10月の日記、読んだ本
転職してなんとか無事に一ヶ月が経った。今のところはやっていけそうだと感じている。クビにならなければオッケーの精神でやっていきたい。
今まで片道10分(徒歩)の通勤時間だったのが、片道電車で1時間半(乗り換え一回)になった。往復で3時間。やば。有意義に使いたい、と思って本を読んだりNHKラジオを聞いたりして過ごしている。だらだらYoutube見たりしないようにしたい。
十月に読んだ本
『あるノルウェーの大工の日記』(オーレ・トシュテンセン著)
『冬の森番』(青野 暦著)
『素粒子』(ミシェル・ウエルベック著)
『地図と領土』(ミシェル・ウエルベック著)
『死んでいない者』(滝口 悠生著)
①『あるノルウェーの大工の日記』
前にパートナーである31歳人間と互いに選書する回をやった時に選んでもらった本 https://note.com/mein_tagebuch/n/ne2d47a7783d6
自分の手を動かして、順序よく仕事を進めていくことに対する誇りと喜びに溢れていて良かった。その一方、職人の社会的な見られ方や現状を憂いたり、仕事での不安や心配事も率直に書かれてるのも印象的だった。あまりこういう職業の方の文章を目にすることがないのもあってめちゃくちゃ面白かった。どういう経緯で出版に至ったんだろう? Webで書いてた日記が出版社の目に留まったのか? 出版前提で日記を書いたのか? わからんけど、この日記が世に出て日本語訳が出て良かったな〜と思った。あと紙がサラサラで手触りが滑らかで良かった。電子書籍も良いけど、こういう紙や装丁にこだわれるのは本(物理)の良いところだな。
②『冬の森番』
これも31歳人間に選書してもらった詩集。表題作が良かった。
良い温度の生活の詩だなーとおもった。わたしも日々何を食べるかを楽しみに生きて、その合間に仕事をして、着ているセーターに名前をつけたい。自分でも詩を書くけど、過度にエモーショナルになりがちなので、こういう温度と湿度の詩を書きたいものだ。
③『素粒子』
あらすじとしては、文学青年くずれの国語教師と天才生物学者の異父兄弟の一生を描いた作品なんだけど、ずっと「人生は辛いしこの世は生きるに値しない」という話をしている。
それを突き通せるのがすごいなと思った。なんか、昔は「生きるのが辛い」の小説を読むと、分かるわかる! ってなってたし、それがある種心地良くもあったけど、30にもなると、人生が辛いことなんてみんな分かってるんだよな、と思う。不条理なことも悲しいことも悔しいことも、みんな何かしら経験してる。それは分かったから、それでも、このどうしようもない世界で一瞬きらめくものを見せてくれよ、と思うし、メタ的にもそちらの方が書きやすいのでは、と思うが、ウエルベックは違う。人間なんかクソだし、人生のいちばん美しい瞬間は幼児の頃に光に向かって三輪車を漕いでいた時で、あとは下り坂だ。耐え難く唾棄すべきこの人生、ということをずっと書いている。賛否両論を巻き起こしたというこの小説、さもありなん……と思いながら読んでいた。自分が賛なのか否なのかスタンスに迷いながら読んでいたけど、エピローグまで読んでやられた、と思ったし好きになっちゃったな。人に勧めたいかって言ったらわからないけど、もし読むならエピローグまで辿り着いてほしい。出てくる女性の役割が「理解のある彼女くん」でしかなくて、男たちの苦しみを深めるための舞台装置的に見えてしまうな〜と途中までは思ってたんだけど、最終的にこの筆者にとって登場人物の全てが「愚かな人間の生きている限り続く苦しみ」を描くための舞台装置でしかないんだなと思ってからはそんなに気にならなかった。でもそこが引っかかって読めない人はいるだろうなと思った。
④『地図と領土』
素粒子が面白かったので同じウエルベックの本を読んだ。ある芸術家の一生の話。面白いのは、作中にウエルベック役として作者ウエルベックが登場するところ。「あの素粒子の作者、ウエルベックだ!」みたいなことを作中人物に言わせてるの面白い。芸術家である主人公がどのような作品を作り、世間にどのように評価されたのか描くところで、ちょくちょく絵画作品や写真、映像についての具体的な文章が続く。架空の芸術作品を文章のみで描写するという困難をある程度素晴らしく成し遂げているなと感じた。生きることへの諦めや人間のしょうもなさは感じるが、素粒子ほど激しい人生への嫌悪は感じなかった。
