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恋はするのではなくおちるもの。マッチングアプリが向かない私の悩み。

結ばれる恋人とは、出会ってから3ヶ月以内に付き合うことが多いという。そして、その付き合うまでものデートが「3回」なのも、よく言われることだ。だから、なんとなくお互い意識してる相手と会う約束をとする時は、2回目、3回目となるとそれなりの覚悟というものを持つのだろう。

私は、人を信頼するのに人一倍時間がかかる。
3回目のデートで付き合うことを決めるなんてそんなことはできなかった。まず、デートに誘うかいなかまでも、じっくり考えすぎてしまう。だから、大人になってからの恋愛には本当に向いていない。まだ数回しか会ったことない私に対して「好きです」なんてオーラを出されても「貴方は私の何を知って???」と疑問になるし、疑問になるからこそ、相手を信じることがより一層できなくなるのだ。

胸を張って「彼氏がいた」と言えるような彼氏と別れてから、恐ろしいことにもう片手年程経つ。一応その間、付き合うか否か?なことは何度かあったが、結局毎回ちゃんと付き合う感じにならない。本当にタイミングが合わない。(タイミングの原因は、私が相手を好きになるのが遅すぎるが9割かもしれないが…)「あ、この人いいかも?」と思った時には既に相手の恋愛対象外になっているし、私の気持ちがそこまで行く前に相手から接近されれば、私はむしろ反発したように拒絶してしまう。以前、「恋愛はタイミングと勢いだ」ということを書いたが、そう言いながらも当の本人はタイミングを全く掴めないという残念な話である。

そんな私にも、一時期マッチングアプリを使用していた時期がある。「恋愛をしたいならば行動しなければ」と、何度か挑戦してみたが、うまくいくことはまったくなかった。結果として得られたことは、恋愛目的で使うのならば、あまりにも自分にはアプリは向いてないということだった。

アプリは、ひたすら「条件」との突き合わせだ。ルックスも性格も、常に誰かと比較し、より合う(と思っている)人を探し求める。そのおかげで、最初から相手に多くを求めてしまうのだ。

気づいた時には好きになっていた人であれば、飲み込めたであろう多くのことを、私は受け入れることができなかった。

通常ではありえない速さで、アプリは多くの人と「出会う」ことができた。しかし、いくら表面上合う要件が多くても、あまり関わってない状態で好意を見せられても、私は嬉しく思うことができない。私のことが好きとかではなく、単に彼女という存在がほしいだけなのではないか?などとめんどくさい疑念すら抱いてしまう。

考えてみれば、私は相手を好きになる時、その人が自分のために何をしてるか、周りの人に対してどう接してるか、が重要なことが多い。そこに尊敬を感じ、そんな人に私も大切にされたいなって思った時に恋に落ちている。とすると、マッチングアプリは基本一対一で、お互いがお互いのプレゼンしかしない。客観的な判断状況をつくることができない。私にとって、これは大変致命傷だった。

ある時、マッチングアプリをしながら「もし、この人と違うかたちで出会っていたら、私がこの人に抱く感情や想いは変わったのかな」と思うようになった。
この出会い方でなければ、恋愛的に好きになっていたかもしれない。
その時、私はアプリをやめた。
せっかくの多くの出会いが、もったいないものとなってしまう。

私にとって恋愛は「する」ものではなく、「おちる」ものなのだ。だから、自分にとってアプリは恋愛向けではない。

では、結婚はどうだろうか?
以前、恋愛相手はライバルと結婚相手は同志という話をした。

となると、同志を見つけるという意味では、婚活サイトや結婚相談所はまだ自分にも可能性があるかもしれない。

若さというのに甘えて、もう少し私は自分の恋愛に賭けてみたい。「恋に落ちる」ことを、許されるならばもう一度、したい。社会人となった今、難しいことは重々承知だけれど、今は焦らず、自然の出会いを望むことにした。

でも、数年後「結婚がしたい」という今の意志が変わらないのなら、恋愛への願望を捨て、人生の同志探しに舵を切る。その覚悟を持つんだぞと、私は自分に言い聞かせながら。

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