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花から花へ

No.1   「種まき」
生まれた時は良かったのかもしれない。
いや
生まれなかった方が良かったのかもしれない。

「あなたの存在意義は?」と
問われると何も話せなくなる。

私は不器用に生きている。

私は、生まれつきの気管支喘息で長期入院することとなった、医師や看護師の指導で幼児から高校生までが規則正しい毎日を送る団体行動の環境が私を育てた。

団体行動という生活は
HSP ※(ハイリーセンシティブパーソン)を持った私にとっては過酷な日々の繰り返しだった。
 
年に2回の外泊や面会は嬉しかったが
愛情のない環境が私を毎夜泣かせていた。

様々な病を抱えた子達がいたので私にとってはとても貴重な入院生活となっていった。
酷いアトピー性皮膚炎の女の子もいたし
腎臓が悪く腰からパウチのような物をぶら下げている子もいて中には黄色い液体が入っていた。彼らがどういう状況なのか幼少期の私にはすぐ理解できた。
彼らが偏見の目で晒されるのが多いけれど
自然と一緒にいた私はそれが普通だった。

ただ、全ての偏見がないとは言えない。

大人になってその施設を調べた時
なくなってしまったと知り複雑になった。

看護師になりたかったが
高校受験の時期になると冷静になり
「自分には到底無理だ」と諦めた。

No.2  「枯れる」

愛情という名の水やりもなく。

私は枯れていく。

ヤングケアラーというのはご存知だろうか。
私が小学生3年生の頃に
母が自殺未遂をした。
「お母さん!!」声を掛けても反応しなかった。私は「お父さん!こっち!!」と呼び寄せて、救急車を呼んでもらった。
こんな事が起こるとは思ってない。
「どうしよう、どうして?」
私の心配を他所にお母さんは平気な顔で退院してきた。
「ごめんね」や「ありがとう」もなにもなかった。最初は戸惑い心底、心配になり母に寄り添った。だが「構って欲しいのだ」「承認欲求なのだ」と悟った。

再婚した父との共同経営で家では毎日のように口喧嘩が絶えなかった。
義父である父の事を尊敬し始めたのはその頃からだろうか。
夫婦喧嘩の仲裁に入った小学3年の私に
「どちらが悪いと思うか?」と聞いた。
私はよくよく考え
時に「お母さん」
時に「お父さん」と伝えた。
父は納得し、「お父さんが悪い」と伝えると素直に母に謝ったりした。
私の意見を受け入れ謝る姿勢に私は尊敬した。

母の自殺未遂は終わらなかった。
何度も、何度も。
OD※(オーバードーズ)を繰り返した。
私は冷たいだろうか、母に「裏切られた。見捨てられた」と感じ始めた。

母が狂い始めたのは私が中学2年生の頃からだ。

子供がえりをしては
発狂し
包丁を持ち暴れ回る
畳と襖は包丁で切り刻まれた。

私と父は二人三脚で介抱した。
私は毎日母の体をマッサージしてリラックスしてもらうよう心掛けた。

私の今の親指は変形している。

「お父さん!またお母さんODした!ゴミ箱にいっぱいある!帰って来れそう?」
すぐ仕事中の父に連絡し
「分かった、それまで大丈夫か?」
「大丈夫!ごめんね!」
母をとにかく眠らせ、休ませ。
私たちは繰り返し対応に追われ
音一つたてない生活が始まった。

「あんた!誰!?」 
子供がえりだ。
私を娘と捉えていない。
しかし当時の私はショックが大きかった。
「ママ〜!パパ〜!どこ〜?」と叫ぶ母を宥めるのに必死だった。
「近所のおばさんだよー!」と私は自分の事をそう名乗って宥めた。

父と二人三脚の生活は高校生卒業まで続いた。

No.3   「水遣り」

愛情という名の水遣りはされて来なかった。

褒められる事もなく
抱きしめられる事もなく
大切だよ
大好きだよ
愛してる等、あるはずもなかった。

愛情に飢えていた。

「ねぇ、私の事好き?」
高校生になって同じクラスメートの男の子と交際を始めた。
特別、イケメンでもなく
野球男子であったけれど彼は高3の頃に野球部を辞めた。
ピッチャーをしていた彼を放課後眺めている時は好きだったのかもしれない。

とりあえず、私の事を好きでいてくれて
とりあえず、私の事を大切にしてくれる。

そんな存在が欲しかった。

肉体関係を重ねる事で私の心は満たされていた……ように思っていた。

いくら体を重ねても心は空っぽだった私は次第にリスカ※(リストカット)をするようになった。
滲んで溢れてくる赤い血液を見ると
「あぁ、私は生きているんだ」と確信できた。

「なぁ、私の事好き?」
そう聞くと
「好きやで!俺ら結婚するねん!」
彼は笑って答える。
学年で有名カップルになっていた私達は
「将来、結婚する」という風になっていた。
彼もそう友人達に言っていた。

正直、彼の魅力なんて分からなかった。
優しい?
優しいとは違う、優柔不断で決断する事も出来ない彼に、ニコニコとしながら「うんうん」と聞く彼に。
頼りない彼に。
それでも私は彼にすがった。
けれど彼は裏切った。

私の親友に乗り換えたからだ。

彼はイケメンではない。
なんの魅力があるのか。
何故か彼は親友と別れてからも学年内の2人と取っかえ引っ変え付き合っていたという。

私は心底ウンザリして
彼から貰ったリュックに貰ったアクセサリーやプリクラ、日記、手紙、なんでも思い出となる物を詰め込み。
学校にある彼のロッカーに大きく膨らんだリュックを詰め込んだ。

彼は自分のリュックと、詰め込まれた私からのサヨナラの挨拶リュックを持ち帰る事になった。

私は彼の事を好きではなかったのだろう。
スッキリしたからだ。
何より裏切った事。
彼も親友も。

私は恋愛主義で生きている。
「友達」が少なく「親友」と呼べるほど心を許せる存在はいなかった。
そう、彼が乗り換えた「親友」は私にとって「親友」ではなかった。
心を許せる存在でもなく
何でも話せる存在でもなかった。

結局、私は独りになった。

コミュニケーションというのはとても難しい。
その時代の音楽や恋愛ドラマ、ファッションの流行りに私は乗っていけないのだ。

彼女たちが話す単語たちは
謎だらけで混乱になる。
まるで外国語のようで理解が出来ず
会話に入っていけない。

今の私もコミュニケーションというものは
とても難しい。
「人見知り」だけで済まされないような気がする。

どれだけ仲の良い友達や親友でも
通話や会って話すという状況になると
まず、聞き手に回る。
話題が溢れて来ないからだ。
何故、あんなにもポンポンと話題が出てくるのか不思議でもあり羨ましい気持ちが強い。

そして困難なのは
文章にすればお喋りな私は
口に出して伝えるとなると上手く話せなくなる。頭の中で整理して口に出して伝える事がとても困難なのだ。
その為、私はどんどん無口なつまらない女になっていった。

No.4  「花から花へ」

不器用ながらも
私は「人間が好き」なようだ。

色々な人達から
それと学生の頃の成績表のコメント欄には
「優しい心の持ち主ですね」と必ず書かれていたし、周りの方からも「優しい」と言ってくれる。

なので私は私に関わってくれる
それも
私を大切にしてくれる人々に

「愛情という水遣り」を注ぎたい。

そう、私は不器用だから。
そんな私を理解し
認めてくれる人々に

沢山の花を咲かせたい。



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