見出し画像

旅とは、自分がいた場所に帰ってくる営みである。byノヴァーリスさん


こんにちは、あまぎしめいかです。
今回は、渡西阿備忘録番外編。

アフリカにいる3ヶ月の間、たくさん本を読みました。

というか、これってどうしてなんだろう。
ナンデこういう風に言われてるの?
何が理由でこうなってるの?
という疑問に簡単に答えを教えてくれる人も、すぐに議論してくれる友達もいなかったから、アマゾンで電子書籍を買って本を読むしか、自分の疑問にヒントを与えてくれるものはありませんでした。

でもそのおかげで、何百年も前に同じ疑問や考えを持った人がいて、
もうそれに対する答えも解決策もある世の中なんだ。
と、感動もしたし、落胆もしました。

まぁ、そんなわけで、たくさん読んだ本の中から
「なるほどね〜」となったコトバや、
「上手いこと言うたなぁ」と思ったコトバを紹介しつつ、旅の間のことや、帰国後のいま考えていることなんかを記せるといいなぁと思います。

今回は、18世紀に活躍したドイツの小説家、ノヴァーリスさんが『青い花』の中に書いた
旅とは、自分がいた場所に帰ってくる営みである。
という言葉。

渡西阿備忘録では、まだまだ旅に出たところですが、
実際、旅が中盤に差し掛かかり、やりたいと思っていたことは全部やりきったと思い、帰国を意識し始めた時は、しばらく自分の機嫌をとるのに苦労しました。

旅というと、出発の時に必要な勇気と、旅先での楽しさを想像しますが、
自分の挑戦や、この寂しくも興しろい時間に自分で終わりを決めるのは出発の時と同じくらい勇気が必要ナンデスネ。

「我思うゆえに我あり。(Je pense, donc je suis.)」の言葉で有名なデカルトは、
20歳で学校を離れて、旅に出たそうですが、『方法序説』の中に
学校での学業より必要であることに、

「旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なる様々な人たちと交わり、様々な経験を積み、運命の巡り会わせる機会をとらえて自らに試練を課し、至る所で目の前に現れる事柄に反省を加え、そこから何らかの利点を引き出すことだ。」
と書いているそうです。

なるほど。デカルトもノヴァーリスさんもそうやって成長していったんだ。

私は、旅の中で、「運命の巡り会わせる機会をとらえて自らに試練を課し、至る所で目の前に現れる事柄に反省を加え、そこから何らかの利点を引き出すこと」ができたのか。
体は帰ってきたものの、まだ頭はアフリカ旅から帰ってきてない気がしています。



※ちなみに。
「気質や身分の異なる様々な人たちと交わり、様々な経験を積み」の部分。

お金持ちの人と、そうとは言えない人、政府などの機関で働く人と、地元の市馬や港で働く人。様々な気質・身分・階級の人と関わることを『階級浮遊』と呼ぶそうです。
そんな経験から考えたこともまた書いてみたいと思います。

写真は、ヤムイモを見せてくれた屋台のおばちゃん。(谷間見えかけ)

ナツをもっとアカルくするエネルギーになります!