⑤『死んでいない者』
ある老人が死に、そこに葬儀のために集まった親戚一家の一晩の話。視点が流れるように移り変わっていくのが面白い。葬式に現れなかった故人の孫、寛の場面は結構胸にくるものがあった。寛はうまく親になることができず、二人の子どもを残して失踪してしまっているのだけれど、ある時、まだ失踪する前、電車に乗ってこんなことを思う。
あるいは無邪気に自分を慕う子どもたちと過ごしながら、内心でこう打ち明ける。
親でいることの不安をこういう風に書いているものはあまり読んだことがなかったので驚いた。寛は結局耐えられずに逃げてしまうのだけれど、それでも電車に乗りながら、もう一度川が見えたら生まれ変わろうと思ったことがあり、人間ってこういう葛藤の中で生きているんだよなあと思った。
十月の日記
十月六日(金)
無事に新しい職場で一週間を終えたご褒美に、駅ナカのケーキ屋さんでケーキを買って帰る。可愛いケーキ。31歳人間が雲の形のチーズケーキを食べて「一番美味しいかも」と言っていた。
十月七日(土)
風の気持ちの良い朝。二回洗濯をする。いちばん良い朝だよと31歳人間に教えてあげる。池袋のジュンク堂で本を選び合う会をやって、そのあと高田馬場に移動して、一時間並んでトンカツを食べた。美味しかった。
十月八日(日)
昼まで寝た。夕方買い物に出掛けていく。夕食は各自で食べる。帰宅したあと食べたものの話をしてたらたまたま二人とも別々の場所でごぼううどんを食べており、謎のシンクロにウケた。
十月九日(月)
祝日。前の職場の人とランチ。ガレットとシードルというおしゃれな食い物を食べつつおしゃべりをして楽しかった。
十月十四日(土)
ルピシアでノンカフェインのお茶を買う。年々お茶が美味くなっていってる。
十月十九日(木)
匿名ラジオを聴きながら出勤。あーこれは、あーハマっちゃうの分かる、元気でるし通勤のお供にちょうどいい。
31歳がいちばん美味しいと言っていた、会社の最寄駅のケーキ屋さんのチーズケーキ、改装で品揃えが変わって取り扱いがなくなっていた。速攻でオキニのケーキがこの世から姿を消した。最近こういうこと多いな。
十月二十四日(火)
Youtubeでたまたま見ていたFIREに関する動画のコメントで、「退勤するときの気持ちよさが好きすぎるからまだ退職する気にはなれない」みたいなものがあり、いい考え方だな〜と思う一方で、わたしはそんなに爽快に退勤できたことないかも……と思った。いつも一日のバッドコミュニケーションを悔いている。退勤時間はいつもandymoriの「カウボーイの歌」の「今日も誰かに 嫌われたかな」の部分がリフレインしている。被害妄想だし誰も積極的に自分を害してはこないのはわかってるけど、上手くやれない自分にガッカリしているんだなあ。爽快に退勤してえ。
十月二十八日(土)
31歳人間と別々に夕ご飯。帰宅後何を食べたかの話をしたら二人とも日高屋で限定メニュー「旨辛温玉ラーメン」を食べており、また謎のシンクロをしており、ウケた。
十月二十九日(日)
神保町ブックフェスティバルに行く。去年買った本をまだ積読しているのにやっぱり買ってしまう。本を手に取ってつい「わあ、良さそう」と言ったら隣にいた人が「それ、良いですよ」と言ってくれて、なんか良かった。
十月三十一日(火)
ハロウィンだし、と思ってお菓子を買って帰る。パイのお菓子を買ったらレジの人が「素敵なパイのお時間を!」と声をかけてくれて、接客マニュアルにしても素敵だなーと思った。
そんな感じで一ヶ月が経った。
新しい職場からは東京タワーが見える。夕方、いつもは赤く光っているけれど、時々ピンクだったり緑だったりする。それを平日は毎日定点観測している。
労働しに来ているわけじゃなくて、ただ東京タワーの色を確認しに来ている。そのついでに8時間ほど職場に滞在しているのだ、と自分を誤魔化している。
来週も東京タワーの色を確認しに行くぞ。
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