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初マラソン完走!所感 2024.10.13新潟シティーマラソン

人生で初のフルマラソン。それは、人生で1回きりのことなので、記録に残したいと思います。

自分なりの準備をして臨んだが、マラソンは甘くなく、過酷で長かった!初マラソン大会ゆえに、想定外の心や体の反応もあったけど、無事に完走!ネットタイム5時間16分58秒でした。

マラソンの起源といわれるのは、紀元前490年のマラトンの戦い。侵入してきたペルシア軍をギリシア軍が倒し、ギリシア兵が勝利を伝えるために完全武装のまま自軍に戻って、「我ら勝てり」と告げたあと絶命。その伝令の距離が40㎞以上あったことからといわれている。(あくまでも逸話らしいです)

ゴールした瞬間の率直な気持ち
「やっと終われる!」
(ギリシア兵の気持ちもこれに近いのかな。やり切ったという達成感はあとからじわじわときました。)

つぎもマラソンを走りたいと思うか
「つらかったから、わからない。条件付きで、40㎞走れる脚づくりや楽なフォームを会得できれば走ろうとは思うけど…」

ネガティブな所感ですが、
36.3㎞のエイドステーションでエネルギー補給した直後から、一瞬あたまがクラっときて、一瞬の吐き気を感じたのが要因。
「こんな状態でフル完走できるの?」「あと残り6㎞もあるの?」とこれから起こる未来への不安を頭に占めさせてしまった。

30㎞以降の走り方がわからない
「マラソンは、30㎞を過ぎてから」とよくきくが、自分の中で30㎞以降は未知。
ラップも落ちてきた33㎞あたりで、ゲストランナーの高橋尚子さんがハイタッチしながら応援してくれてて、「これからですよ~!」と笑顔で励ましてくれる。
そのおかげか、かなり疲れている中なのに、34~35kmの1㎞を7分2秒、35~36㎞の1㎞を7分5秒と、勝手にタイムがあがっている!「背すじだけでも伸ばしたフォームを」と意識し続けようと思うだけでタイムにも反映するんだと実感。30㎞以降の12㎞も自分のココロとカラダは、なんとか乗り越えてくれるかもと淡い期待をし始めていた。

が!上述のように36.3㎞地点のエイドステーションでスポーツドリンクを飲んだ矢先から、苦しいマラソンに変わってしまった。

残り6㎞は、しのぐランニング!?
36㎞過ぎのエイドステーションで、たぶん2~3分近くは休んで体を落ち着かせる。心配がよぎる。「完走はできるのか?」
ゴールには家族が待ってくれているはず。なんとかゴールしたい。
恐る恐るゆっくり走り出す。36~37㎞の1㎞は9分3秒、37~38㎞は7分51秒/㎞、38~39㎞は8分28秒/㎞と一気にペースダウン。ただただ、完走をめざす。
(あと6㎞か)、(まだあと5㎞もあるのっ)、逆算していくにはまだ残りの距離が長い・・・、辛抱の走り。息子と約束した目標の5時間切りは完全にあきらめ、
マラソンは甘くないなぁと洗礼を浴びている自分を自覚。

ただただ走る!
脚の重さも蓄積、暑さもつらく、脳をごまかすことが難しくなってくる。一歩一歩が地味に苦しい。(ちなみに1日の歩数は57,763歩でした。)
ただ、ゴールには待ってくれている家族がいるはず。それが励みになる。今頃、家族は待ちぼうけ食っているのかな?応援に来てくれるのがありがたいな。
当初イメージしてた、「マラソン完走で、家族文化によい流れを作りたい」だなんて、影響力を及ぼしたい操作的な思考より、『はやくこの疲れた体を休ませたい』『歩かず完走できればいいじゃないか、いや別に歩いたっていいや』『かっこいい父親なんかじゃなくていいんだよ〜』と自分に優しく働きかける。
自分の弱さを受け入れてあげているうちに、ただ今この一瞬一瞬、この一歩一歩を無心でただただ走る!勝手にマインドフルネスの境地に到達できちゃえる状態に!

ゴールを思い描くことができた要因は⁉︎
ただ走る!
それを続けることができたのは、ゴールを思い描けてたからだと思う。たとえカッコ悪くてもあたたかく受け入れてくれる家族がゴールにいる、そんな希望が、励みになって、まるでギリシャ兵のように前に進ませる。
さらに、一緒に走るランナー、沿道やスタッフの応援、そしてあと何kmの表示を1㎞毎にしてくれる配慮のおかげで、少しずつ持ち直すことができた。
そして、少しずつじわじわとゴールは遠いけど近づいてきてくれている。

ゴールが近づくにつれて、応援する人、応援されるランナーのシンクロを感じだす。残り2㎞をきった給水所では、ただ水を配るのに追われるだけでなく、「ゴールまでもうちょっとです。応援してますっ」と若いスタッフのボランティアの方が、言葉でパワーをくれる。
暑い中のRUNだったので、20㎞過ぎたあたりから、給水所では、できればスポーツドリンク2杯、+首筋と頭に水をかぶるのを続けていた。
ラストの給水所では、水をもらって、コースのわきにそそくさと移動、頭から水をかぶっていたら、スタッフのおじさんが、自分のところまでわざわざ水をもう1杯持ってきてくれたりした。
1人1人のランナーを応援しようとしてくれることにただただ感謝。応援の力ってすごい。おかげで体は悲鳴をあげているが、メンタルは、悲鳴をあげないですんでいる。

ラスト1㎞すぎてあと500m?地点、またゲストランナーの高橋尚子さん登場!「過酷な中、よくがんばりました!ゴールまでもう少しです!ゴールでは達成感が待ってますよ!」と讃えながら、ひとりひとりのランナーにハイタッチしてるではないか。高橋尚子さん、神出鬼没すぎ。ただもののゲストランナーではない!エアハイタッチする!(脚が限界で、高橋尚子さんに近づけず、エアで)本日2回目のハイタッチ!

