3月

飼っていたハムスターが2週間前に亡くなった。この気持ちを誰かに話して楽にはなれないし、なりたくもなかったので、ずっとひとりで考えていた。

1才9か月になり、もうそろそろシニア。色々な変化が起きていた。ここ最近はペレットをよく残すようになっていた。好きだったキャベツもブロッコリースプラウトもあんまり食べなくなって、色々な食べ物を買ってきて試したり、ペレットをふやかして団子にして渡してみたり、試行錯誤していた。でも、粟玉などの好物のおやつは食べていたし、わたしの顔を見ればケージから出せ出せとアピールしていたし、毛並みもよく、夜は回し車を回して、食事量が減ったこと以外はいつも通り元気だった。

亡くなる1週間前くらいから、そういえば回し車の音で目が覚めたり、わたしが夜中にトイレに起きる気配がしても、ケージから出せ出せとアピールしてこないことに気づいた。

毎日体重を測って、軽く体のチェックをする。いつもどこも変わったところはなかった。その日もいつものようにおやつをあげながらチェックしていると右の耳の後ろが少し禿げているように見えた。あれ、と思ったけど元々耳の後ろは毛が薄い場所なので、禿げてしまったのかがよく分からない。家にある3冊の飼育本や、ネットを検索しては、栄養のある食べ物や、毛が薄くなる原因を調べて色々と出来ることをしてみていた。

とりあえず週末に一度病院へ連れて行こうと思っていた。でも週末になるとまた元気になっていて、おやつもよく食べるし、耳の後ろもそんなに禿げているようにも見えない、やっぱり気のせいかもと思い、結局病院へは連れていかなかった。代わりにペットショップで色々なおやつ、違う種類のペレット、栄養ゼリーなど買って来た。わたし自身が苦手という理由で避けていた虫もあげたほうがいいのかも、と栄養価の高いミルワームやコオロギを粉末状にして固めたおやつも買ってみた。

こまは、買ってきた乾燥ブロッコリーの葉を気に入ったようでわたしの手の中で、パリパリと食べてくれたし、ナッツもポリポリと食べる姿に安心した。

週明けの月曜の夜、いつものようにおやつをあげながら撫でていると、ふと膿のような臭いがした。鼻を近づけると耳の後ろあたりから臭う気がする。普段のこまは全く体臭がなかったので、いつもとはやっぱりなにか違う気がすると感じた。体重を測ると32g。ここ1ヶ月くらいの体重と全く変わらない。でも持ち上げた時、手のひらに乗せた時の感覚が、ぐにゃりと軽く感じて、いつもとなにか違う、重みが感じられない。体に力が入っていない軽さ。やっぱり昨日病院へ行くべきだった。連れて行っても栄養をとるように言われるしかなかったかもしれないけど。今週末こそは絶対に病院へ連れていこうと決めた。ハムスターの1日は人間の10日に当たる。土曜日まで待つという事は、50日も放置しているのと同じことだ。なんでわたしは先週の土日に、病院へ行かなくても大丈夫だと思ってしまったのだろう。いままで病気ひとつしなかったこま。まだまだ変わらずにいると思いたかったわたしは、ちいさなサインを見落としていた。

飼い始めの時以降、全然噛まなかったこまが、1か月前くらいからたまに嚙むことがあった。なんでも食べていたのに、好き嫌いが激しくなった。でも、ほとんどは噛まないし、日によってはパクパク食べてくれたりもした。だからまあ、気まぐれなのかなと思っていた。ジャンガリアンは元々わがままな性格ということもあり、その少しの違和感を気のせいにしていた。長く続くならまた意識も違ったかもしれないけど、本当にごくたまに、あれ、と感じるくらいだったので、大丈夫と思おうとした。でも、こまの性格から、ちゃんと気づいてあげられていたら。

月曜の夜、違和感を持ちつつも、こま自身の様子は全く変わらず元気で、ポリポリとアーモンドを食べるこまを見ていたら、とりあえず今週末病院へ行くまでは、このまま様子をみていいかもしれないと思っていた。

火曜の朝、ケージを覗くと、いつもはこんなところで寝ないのにという場所でこまが丸まって寝ていた。こまちゃん、今日はここで寝てるの、指でそっと撫でようとすると、いつもは起きてくるのに反応がない。手のひらに乗せようと持ち上げた時の感触がいつもと違う、筋肉が弛緩しているような、張りがなく、だらんとしていてうまく持ち上げられない。しばらく撫でたり、呼びかけたりしたけど、反応は薄い。でも呼吸はしっかりしている。

あんまり触らずにそっとしておいたほうがストレスがないかもしれないと思い、そっとケージに戻した。まだ寒かったから、もしかしたら疑似冬眠してしまったのかもと、パネルヒーターの温かい所へ移動させてみたりした。疑似冬眠の症状と対処法を調べてみたけど、こまの状態はそれには当てはまらないような気がして、どうしたら正解なのか分からずにうろたえる事しか出来ずにいた。

本当は休みたいけど、急に仕事を休むことも出来ずに、とりあえず仕事に行く支度もしながら、洗面台とケージの前を行ったり来たりしながら、気づけば30分近く時間が過ぎていた。

準備を終えて、時計を見るとあと10分で家を出る時間だった。10分の間に、またこまの体勢をなるべく苦しくないように直してみたり、その度に負担がかかって余計に命を削ってしまっているような気がして、どうすればいいのか分からなくなっていた。それから3度ほど大きくしゃっくりのような動きをしたのが最後だった。

