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矩(かね)

 頭の中に消化できないまましこりのようになった出来事があって、言葉が出づらくなった。

 最近大工をしていて矩(かね)という言葉があるのを知った。縦と横との関係が直角に交わっていることを指す言葉。これが合っていなければ、歪んだ家が建つことになる。問題はここで基準。何を基準に矩をつまり水平と垂直の関係を作るか。それが歪んでいればいくら矩が出ていても歪みが生まれ、それは広がり続ける。大事なのは基準を見つけること。そして、1番大元の基準は重量だということ。目に見えない重量を探す。今でも使うけれど昔から錘をつけた糸を使ったり、水を入れたホースで水平を見たらしい。でもよく考えれば水平器もレーザー墨出し器でさえ水を使っている。一見流動的で掴みどころがないようなものの存在によって強固な家が建つに至る。何よりも素直な水だからこそできることだ。

 自分という存在を見つめ直すときにも水平器や差し金のようなものがあればいいのにと思う。基準があればと切に願う。人はいつも主観的に物事を見ざるを得ないし、自分のこととなるとなおさらだ。だから人はよく比べる。誰かと同じであることと誰かよりも優れていることを見て安心し、誰かと違うことと誰かよりも劣っていることを見て不安を覚える。けれど、その相対的な基準はとても曖昧で誰も人の心を確かめることは出来ないから覚束ない。そこに定規を当てて生まれた線は歪で次の瞬間には使い物にならなかったりする。

 力を抜いてみる。そうすると色んなものが崩れて傾き始める。水が低いとこへ流れていくように相対的な物事に対しての執着や憧れが、誰かが誰かを支配するために作り出した規律や常識が肩から滑り落ちていく。代わりに、全てのものが違いを持ち変化し続けていることを知る。一度として同じ波がないことを感じる。最後は底の方まで流れて大きな溜まりに。残るのは足の裏に感じる流動的で確かな水平。そこから矩を探る。

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