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どうでも良いことを考える

本当にどうでも良いことをよく考えてしまう。

こないだは、「子供が意味もなく走っていると微笑ましく感じるのに、何故大人が走っているとネガティブな印象を与えてしまうのか」についてずっと考えていた。

子供はよく走る。急いでいる訳でもなく、誰かから追いかけられている訳でもないのに、よく走っている。
仕事先のイオンモールなんか、土日は走り回る子供たちを避けて歩くのに必死だ。
「おいおい、危ないぞ」と思うと同時に微笑ましくもなる。
生命がほとばしっている感じ?全身で生きているようで眩しくもある。

一方で、大人が走っているところを見たときはどうだろう。
「あの人遅刻しそうなのかな?」「え、何々、襲ってくるの・・!?」「何かに追われているの?!ゾンビ?!警察?!」など、どうしてもネガティブな印象を持ってしまう。
もちろんジョギングをしている大人は、「走りたくて走っています」という姿勢が見えるので対象外(たまに部屋着のようなスポーツウェアでジョギングしている大人を見ると、少しビビる)。
なんで大人は、意味もなく走っていると人目を惹いてしまうのか・・・

理由①
顔が無表情もしくは必死だから。
理由②
身体が大きいから。
理由③
無駄に走るほど体力が残っていないから。

今のところ最有力候補は③。
少ない体力をちびちび節約しながら使っている大人が走るということは、
それだけ切羽詰まった状況なのだろう、という想像が働いてしまうからだ、という結論に一応至った。

別に意味もなく走りたいわけではないけど、
たまには友達とはしゃいで走ってみたり、気分が良い朝に走って家を飛び出したりしてみたい。

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