見出し画像

大本・諏訪神党・阿蘇神社等

今日は、大本関係が気になって、朝から、いろいろ調べてる。

大本から、派生した宗教。

【大本教から分立した宗教には神道天行居(てんこうきょ)、生長の家、世界救世教、三五(あなない)教、璽宇(じう)教(璽光尊(じこうそん))などがある。】

大本教始祖。
出口なお。

出口なお(以下、なおと表記)は、江戸時代末期から明治時代中期の極貧の生活の中で日本神話の高級神「国常立尊(艮の金神)」の神憑り現象を起こした。当時、天理教の中山みきなど神憑りが相次いでおり、なおの身に起ったことも日本の伝統的な巫女/シャーマニズムに属する。当初は京都丹波地方の小さな民間宗教教祖にすぎなかったが、カリスマ的指導者・霊能力者である【出口王仁三郎を娘婿とした】ことで、彼女の教団「大本」は全国及び海外に拡大した。大本は昭和前期の日本に大きな影響を与え、現在もさまざまな観点から研究がなされている。

なおは1837年1月22日(天保7年12月16日)、【大工の父/桐村五郎三郎】と母/そよの長女として福知山藩領の丹波国天田郡上紺屋町(現福知山市字上紺屋町)に出生。折からの天保の大飢饉のため両親は減児を相談したが、気難しい姑が断固反対し生を得ることが出来た。だが苗字帯刀を許されたほどの桐村家は五郎三郎の放蕩により没落、五郎三郎はなおが11歳(9歳、10歳とも)の時コレラで急死した。なおは下女奉公に出て働くようになる。

※ 元の苗字が桐村?🤔

桐村 苗字 由来

※ 古代海部の居住地。🤔

1854年(安政元年)、綾部の【出口ゆり(なおの叔母)の強い要望により、養女】となって出口家を相続するが、最初から財産争いに巻き込まれた。出口家菩提寺に10歳のなおが初代出口政五郎の喪主になったことが記録されており、既に入籍済みだった可能性もある。

三女・久を治癒したのが【金光教亀岡教会長・大橋亀吉】であり、これがなおと金光教の出会いとなる。後の神懸かりに、同教が説いた金神の影響も指摘される。

1859年(安政6年)、備中国浅口郡大谷村にて【赤沢文治】(川手文治郎)、後の金光大神(こんこうだいじん)が開いた創唱宗教である。同じ江戸時代末期に開かれた黒住教、天理教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。

現在の本拠地は【岡山県浅口市】金光町大谷である(旧町名由来の金光町という地名は金光教の本部があることから付けられた)。

祭神は天地金乃神(てんちかねのかみ)と生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)である。

※ 出たぁ。諏訪神党!
昨日も、阿蘇神社の御祭神【健磐龍命】を調べていったら諏訪神党。

【神八井耳命】(かんやいみみのみこと、生年不詳 - 綏靖天皇4年4月)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。

初代神武天皇の皇子で、第2代綏靖天皇の同母兄とされる。多臣(多氏)及びその同族の祖とされる。

多氏(おおし/おおうじ/おほし)は、「多」を氏の名とする氏族。日本最古の皇別氏族とされる。「太」「大」「意富」「飯富」「於保」とも記され、九州と畿内に系譜を伝える。奈良時代から続く楽家の一つで、「神楽歌」と「舞楽」を父子相伝した。

※ 神八井耳命【自分は天皇を助けて神祇を掌る】こととなった。

※ 多氏のウィキ ↓

※ いわゆるニギハヤヒ物部系がこの流れ。

※ 著名人を含めて、なるほどな苗字群。

そして、これ。北条との関係。↓

鎌倉時代の信濃武士は、治承・寿永の乱で木曾義仲に味方した者が多く、鎌倉幕府の御家人としては冷遇されることが多かった。比企能員の変後に北条義時が信濃国守護になると、【諏訪氏は執権家北条氏の有力な御内人】となり、将軍から執権へと実権が移る得宗専制の中で、その地位を高めていくことになる。

※ 通りで諏訪系北条氏系と合わない。😅
ナオキマンのサロン用対談で、ハセクラさん過去世で出口なおだった!とか言ってるし。

私から見て、単なる狐憑き。😱

海部から派生した敵キャラなのか。そもそもがコピペクローンで送り込まれたクチなのか。

いずれにせよ、いずれ、消えていく方々かと。😎

気になったので阿蘇神社のウィキも貼っとく。

※ この健磐竜命神=ニギハヤヒ、阿蘇比咩神=瀬織津姫らしい。

※ むむ、昭和天皇。🤔
熊本地震で被災。🤔


いいなと思ったら応援しよう!