見出し画像

お気に入りの洋服は、母と祖母のお下がり。

いつの間にか「青春」と呼べる年頃は過ぎ、それにより、私の心にはポッカリ穴が空いているように感じている。
「青春」の定義はそれぞれだが、私にとっての「青春」は
「胸が高鳴るドキドキを感じ、」
「夢中になって」
「(自分らしく)表現をする」
の3つを持ち合わせたものだと思っている。

社会人となり、気づくとそのような「青春」と呼べるものはどこかに置いてきてしまった。


話は変わるが、私のお気に入りの服は、母のお下がりだ。
ロングコート、ブラウス、ジャケット、セットアップ。
ここぞと決めていきたい時は、たいてい母が私の年頃に着ていた服を選ぶ。そこに、つい先日、祖母のお下がりも追加された。

Aラインのワンピースに手袋のスタイル、ブラウスに丸襟、可愛すぎて見ているだけでも幸せだ。肩パットなんて、入っていたらハイテンションだ。
(ちなみに、私は肩幅が平均女性より確実に広い。それでも肩パットの入った服は着たい!!!)

特に母親が私ぐらいの年の頃はまさにバブルの頃で、だからか、色使いが派手だ。今の東京で着ていても、なかなか目を引くデザインをしており、原色赤のジャケットとバックが出てきたときは、
「地方の田舎に住む母がほんとにこれを私服で着ていたのか??」
と疑問(を通り越し不安)に思い、思わず聞いてみたところ
「買い物に〇〇(県庁所在地)に出かける時に着ていってたんだよ(ウフフ)」
だそうだ。地方都市に出たとしても、十分派手だったのではなかろうか??
バブル期真っ只中に地元でOLをしていた母の楽しみは、地元の都会に出ていき、バーゲンを狙ってデパートで洋服を買うことだった。
田舎だろうと派手かろうと、着たいと思った洋服を着る。
この洋服たちは、母の青春だったようだ。

先日、祖母から譲り受けた洋服も、私ぐらいの年に祖母が着ていた物だ。
肩にまで広がる繊細なレースのブラウスや、サテンのような光るグレーのシャツ。身内を褒めるのは気が引けることだが、祖母のセンスの良さを感じてならなかった。
そんな祖母には、片手指になるかならないかの年数であるが、OL時代があったそうだ。田舎で、若い女性が社員として会社勤めをしているのは、この時代では珍しく、祖母は少し誇らしげに語っていた。その時の祖母の楽しみは、月のお給料で、1着好きな洋服を仕立ててもらうことだった。
「この時代は洋服屋さんなんてないから、仕立ててもらうしかなかったのよ(ウフフ)」
と祖母がいう。
祖母のためにつくられた、一点ものの洋服たち。
祖母にとっても、洋服は青春だった。

そんな、母と祖母の青春そのものの洋服は、今は私の家にあり、私の私服として活躍している。現代の洋服屋にてあまりほれ込む服と出会うことがない私は、好みの母と祖母の服を愛用しているのだ。ある意味、母と祖母の洋服へのDNAが自分にも流れているのかもしれない。

そんな私は、実はまだ古着屋デビューをしていない。
というのも、踏み入れたら最後。バンバン洋服を買ってしまう未来が見えているからである。
「やっぱり、好きなはずなのに行ってみないのはもったいないよな」
なんて思ったり、
「いやいやそんなお金はないでしょう?」
なんて思ったり。
心の中でそんなやり取りを永遠に繰り返し、結局行かずじまいでこの年まで来てしまった。
今や社会人となり、潤沢にあるわけではないが、それでも、自由にできるお金は学生の時よりも多くなった。

私も、次の給料日のあとにでも、踏み込んでみようか。
「もしかしたら新しい青春を送れるかもしれない」
そんな可能性に賭けて。




いいなと思ったら応援しよう!