴や、服。僕は全てを手に入れたのだとこれこそがあるべき王の姿なのだとそう思い込みました。2022年4月に至ってはそういったお金だけで月に196万を得ることが出来、全てが順風満帆でした。それでも出る杭は打たれます。この世の中は盛者必衰であり何より日本は法治国家です。

【界隈】に来てから1年、そして逮捕

7月6日、僕は久しぶりに羽を伸ばそうと歌舞伎町のホテルにいました。その日は朝からゲームセンターにでも行こうと9時半頃から外をブラブラしていました。その時数人の成人男性が僕へと詰め寄り肩をつかみこの言葉を言い放った「〜〜〜〜(僕の本名)君だよね。逮捕状が出てるからちょっと来てもらえるかな?」彼らは大阪の私服警官で歌舞伎までわざわざ来たらしく僕は頭が真っ白になりました。そのまま車へ入れられ手錠をかけられ東京駅へと向かっていく車の中で、僕の頭は理解が追いつきませんでした。暫くして新幹線へ着き手錠の上に布を掛けられ僕は両サイドを警察に挟まれながら大阪難波にある南署へと連行されていました。罪状は器物損壊罪と傷害罪恐喝罪の共犯。5月頃グリ下で知らない子のMCM(10万程のバッグ)をノリで燃やしたこと、またその際友人がその少女からお金を受け取っていたこと、また当時の【界隈】にあった土下座させて頭を踏みつけるというノリ等を少女の親が被害届を出したらしいということ。その頃既にそして確実に界隈は変わっていたことにそこで気づきました。かつての王なら何をしても許される空間ではなくただ常識を持った地雷系の溜まる場所へと変化していました。その事に気づけなかった僕や共犯は留置所への20日の拘留の後鑑別所へと移送され僕も共犯も保護観察の処分を受けました。僕が捕まっている間は別の少年が【グリ下の帝王】の代理をしていましたが僕が出てくる前日に代理をしてくれていた少年が捕まったと後に聞きました。


外へ、そして社会へ

忘れもしない8月18日鑑別所を後に炎天下の中外へと出た僕は「これを機に更生しよう」と深く誓いました。2021年の12月頃メンズコンカフェで働いていた僕はそのツテで別のメンズコンカフェへと入店し、10月に入店したばかりなのに僕はかつての繋がりを利用しその店の売上No.2組数に至ってはNo.1へと成り上がりました。そんな安定した日にも飽きが来てしまい2022年12月31日その店で働くを辞め、またグリ下へと通い始めました。あんなに深く誓った更生はやはり僕には出来なかったのです。

2月.トー横へ

2023年2月圧倒的な寒さの中僕は僕の貢がれのスタート地点、トー横へと足を運びました。何がしたいのか自分自身分からなくなってしまったからです。宿もなく当時のトー横にリアコも居ない状態でそれでも僕は向かっていました。過去全てが始まったその場所でやはり神は僕を見捨てませんでした。そこで僕は新たな彼女と出会いました。彼女は僕をホテルに泊めてくれその間の食事代等も全て提供してくれました。無事1ヶ月程トー横ライフを満喫した中で「やはり僕は貢がれることが天職なのだ」ということを再認識させられました。僕は彼女を連れ彼女が出してくれたお金で大阪へと戻りました。

全盛期と変わらぬ勢いへ

そこから3月.4月彼女とトー横へと行きました。彼女は体を売り僕を養ってくれていました。それが当たり前と勘違いして僕はトー横でどんどんリアコを増やし続けました。5月には友人の墓参りがあったので彼女を連れ名古屋へと向かいました。そこで彼女が推していたアイドルに僕もハマり彼女と一緒にライブに行ったりして6月名古屋7月東京へと行きました。そして8月彼女は彼女ではなくリアコに対してばかり時間を作る僕を見限って僕の前から消えました。僕はそれでも8.9.10月とトー横へ向かいどんどん増やしたリアコと時間を共にし養ってもらっていました。そして9月後半僕は遂に【トー横の帝王】に成りました。僕が成ったきっかけは忘れましたがそれでも僕の知名度は爆発的に増え月の収入も貢がれだけで300万を超えていきました。

鬱、退屈、飽き

【トー横の帝王】と成った僕でしたが当時全てに退屈を感じ全てに飽きていました。満たされすぎた反面300万もあってもパチンコ等に使うしかなく僕は「OD(オーバードーズ、市販薬や処方箋を通常より多く服用することでトリップすることが出来る)」へと逃げ、お金の使い道も薬が大半を占めるようになっていきました。このままだと自分の身体が持たないことなどとっくのとうに分かっていましたがそれでも現実を見ていたくなかったのです。退屈を感じていたくなかったのです。満たされない僕は11月12月を東京へも行かず大阪の親友の家で過ごしていました。親友もODをしていた為彼と居ると安心してしまったのです。そして1月全てが変わります。


