
『Tokyo 7th シスターズ × ホロライブ』について語らせてほしい【愚痴】
2022/03/01 20:00 ホロライブとのコラボが発表された。
おめでとう。

楽曲コラボ3曲 期間限定ゲーム内配信
ホロライブ3名+ナナシス2053メンバー 新カード実装
このあと愚痴を列挙することになるだろうが、強く言っておきたいのは
〈ホロライブに非は全くない〉ということだ。
これがナナシスでさえなければみんな諸手を挙げて喜んでいただろう。
この一報を見た私の正直な気持ちは、
「どうしてわざわざナナシスで?」だった。
どうして私というエンジョイ勢支配人がこのコラボに拒否感を感じているのか。それはナナシスが今まで7年以上、〈ナナシスという世界観を守ってきたから〉に他ならない。
ナナシスは2031年、2034年、そして2043年と今現在より未来の物語だ。アイドル全盛期が過ぎ、アイドル界隈に魅力がなくなっている中で新米アイドルたちが新米支配人とともに”人間として”成長していく。そんなコンテンツなのだ。

特に初期の頃は、作詞曲者名すらゲーム内では確認することができなかった。輸出、出張することはあれど、ゲーム内に輸入することはなかった。そうしてそれを明言もしていた。
私が知る限り現実の、所謂声優ライブでもオールキャスト歌唱を除き各アイドルの時代が舞台上で混ざることはなかった。そして各キャストさんが本当にキャラを愛し、キャラとして歌ってくれていた。(だからこそ5thでの二コラはどう捉えていいかわからず困惑したが。)
レスカの3名中2名のキャスト変更の際はミツバチという楽曲で送り出したし、茂木前総監督が退社する際にはAcross the Rainbow、Shooting Skyで送り送られもしたが、個人的に許容の範囲だった。曲自体が良かったし、レスカの時は一人のキャスト変更発表が直前過ぎて、プチ炎上していた。
それをミツバチという曲で鎮めた。炎上案件を美談にした、それがとても鮮やかだった。
少し話が逸れてしまったが、しかし殊更世界観を大事に、大切にされてきたコンテンツなのである。だからこそ私のような声優に明るくない支配人でもこのコンテンツを愛し、それを甘受できていた。
ホロライブのことは明るくないので言及はできないが、ナナシス側からの2名は2/28にゲーム内実装された2053年のトップアイドル。(このコラボのために用意されたと邪推してしまうような完璧な布陣。)
2034年とは20年の開きがあるので上記の設定が当てはまっているわけではない。現在公開されている新章5話まで視聴したが、上記の2034の時代とは随分と異なっていた。
なので、”期間限定コラボ楽曲”としてなら受け入れられたかもしれない。しかし、新規書き下ろしカードが実装されてしまう。それは〈ナナシスの世界の中でホロライブの3人が生き続ける〉ということになる。ナナスタ所属ではない4UやKARAKURIもいるが、それとはわけが違う。ナナシスすべてのキャラには背景があり関係性があり、Tokyo-7thで懸命に生きている。
たとえば、今回実装されるホロライブの3名が2053年のTokyo-7thでこれからも生き、活動して物語を紡いでいくのなら私は受け入れられていたかもしれない。
たとえば、2053勢が姉妹コンテンツとしてナナシスというアプリを飛び出してくれていればnoteも更新していなかっただろう。
前者についてはまだ5話までしか公開されていないのでわからないが。
ホロライブファンからみれば、課金するなら手元に残るものが欲しい。運営にとってはそれが目的で、新規ユーザーをナナシスに入れ込みたい。それはナナシスというコンテンツがアプリゲームからの収益が極端に少ないから。極論、私たち支配人がお金を落とさないのが悪い。存続させるために運営が足掻いた結果かもしれない。
しかし、それをやってしまったら〈ナナシスじゃなくていい〉
だから私は「もうサ終してくれ」となっているのである。
〈前総監督が卒業したときにサ終していたほうがきれいだったのではないか。〉
この半年、ずっと思っていたし、総監督卒業の話を聞いた段階で覚悟もしていた。しかし運営は”ナナシスを”続けた。
それが答えだと思っていたから今、「裏切られた」と思うユーザーが少なからずいるのだ。
「ナナシスを知り合いに勧めたいですか?」と今聞かれたら、迷わず「いいえ」と答えるだろう。
一年前までは「長編ストーリー読むときはバスタオル忘れないで」「とりあえず曲聴いて」と実際勧めていた。そして知り合いはCDを買いハマった。初期に勧めた知り合いはムスビ支配人になって一緒にライブ争奪戦に参加した。しかしもうそんなナナシスは紡がれない可能性が高い。
結果何が言いたいのかというと、
"私の好きだったナナシス"を現運営は大切に思ってくれてなかったという悲しみの感情に包まれているということ。
ここからは蛇足だが、ナナシスが新体制になってから運営と自分との気持ちの乖離が激しい。
まず、始まりは『秋の空とこころ コスモス』だったと思う。
中華少女シャオのセンター曲ということに重きを置きすぎてなのか、ただのキャラソンだった。「シャオだから中華風にしとけばいいよね。」感の安直さにがっかりした。歌詞も、ただのラブライブ!じゃん、いや、ナナシスはそうじゃないじゃん。と。
ラブライブ!はことりちゃんが好きでした。
そう考えるとひとつ前にリリースされた『恋セヨ乙女』、秋の空と~のあとにリリースされた『恋をして』から『Striking Diamond』の4曲は絶妙にユニットに合っていたと思う。特にカズミ、ジェダ両名の7年越しのデビューもあったので私は「ありがとう」を連呼していた。ありがとう。閑話休題。
Stella MiNEのアイとユウという新キャラも、私の中で”ナナシスのキャラ”としてまだ生きていない。

どちらかというと、クラフトエッグ感が強すぎて〈外部コンテンツのキャラがやってきた〉という感覚に近い。絵も衣装もかわいいしナナシス感はあると思う。でも、そもそものキャラデザに「君たちこういうキャラ好きだよね」感を感じてしまうのだ。ナナシスじゃなかったら好きだったとは思う。
5話まで読んだが、新章にも気持ちが入っていかない。
そこにはもう、私の知っていた支配人はいなかった。初代支配人に嵌められ、コニーさんに発破をかけられ、ハルに勇気をもらい、ムスビに叱られ、メンバーを大切に、弱気なくせに夢とか希望で生きていた、大人で子供なあの支配人はいなかった。だからこそ別コンテンツとして出してほしかった。
あの新章に感情移入できた支配人はいたのだろうか。
運営は今後、ナナシスをラブライブ!の様にしたいのだろうか。
確かに完成された2034勢に、777☆SISTERSに手を加えるのは気後れする部分もあるだろう。しかし、ハルたちはメインストーリー上お役御免で、アイとユウを起点に進めていくことになるのなら、もう…これ以上はやめよう。

エイちゃんのデビューを見届けるまでは続けるつもりではいるし、新章はすべて見るつもりなので今後気持ちがどう転ぶかわからないけれど、例え私が受け入れられず引退をしたとしても、これまでナナシスがくれた〈輝ける一瞬〉が7年以上もあったこと、感謝しかありません。
ありがとう、ナナシス。