デザイン自給自足の営み
株式会社ゆめみでデジタルプロダクトデザイナーをしています、小林明花 MeikaKobayashiです。
前置き
近々なのですが、"デザイン自給自足"という言葉について人前で話す機会があります。
しかし5分という限られた時間なので、伝える努力はするが時間が足りません。そこでnoteを書くことにしました。
デザイン自給自足とは
私は今2年目のデザイナーです。ゆめみに入社してからの1年半を振り返ったとき、自分自身が " デザイン "という単語の支配から徐々に解放されていったというような感覚があります。デザインをあくまで手段の1つとして捉えられるようになりました。
それを後押ししてくれたのが " デザイン自給自足 "な文化があるゆめみの土壌です。
「デザインって超楽しい」が口癖の本人が一番楽しそうなCDO、「すべては概念遊び」と言いながらデザインの力で事業創出をしている大人、「デザインリサーチのあり方を探るために、知見を蓄えておきたい」という理由でエンジニアリングを学ぶ素敵デザイナー
デザイナーの職種やスキルが、役割として足枷になっておらず、デザインの対象とする成果物に限りがなく、興味があるから面白がり、良くしたいから必要なことはすべてやる、という生き方そのものです。
"デザイン自給自足"という言葉は、自分たちの頭と手を使い、自分たちのデザインという活動自体を維持・発展させていくことを意味していると考えます。自分が主体となり続けていくこと、続けるために発展させていくことに豊かさを感じる、その営み自体です。
重要なのは、「"何"をしている」ではなく「何かを"している"」という状態を指しているという点です。デザインしているといえますが、それは活動であり動きです。
私の話
今の私は "リサーチ”を大きなテーマとして持っています。
振り返ってみると、リサーチの仕事をし始めたのは昨年10月頃なので経験としては約1年程度です。そして、今年の2月に同期と2人で、ユーザーニーズ検証支援というサービスをリリースしました。サービスを作ると受注ができるので、今現在もリサーチのプロジェクトに複数関わることができています。
ユーザーニーズ検証支援は、ゆめみのデザイン事業であるYumemi Design Service Canvasの中の1つです。
ゆめみの顧客の目線に立ち、デザインプロセスの一部を切り出しマイクロサービス化し提供しています。
サービスを作るとなると、上記にあるようなLPや営業資料がアウトプットして生まれますが、その前にまずはサービス自体を設計しなければなりません。
具体的には、以下のような問いに答えるためにあらゆることをする、ということです。
顧客とは誰か
顧客はどんな状況なのか
顧客の課題は何か
なぜ顧客はゆめみを必要とするのか etc…
とても基本的な問いのように思えますが、サービスを考え始めた当初の私たちはこの問いに頭を悩ませていました。
入社して半年経った頃でしたので、プロジェクトにも少しずつアサインされており、確かに目の前のお客様はいたのです。ただ、改めてこの問いに答えようとした時に、私自身の「デザインという行為でお金をいただく」という活動に対する解像度があまりに低いことに気がつきました。
理解を進めるために、ゆめみのこれまでの案件実績の調査、ゆめみで長年働かれている方や、転職してゆめみで働いている方へヒアリングを行いました。また、類似のサービス内容についてデスクトップリサーチを行うなどです。
ゆめみという会社の持つリソースや顧客像を理解していく中で、自分たちの提供しようとしているサービスがお客様にとってどんな価値をもたらすのかを整理します。同時に値付けや必要となる成果物のイメージをしていきます。
つまり、サービスを設計するということを通して、私自身の活動をメタ認知することができたということです。
個人的に、これらの一連の活動自体が面白くて仕方なかった。私はこれまでに無かった視点に触れると体が喜ぶという特性を持っているので、新卒だった私にとってはすべてが新鮮に映りしました(笑)
記事の主旨とずれますが、特に社内のメンバーにヒアリングをすることがとても面白かったです。