1月、成人式、歌舞伎町へ、親友の逮捕

2024年1月8日友人に呼ばれていた僕は私服で成人式へと向かいました。着替えるのも面倒くさかったのです。僕より稼げてない猿どもを心の底で馬鹿にする為にその場へと向かいました。親に金を出してもらって大学に行く猿に、仕事をしているのに僕の20分の1以下の稼ぎの猿。僕は世の中の全てを馬鹿にしていました。9日の明朝二次会が終わり難波へと帰った僕はその日が変わらぬ内に歌舞伎町へと向かいました。やはりトー横にしか僕を理解できる人間は居ない。それを成人式や二次会で再認識させられたのです。トー横に着いて数日経ち、それでもやはり僕は退屈で全てが嫌になっていました。そんなある日大阪の親友が逮捕されたというニュースが流れてきました。恐らく未だに調べたら出てくる【グリ下の帝王】逮捕というニュースの彼です。僕は世の中と警察を憎みました。親友を取られつまらない退屈な世の中から消えてやろうと思いました。数日後僕は自○未遂をしたそうです。記憶が無いけど意識が覚めると僕は新宿の警察署に居ました。何故かは分からないが保護されていたようです。母が始発の新幹線で迎えに来てくれました。どうやら1度友人が迎えに来てくれて解放されたらしいがまた同じことをしたということらしいです。次は保護者でなければダメと言われ母がわざわざ来てくれたようで母には感謝、謝罪をしてもしきれないです。携帯を開くとアルバムにはパックリ割れた手の甲、ズタボロな腕、血まみれのベッド、血で真っ黒になった湯船の写真がありました。母は警察署から連れ出した僕に「新幹線代持ってきてるけど帰る?」と問いかけました。僕はホテルを取ってくれていた子への謝罪も挨拶も出来てなく帰る訳には行きませんでした。駅へと向かう母を後目にタクシーで僕は1人歌舞伎町へと戻りました。僕はどうしようもない人間だと、そう自分自身で思いました。

もう何度目か分からない大阪への帰還

2024年3月僕はホテルを取ってくれていた子を連れ大阪へと帰りました。2ヶ月も歌舞伎町に滞在していたのは初めての事だったがこうなればもうどこに居ても変わらない気がしました。3.4月とその子は僕の為に毎日ホテルを取り続けてくれました。ある日その子は急に僕の目の前から姿を消しました。もう疲れたんだろう、僕も全てに疲れた、そう思い僕は家に引きこもることにしました。

5月8日、何度目かの逮捕

2024年5月8日朝11時頃警察が家に来ました。なんだろうと思いドアを開けると逮捕状を突きつけられ僕はまた逮捕されました。また南署だ、僕はもう焦りませんでした。むしろリアコを作らなくとも何もせずに食事にありつけて寝床も貰え髪も切れて服も切れる、全て疲れていた僕はそう思い逮捕すらも受け入れました。捕まって数日、退屈に耐えることが出来ず僕は弁護士を呼び6月27日保釈が成立した。

蒸し暑い陽、自由、不味い煙


拘置所の外に出ると外は既に蒸し暑くなっていた。300万円の保釈金を払い僕は裁判までの2ヶ月間犯罪を犯したり住所を移動したり逃走しない限りは自由の身となりました。帰り道いつも吸っていた煙草を購入し吸いましたがその味は不味くとても吸えたものじゃありませんでした。8月27日裁判は無事終わりました。

現在の僕

現在の僕は自己紹介でも話した通り4年前から続けている個人での被写体等のモデル活動、バー店員としてきちんと働いています。金銭感覚を戻すために昼職も探しています。あの頃は楽しかったけどそれと同時にとても苦しかった。そして今も退屈で辛いけれども仕事をしている時は全て忘れることができます。

今の【界隈】

衰退して人も減りトー横グリ下も4年前に比べると名前を聞く頻度も下がりました。今後も人は減り続けるでしょう。それでもどこかの誰かは今日も【トー横界隈】を名乗り【グリ下界隈】だと誇っています。1番不幸なのは僕なんかじゃなくファッションや友達欲しさに【界隈】に近づきそしていつの間にか染まってしまい抜けれなくなった彼らだと僕はそう思います。

最後に

ここまで読んでくださった方。しがない一般人の僕の拙い文章を読むのは苦でしたよね、申し訳ございません。生憎僕は頭がよろしくないもので。そしてここまで読んだ人の中にはむしろ【界隈】に興味を持った人も居ると思いますが先人からのアドバイスとしてはそれでも近づかない方がいいです。断言しますが人生がそれによって好転することはないです。今現在僕は抜けるべきだと思っているが未だに歌舞伎町や難波から完全に抜け出すことが出来ていません。そんな僕は2021年に独り取り残された立派な【界隈民】なのかもしれませんね。



おわり‼️

いいなと思ったら応援しよう!