ゴール
陸上競技場がみえてきた。声援も大きくなる。ありがたくて、こちらのほうこそ、応援のお礼がしたくなる。
頭の中は、家族のこと。
上述のギリシア兵のように(?)、出迎えてくれる人がいるのは、大きな希望(絶命はしないけど)。
脚は残っていない。とうとう42.195㎞まで走り切ったんだ。

気持ちは走っているつもり。もう歩いているようなゴール地点


ゴール地点のメンタルがそのマラソンの印象を決めるのかもしれない。
タイムはもうどうでもよかった、無事歩かず完走できてよかった。やっと歩ける。休める。あっ、笑顔を忘れてた。
ゴール直後、観覧席に家族がいないか探す。笑顔で大きく手を振ってくれる妻と息子がいる!この情景を、忘れることはないだろう。限界を超えた体の疲れとは別物、笑顔で手を振り返す!


ゴール直後、家族に手を振る


つらさの原因って何だったんだ?
34㎞~36㎞地点で快調なペースにあがった陰で、心拍数が170くらいになっているのに気づいていなかった。エイドステーションに着いて、ごはんやスポーツドリンクを強引に体内に入れようとして、体が食べ物を受け入れる準備ができずに、クラクラしてしまったんだろうか?

そもそも30㎞までしか経験なくて、自分の体と相談するクレバーさを持ち合わせていなかった。

初の30km走をクリアしていたおかげで、完走はできたけど、このコンディションで42.195㎞走れる脚はできていなかった。マラソン翌日、脚の全てが筋肉痛で、ペンギン歩きになります。
(もし30km走できていなかったら、もっと苦しいRUNを強いられてたかと思うと、継続的な練習をケガなくできててホッとします)

気温は24度。体感はもっと暑かった。20㎞通過時点で、心拍数が160まであがっていた。本番3週間前の30㎞走の時は20㎞通過しても心拍数140台だったのに、余裕度が違っていた。暑さ対策はよくわからない。ゲストランナーの高橋尚子さんも、「暑い中、ほんとうに過酷でした。このマラソンを完走できたみなさんは、どのマラソンでも完走できます!」と話していたそう。

給水はゆっくり飲もう。つらい中、食べ物は詰め込みすぎも注意。吐き気につながる。

効率的で、楽なフォームがまだできあがっていない。つらいと腰から上が、おじぎするような腰の曲がった老人気味になってしまい、おしりとか骨盤を使ったフォームを維持できなくなってくる。一方で、よいフォームで走れても、心拍数が上がってしまい、心肺機能が42.195㎞走りきれていないカラダであることも分かった。


マラソンあるある?
フルマラソンで9000人のランナーが参加の新潟シティーマラソン。
いろんな渋滞が起こるとは知っていたが、まずトイレ渋滞がすごい。(トイレの大の人も並んでいて、小は空いているのに分からないことでさらに渋滞が長引くってこともあった)
スタート後、2~3㎞で渋滞が解けて、自分のペースで走れるかと思っていたが、いろんなペースの人が混在している分、遅くなったり早くなったり、道幅が狭いところだと、抜かせなかったりと予想以上にストレスで、そのストレスを感じなくなるのは15㎞以降過ぎてからだった気がする。設定したペースではなかなか走りにくかった。

応援がありがたかった。応援に対して、「ありがとう」って意思表示できるランナーのほうが、逆にエネルギーをもらえている気がする。仮装ランナーとかは楽しく走れているんじゃないだろうか。あんまり応援に対して感謝の意思表示ができるのはわずかだったけど、応援は偉大。

ほかの大会はよくわからないけど、新潟シティーマラソンはゲストランナーのQちゃんも含めて、沿道ですごく力をもらえて、沿道の方、スタッフの方に感謝したい。

マラソンの効用ってなんだろう?
ゴール後の達成感がじわじわ。家族にもちやほやされ自信もむくむく。
想像以上につらかった分、今までの自分だけでなく、新たな自分をこの47歳の年齢でも発見できた気分になる。きっとそれも楽しいだけじゃないマラソンの効用なのかもしれません。
あらためて、アスリートの方はもちろん、市民ランナーでもパワフルな推進力のある走りをするランナーのカラダの仕上げ方、目標設定の高さに敬意を表したくなる。1日やそこらではできないメンテナンスをココロに設定し続けているんだな。

さて、これから自分は、RUNは続けたいけど、どういうココロとカラダでいたいんだろう。
ここまで長い距離を走る意義ってなんだろ?という気持ちもあり、自分にとってマラソンがどういう効用をもたらすかは、まだよくわかりません。が!リミッターを外せる自分と向き合いたくなったとき、むしろ心が疲れているとき、地道な脚づくりをした成長を感じたいとき、またマラソンにチャレンジしているかもしれませんね。

そのときは、この経験を生かして、もっと笑顔で走れたらいいね。

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