politics

みんなあっさり煽動されててびっくりした。

ルサンチマンを煽れば簡単に飲み込まれてしまうのだとつくづく思う。

政治っていうのは対立する意見が妥協する場であって、勝負して自分の意見を100%通す場ではない。だから相手を負かしてみたいな発想はそもそも違う。

また政治とはゴールが明確ではなく、どれだけ多くの人が利益を得られるかを探っていく慎重なやり取りの場なのであって、お祭り騒ぎにしてエンターテイメントに落とし込まれてしまうのは危険だ。現代における魔女裁判でしかない。そして行き着く先はただその一時の大きな感情のうねりによって人の命が左右されてしまう無秩序な社会だ。

確かにみんな政治の話はすべきだが、とりあえず政治の話に触れていればOKというわけでもなく、そのレベルが低ければむしろしないほうが良いのではないかと疑問に思うこともある。あっさり扇動者に乗せられる程度の思考ならむしろ社会を混乱させて悪化させかねない。

ミュージシャンや芸術家が確かな思想と理想を持っているならば意見を発信するのは構わないと思うが、深く考えずに周りに流されて発言するのは浅はかすぎる。また音楽や芸術はそれ自体がエネルギーを持つものなので、たいていは扇動を悪化させる一助にしかなっておらず、根本的解決からどんどん遠ざかってしまうことになっている。

政治に参加しようと思って取り組むものの、結局様々な意見が交錯していることに脳の処理が耐えられないと多面的な見方ができず短絡思考に陥り、本当に国の将来や社会のシステムを考えているわけではなく、普段から抱えている超個人的感情の私怨の延長にしかなっておらず、怒りの発散場所の口実にしている人が多いと思う。

政治は誰かを引きずりおろすための場ではない。罪の裁きは裁判所でやるべきだ。政治をするということは、批判一辺倒で終わるのではなく、指摘した後はみんなで善後策を考えていかねばならないはずだ。私情で人を裁くようになったらめちゃくちゃになってしまうから明確な基準を設けましょうということで法治国家が成り立っていたはずなのに、その前提を理解していないのではないかと考えてしまう。

また主権が国民にあるのが民主主義国家であって、こういう国にしているのは自分たちだという自覚が全然感じられない。いつまでも「虐げられた私達」とかいう被害者意識のままでは旧時代に生きるのも良いところだ。いつまでも幕府様が国を運営してくれていて、不満があったら上様に訴えるというマインドが抜けきれていない。

破壊と再生はセットでないといけなくて、ただ怒りの衝動にまかせた破壊のみになってしまうとアラブの春のように結局もともとの支配体制の方が安定していたなんてことになりかねない。大政奉還、無血開城、明治維新をやり遂げた日本は本当にすごいと思うし、私はこの歴史をもつ国に生まれたことを誇りに思っている。だから、その先人の素晴らしさを現代でも引き継げたらと思う。

衆愚政治の先には破滅しかないのだろうか。それを防ぐ手立てはないのだろうか。ネットという拡散力が指数関数的にあがっている現代社会では煽動の歯止めの効かなさが以前よりも増しているのだろうか。それとも自分と違う意見にも巡り会える機会も増えていて、トータルで考えると結局そんなに変わってないものなのだろうか。人は以前よりも繋がったがその一方で思想の分断は悪化しているのだろうか。情報が溢れた社会での最適な政治の形とはどのようなものなのだろうか。

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