長年働いているデザイナー
=顧客像とその変化を現場目線で見てきた人
数年ゆめみで働いているデザイナー
=今の顧客を現場目線で知っている人
最近転職してきたデザイナー
=前職デザイン会社での顧客像を知っている人
営業・マーケの責任者
=デザインに限らず、会社全体を見てきた人
同じ組織にいるため共通して考えていること・理解していることもありましたが、それぞれが見ているゆめみという世界観に差異があることを発見し、それがとても面白かったです。
今でこそリサーチのプロジェクトを複数やってきた経験で、当時の自分が、プリミティブに発見すること自体に楽しみを見出しているということを理解できるのが面白いです。改めて、私にとってサービス設計は今の自分を構成している活動の1つになっているなと感じます。
主体は自分
無事にサービスをリリースすると受注できますが、その先でどうしても改善したくなってしまうのはなぜなのでしょうか。
サービス設計の段階で、値付けと同時に工数の計算を行っていたため、成果物やスケジュールのイメージを一定掴んでいたものの、まあ計画通りに行くことはありません。工数に積んでいなかった作業の発生や、プロジェクトキックオフ前にヒアリングしておくべきだった事項に後から気づくなどです。
ただ、自分が設計したプロジェクトだったので、「次はこうするか」という発想がまず最初に現れます。「あーやってしまった」と気づく瞬間に「じゃあどうする」という態度がほぼ同時にやってくる瞬発感があることが面白いです。通常の改善サイクルを回すという表現よりも、瞬間的に新しいアクションが自然に現れてくる感覚です。
個人的には、このプロセスそのものが面白いと思っています。その結果が失敗か成功か、というところに重きを置いて議論できるテーマもあるかと思いますが、私としては、"失敗する経験すら自分で作り出すことができる"ということがデザイン自給自足の醍醐味だと考えます。
デザイン自給自足の何が嬉しいか
デザイン自給自足の何が嬉しいか。
これは、冒頭で述べた以下につながります。
これまで色々と書いてきましたが、「自分の仕事を自分で作ろう」とやけに前向きで自立的な態度を要求してくるしなんだか暑苦しいと感じさせていたら、私の伝え方が下手だと思います。
私はどちらかというと冷め切っているところがある人間なので「全部前向きに取り組みなさい」と言われると、それができない自分が辛くなってしまいます。
そんな人間にとって、デザイン自給自足により、自分の仕事を自分で作ることの何が嬉しいか。それは、 " 前提を問い直すことを自分でやってよい状態になる"ということです。
今年の2月にリリースしたサービスですが、顧客の課題や状況が変われば、サービスの内容も変わるべきだと考えています。また、当時の私よりもプロジェクト経験が増えた今の私の脳内には、新たにこのようなサービスがあってもいいのではないか、と考えていることがあります。
自分で問いを立てたので、また問い直していいということです。そうすることで、サービスも、私も、会社も変わり続けていくことが可能だと考えます。
このような考え方は、何も「事業」や「サービス」という枠組みに限って適用できるものではなく、日々取り組んでいることすべてに適用できるはずです。自分で問いを立ててまた問い直せばいいのです。
この経験を手に入れたことで、私はデザイン=課題解決と考えなくなりましたし、デザインの対象とするものに限りがなくなりました。自分がやっている母親業も、自分自身の生活をデザインしている活動だと捉えています。
最後に
ゆめみのデザイナーは日々考え続けている人がたくさんいます。そして、そのための土壌を自分で広げていくことを自然とやっている人がいる組織です。わくわくしません?
これからのゆめみのデザイン組織がとっても楽しみです。
感謝と宣伝
登壇資料で使用したしかまつさんのネコチャンですが、日々社内のslackでも使わせていただいています。slack絵文字のサイズに耐えられる繊細な画力と、感情の表現力が本当にすごいなとしみじみです。私のテキストコミニケーションはほぼネコチャンでできています。