使命と生の関係 今大切な意識の抱き方 間もなくやってくる秋分に向けて…
同じお知らせが来ますので記します。
満月の日には、いつもよりいろいろと受け取れるので、もう5つは記事にしています。
まずは、昨年あたりから頻繁に取り上げられている2025年の大災害について。
私の中では初めからそれがないのですが、日が近づくにつれ、そこに意識が向いていく方が多いようですね。
あちらこちらで騒いでいますから当然なのですけれどね。。。
それでもやはり、2025年に向けて、
大切なことは今、現状の私たちの意識だそうで、それを何度も伝えてきます。
特に、秋分あたりに抱いている意識が、そのまま2025年に時間差で現れてくるということでした。
最初から大災害の意識がなかった私でさえ、いらないインプットはされてしまったので、その辺はできるだけクリアにしていこうと思っています。
なので、ここ数週間は特に意識の抱き方に注意をされてみてくださいね♪
肉体を保持したい意識に駆られるのが人間意識で、ほとんどの方がそのようにインプットされてますからね。
知らずのうちに洗脳された私たち。
2025年の行方がとても気になる方も多いんだと思います。
実際に、スピリチュアル的には、未来は確定していて、変えられるのは過去だけなのですが、それらの意味もよく伝わらないでしょうし。。。
しかし、これだけは分かってもらえるかな?と思います。
それは、使命が残されている方は、どんなことがあっても死ぬことなどできない、、、ということです。
これは、どんなにもがいても免れることではありません。
約束したことをまだやっていなかったら、どうやっても死なせてもらえないんです。
よくそういった方がいますよね。。。
窪塚洋介さんなんかはどうみてもそうですよね。ビルから飛び降りても不死身です。
逆に、すんなり亡くなったのであれば、使命はもうとうににやり遂げていていますから、心置きなく地球を去ることができるということですね。
なので、死ぬことは悪いことでも苦しいことでもダメなことでもありませんよね。
私は、祖父のお葬式で、祖父が喜んでいるのが分かり、そんなことを理解しました。
そして、その時はその様な祖父の様子が分かっていたために私が笑っていたこともあり、その場で不謹慎だと叱られました。
何も悲しくない私でしたが、しばらくして、父が縁側で一人ひっそりと涙を流しているのを目撃し、それで、急にものすごく悲しくなってしまったのを覚えています。
真実を知らない残された家族などは、本当に悲しいものですよね。
だから、天界の方々は、そのことも私たちに知って欲しいと思っています。
茨城にいた祖父は、亡くなる直前に病院のベッドで、私の名前を呼び、今すぐに私をここに呼んできて欲しいと言っていたそうです。
それを私は後から聞かされました。
たくさんの孫がいる祖父が、私だけを呼んだのです。
祖父が私に伝えたかったのは、アセンションやら、天使のお話だったんだと後で理解します。
その時、私は東京で国語の授業を受けていました。
中学2年生でした。
祖父は、周りに集まった親類に、自分が亡くなったら梅の木を庭に植えて欲しいと伝え亡くなりました。
家族たちは皆でそれを実行しました。
ですから、私は梅を思い出すと祖父がそばにいる感覚がありますし、
実際に梅の香り、その美しい花に触れ合う度に、祖父がそばに来ていることが分かります。
高次元存在とはそうやって関連づけてやってくるのです。
少しでも私たちに分かるように。。。
話がそれましたが、亡くなることはこの世の終わりではなく、いってみれば地球からの卒業。
お祝いとも言えるのですね。
肉体を離れることにより大幅に自由になり、心も穏やかになります。
もう、時間や空間に閉じ込められることもありません。
一方で、死にたくない意識、その恐れは良くないことばかりを引き寄せます。
医療にしがみつき、薬にしがみつき、死にたくないともがけばもがくほど、苦しみの中を彷徨います。
死ぬ時の痛みや苦しさも、しがみついている方ほど激しいものとなるといいます。
大方の人の実際の死には、天使たちが寄り添い、1人で寂しい思いをすることもなく、苦しみも全くなく、エクスタシーのような幸せの中を向かいます。
なので怖くも痛くもないのです。
その意識はインプットしておいた方が良いと思います。
ということで、
死んでしまって大丈夫なら、そんな災害を気にする必要もありませんし、怖がる必要もまったくないですし、
もしそこで亡くなることがあっても、無事に使命を終えたことが自分でも分かることになります。
だから、余計に今が大切。
いつその時がきても変わらぬ自分でいられるように日々を楽しく過ごしていく。
あなたはこれから何をしたいですか?
2025年に向けて、それらを鮮明にクリアにしておくことがこの秋分の時にとっても大切のようですよ♪
それでは、また。