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正しくあろうとして知らず知らずのうちに本心に嘘をついてしまうことはよくある。

でも、正しさのみによってどうするか決めるのは、例えるなら藁にすがったり、流木に掴まったり、そのくらい超あやふやな概念によりかかること。自分の中に軸がないとふらふら流されて、気がついたらとんでもないところまで来てしまうこともある。

だから、正しさというのは時と場合によって変わるし、人によって全く違うし、見方を変えればあっさりと容易に反転してしまう基準だと理解する必要があると思う。


自分に対して嘘をつく行為は、本当は何がしたかったのかという迷いを生む。だからそういう偽りの本心をきちんと潰していかないといけない。
でも、この"嘘"の方が世間的には正しかったり、そもそも分かりやすい嘘の姿ではなかったりする。
知らず知らずのうちに心に紛れ込んで、何食わぬ顔で本心の横に座っている。そしてそんなスパイみたいな奴によってじりじりとダメージが蓄積されていく。

大多数に承認された"正しさ"にすがって、手当たりしだいに"正しさ"を取り込んでいると、自分の内側から蝕まれていって自己融解を起こす。正しくなければならないと思い込んで、本心を無視したまま突っ走ったとき、壊れてしまうのは周りや社会ではなく自分だ。そして何もできなくなってしまうのは本末転倒だ。


もちろん、正しいことは素晴らしい、みんなのためになることはすべきだ。
でも世間的な正しさや社会的な倫理というのは基本的にその共同体の繁栄に貢献できるかどうかという尺度で測られているので、ひとりの人間が生きていくとき、ちゃんとそれが自分に合っているのか吟味してく必要がある。

だからこうやって自分の思考と向き合って文章という形にして、本当にこれは自分の気持ちだったのか、ただそう思い込まされているだけなのか確認していくことが必要なことだ。
結局その"正しさ"が自分に合致するものとして受け入れ、結果的に鵜呑みにすることと同じ行為になったとしても、自分なりの考えを踏まえた気持ちだと確信する過程こそが自信に繋がるのだと思う。

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