家を出る5分前にこまは動かなくなった。目の筋肉が緩む瞬間をわたしはただなにも出来ずに見ていた。ぎりぎりまで休むかどうか考えていたけど、もう出来ることはなにもなくなった。どこから間違えたのか、どこからかやり直せるなら、やり直したかった。

帰ったら、きれいにしてあげるから、夜まで待っててね、ごめんねと声をかけるしかなかった。

電車の中で、昼休みに、帰りの電車で、何度もペットカメラをみていた。

ペットカメラを祈るように起動させて、こまがもし、あそこから動いてて居なくなっていたら、もしかしたらまだ生きているのかもしれない。そう思いながら、何度見てもそこにこまの姿は朝から変わらないままあった。

家に帰るのが怖かった。でも、朝はちゃんと最期を見てあげられなかったのだから、ゆっくり撫でてあげて、きれいにしてあげなくてはと思った。

暗くなった夜道ではいくらでも涙が出てきた。

家について、ケージを開けて、こまをそっと両手で持った。まだ体は温かくて、呼吸をしているように、動いて見えた。動いてみえたのは、自分の涙で視界が歪んだせいだった。体はもう固くなっていた。温かく感じたのはペットヒーターの上にいたからだった。

いつも撫でていたおでこが固い。ふわふわの体が固い。そこが違うけれど、目は閉じられていて、ただ眠っているように安らかな顔をしていた。

ペット葬儀の予約をして、迎えに来るまでの2時間30分ほど、こまのおでこや背中をいっぱい撫でてあげた。それしかしてあげられなかった。

いつも素早く動き回るこまと遊んでいた。いつももう少し落ち着いてゆっくり撫でさせて欲しいと思っていた。ゆっくり撫でてあげられるのはこまがもう少しおばあちゃんになって動きが鈍くなった時かな、なんて思って。でもそれはまだ遠い未来であって欲しいと思っていた。ヨタヨタのおばあちゃんになるまで、見てあげることが出来なかった。

自分がした小さな選択のひとつひとつがここに辿り着かせてしまったのか、元々の寿命だったのかも分からない。だから何度でも、もしも、なんであの時、と思ってしまう。

夜遅くにペット葬儀の人が来てくれた。

玄関で先にお金を払った。持ち合わせがないので、カードでお願いしますというと、その人は持っていた社用スマホとカードを読み込む機械をWi-Fiで繋げることで、スマホからカードの支払いの操作が出来るような装置を取り出した。スマホでカード支払いの操作ができるんですねえ、人前で泣かないためにどうでもいいことを聞いたりした。支払いを済ませて、こまを預けるとおじさんは「責任をもってこまちゃんをお預かりします。最期にしっかり体を抱いてやってください」と言った。

箱に収めた体を手のひらにもう一度乗せて、撫でてあげたら、涙が止まらなくなって結局堪えきれずに玄関で嗚咽をあげてしまった。もうこれ以上、触っていると泣いてしまうので、ありがとうございます。よろしくお願いします、と伝えてこまを箱にそっと戻した。

おじさんは「今日はいっぱい泣いてあげてください。明日からはまた元気でいないと、こまちゃんが心配してしまいます。でも今日はたくさん泣いていいですよ。あとで良かったら、YouTubeで「虹の橋」という動画をまた見てみてください、これからこまちゃんがどこに行くのかが分かって安心できるといいです」と言ってくれた。

次の日、朝起きて仕事に行こうと起きてはみたけれど、泣きすぎてうまく目が開かない。両目が一重になって恐ろしい顔になっていた。どうやっても職場に行っていい顔にはならなかった。もう休もうと思い、体調不良で休むと連絡をした。今日休めたなら、昨日だって、休んでどうにかしてたら、どうにかなっていたんじゃないかとまた自分を責めた。

仕事を休んで、ケージの掃除をした。床材をひとつかみずつ取り出して、ゴミ袋に入れた。床材と一緒にこまが残したとうもろこしや隠しておいたペレットや、ガジガジに噛んだペーパータオル、おいしいところだけ食べて捨てた粟玉、そこやかしこにこまの存在があって、愛しかった。これをゴミにして捨てたら、その痕跡がもう無くなってしまうことが悲しかった。でも、いつまでも置いてはおけないし、ケージも綺麗に洗ったあと、押し入れにしまった。こまがいた場所の部屋のレイアウトを変えた。いつもと同じような景色があれば、そこに居ない事が浮き彫りになってしまう。

たった八畳の部屋が、急に広く感じた。こんなに静かだったのかと思った。夜はすぐ時間が経つと思っていたけど、自分のこと以外することがなくなっら。そうだった、夜はこんなに時間が経たないのだったと思い出した。32gの存在はわたしにとって、本当に濃く、大きなものだった。

こまはやすらかに眠るその姿もかわいかった。あんまり苦しまずにだったらいいな。うちに来て楽しかったなら、安心して過ごせた日々だったらいいな。

今はまだ、スーパーに行けば野菜を選ぶときに、夜中に目が覚めてトイレに行くのに電気をつけずにそっと行こうとして、部屋を出るときにエアコンを確認しようとして、外にいるときにペットカメラを見ようとアプリを立ち上げようとして、あ、もういないんだったと、まだまだ抜けない習慣に苦しめられる時がある。

こまの住んでいた木のおうちを部屋に置いている。写真はまだ飾れない。木のお家の匂いを時々嗅いで、また泣いてしまって、それでも少しずつ元気になったりしている。もう会えないけど、かわいいこまのことを忘れずに、これからも大切にしていこうと思う。

こまと暮らした時間はずっと楽しくて幸せだった。こまの存在に、たくさん元気をもらってわたしはこうして元気に暮らせてこれた。ありがとう。

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