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私の心を蝕む”自立”

「精神的な自立は、経済的に自立しないと難しい。だから私は、”働かなくてもいい”という状況になったとしても、それを選びたくはない」

これは、つい先日、トイレで上司と一緒になった時、上司が言った言葉だ。
それ以来、時間があるとつい、この言葉について考えてしまう。

というのも、私自身もこの言葉を信じてきた人間であり、それ故に様々な自分の選択肢(可能性)を潰してきたと、この頃よく感じていたからだ。

私の母は、専業主婦だ。
ただ、完全な専業主婦ではなく、週に何日かはパートとしてフルタイムで働きながら、家事と子育てを一切引き受けていた。
父は、仕事の人だ。皆が起きるまでに出勤し、寝静まった後に帰宅していた。休日に出勤をしていることも多く、子どもの頃に父親が家にいた記憶はあまりない。子育てには結果は求めるものの、その過程に関心なかった。

そんな父が、我が家のお財布は握っていた。
家のことは一切母がやっていたが、お金を握るのは父。

それ故に、母や娘の要望が父には重要と判断されないことがしばしばあった。そもそも相談にすらのる気がない(まず家にいないから話すチャンスもない)。私や妹も、父に希望を頭ごなしに否定され、資金援助をしてもらえないことには、子どもながらも「おかしくはないか?」と思っていた。
(そんな状況でも、どうしても娘の教育に必要な経費が出てくる。それを補填するため、母はパートをしていたのが、実際の状況であった。)
しかし、母はそんな父に対して、強く言い返すことはなかった。それは、夫の仕事の苦労を知る一歩下がった妻だの、そんな美しい話ではない。父に対して発言する力がなかったのだ。経済力がない母は、大げさに言えば、生きる全ての決断を父に委ねるしかなかったのだ。求めれば「誰がそのお金を出すんだ?」という話になる。そういわれてしまうと母に勝ち目はない。

父との関係に悩み、気を病むことがあった母は、離婚を提示する力もなく、要望を強く突きつける力もなかった。実際、父以外、ことを決める権利がない。今日どこでご飯食べるかすらも。私たちの生活は、完全に父親に依存するしかなった。

そんな母の様子を見てきた私は
「自分の力で自分が生きていけるように、働き続けたい。仮に結婚することができたとしても、いつ離婚しても困らないようにする。」
と中学生の頃には心に決めていた。

就職活動においても、「ずっと働き続けることができるか。父の力を借りることはなく、自分の力でここで生計をたてることができるか。」ということが、かなり重要な基準になっていた。その思考が、自分自身の「やりたいことやってみたい」という感情を押し殺してしまった。

結果、私は「生活したいところで生活する」ということができ、自分1人の衣食住と少しの娯楽を楽しめる程度に生計をたてることができた。おかげで、多少の精神的な苦しさは「好きなものを食べる」「欲しいものを買う」「楽できるところはサービスを使って楽をする」というように経済的に決断し、解決することにより、乗り越えられるようになった。もともとの性格もあり、ラーメン屋も一人で入り、一人旅も、一人カラオケもする。一人を理由に諦めることはなかった。

しかし、その代償に、未来への希望や夢は、早くもどこかに置いてきてしまった。加えて、誰かに頼ることが苦手な大人となった。

はたから見ると、私は俗にいう「自立した女」なのだろう。
そして、このように生活に困らず生きていることには、本当に感謝している。
しかし、「自立」に執着して生きてきすぎた故に、何だが人生における大事な何かを、失っているような気がする。そんなことを思ってしまうのである。




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