【下書き】シン・ウルトラマンに対しての殴り書き【供養】
どうもみなさんお久しぶりです。返事をするタイプの屍、ヤマトたかはしです。
呪術廻戦が完結してしまったようですが、まだ読めていません。
ただでさえ憂鬱な月曜日、私の職場が一番忙しい日でもあります。気合いを入れるため、週刊少年ジャンプの購読は必要なルーチンとなっているのですが、流石に呪術完結は落ち着いた気持ちで読みたいと我慢した結果こんな時間です。
性癖記事の毎月投稿が終わりnoteを放置していたのですが、今日までに何かしら投稿をすればバッジがもらえると通知が来ていたので下書きを漁っていたらこんなものを見つけたので供養記事として投稿しておきます。
掲載する文章はシン・ウルトラマン公開直後の2022年5月中にした下書きのようです。
こんな記事の下書きが実は山ほどあるんだよっていう紹介で、別に面白いもんでもないけど供養しておきます。
以下、下書きより。
久しぶりの人へ、お久しぶりです。
光の国から 正義のために、どうも、ヤマトたかはしです。
今日は感想とか考察とかじゃないです。殴り書き、チラ裏。
僕が映画「シン・ウルトラマン」を見て言語化できなかった感情や、四回の鑑賞を通してようやくまとまった感想を遺しておこうというものです。
まず。5月13日決戦は金曜日。公開初日。
私は夜勤明けで映画館に向かいました。
初見、第一に抱いた感想。
この時、かなり複雑な気持ちだったんですよね。
正直、微妙。
とまでは言いませんが、かなりモヤモヤした気持ちでいました。
序盤からメフィラス成人パートまでは結構よかったんですよ。
最後のゼットン。あれが解釈不一致すぎたんですよ。
ただ、何が解釈違いかってのが分からなくて
「あんなのゼットンじゃないだろ」って気持ちだけが強く残ったんですよ。
で、そのゼットンパート以外の手放しで面白いと感じた部分は、かなり原作ウルトラマンに沿った流れで作られていたため
「ウルトラマン(原作)ってやっぱり面白いんだなって思った。」
という感想に繋がったのでした。めんどくさいオタク。
で、家に帰ってパンフレット見ながら感情を整理……できればよかったんですけど。
心がざわざわして落ち着かない。作品としてはとてつもなく良いものを見たという実感がある。ただ何かが引っかかる。モヤモヤする。
いくら考えても埒が明かない。
ということで初日二回目。
二回目鑑賞後は「やっぱり良い作品だった」と認識できたのですが、ゼットンはやはりどこか腑に落ちない。
なんでだ。
はっきり言って、まず勝てないってわかっちゃってるんですよ。
これは原作がそうだからとかいうわけではなくて。
ゼットン戦までにウルトラマンが力を失ってきているからです。
では、ここで僕が公開から三日後くらいにオタクに感想を聞かれて送った文章がこちらです。
読みづらいな。
で、ここで僕が言っている
という部分ですが、僕の中でのシン・ウルトラマンというのは
「ウルトラマンが神(デウス・エクス・マキナ的存在)から人間になる物語」なんですよ。
で、ゾーフィのセリフからそのままの意味で受け取った
「人間を好きになっていく外星人ウルトラマン」の物語と捉え、
それに対して
「どうして人間を好きになったのかの描写が足りない」といった感想を多く目にしたため、個人的にそこがミスリードされやすい部分と考えたわけです。
これに関してまとめると長くなるので割愛しますが。
要はウルトラマンは確かに人間を好きになったわけですが、それに対しての理由は「わからない」という結論に劇中でも至っています。
その感情は論理的ではなく、限りなく「人間」に近い感情です。
ウルトラマンは「外星人」として人間を好きになったのではなく、「地球人類=人間」に近づきすぎたのです。
よって「シン・ウルトラマン」は「人間になってしまったウルトラマン」という話だと私は受け取りました。
で、実際に人間に近づいて行ってるのがそのまま画面に出てしまっていると感じる部分なのですが。
ネロンガ戦初登場時、神永と融合前のウルトラマン。
あれ、強すぎませんか???
確かに原作再現ではあるんですよ、電撃が効かないってのは。
でもネロンガの電撃はやはり胸を張って喰らわなきゃダメですよ。
電撃=水平チョップに防御態勢を見せるからこそ怪獣プロレスが成り立つんですよ。あんな塩対応じゃネロンガ可哀想でしょ。
あの時のウルトラマンはまさにデウス・エクス・マキナ。
登場→攻撃無効→必殺技
の黄金パターンです。
ちなネロンガは他の作品の登場では電撃でウルトラ戦士をしっかり苦しめています。マン兄さんだけが異常なんだよなぁ。
あと、あそこで銀一色だったウルトラマンが神永と融合後に赤ラインが入るの、ウルトラマン・ザ・ネクストとかネクサスのアンファンスみあっていいなって思った。
で、その後のガボラ戦。
ここでは被害を最小限に食い止めようという身を挺した防御。
「人間を好きになっていく」段階はここまでですでに終えていると思います。
この後のザラブパートでは「仲間は味方。信じられる存在」という(かなり度が過ぎているものの)人間らしさが発揮されています。
そしてバトルパートではかなりの人間臭さ。
お互いに打撃しあった腕にダメージを感じるみたいな描写があるんですけど、ネロンガの攻撃がノーダメージだった人と同一人物とは思えません。
仮に質量のあるダメージかそうでないかで判定が違うとか設定的な面もあるかもしれないのですが、ああいった露骨な描写は
「ウルトラマンが人間に近づいていく」といった過程を戦闘含めて丁寧に描いているとも言えます。
そしてメフィラス戦、もう負けかけとるがな。
あれはエネルギーの消耗が原因ではあるのですが、それにしてもやられすぎ。原作ではもっと互角な闘いをしていました。
というわけで、敵が強くなっているというのもありますが、たった四戦のうちに戦績がどんどん落ちていくんですよ。
そんな中であの新規デザインのゼットン。
勝てねぇのがわかりきってるんだよ。
初代のゼットンの強さって、衝撃を受けると思うんですよ。
それこそネロンガ戦でウルトラマンがやっていたムーヴを逆にやられてしまっている感じ。
いつも通りウルトラマンが勝つと思ってみていたら雲行きが怪しい。
スペシウム光線が効かず、逆に相手の攻撃で力尽きてしまう。
あの衝撃が無いんですよ。
もうすでにメフィラスに負けかけているウルトラマンが、原作と違ってはるかにデカくて、対外星人とかと違ってその恒星系ごと滅ぼすための決戦兵器のような存在にとやりあえるわけがない。
というあまりにも戦う前からわかりきっている勝敗に自分は納得がいかなかった。
確かに映画作品として一本にまとめるために、ゼットン星人がつれてきた宇宙恐竜ゼットンよりも、スーパーガンに弱い宇宙人ゾーフィが光の国から決戦兵器を持ってくる方がかなり収まりがよく仕上がっているとは思うんですよ。
でも、ここまで丁寧にウルトラマンの追体験的ができるような映画つくりになっているのに、あんなにも予定調和なゼットン戦があっていいのかということに強い引っかかりを感じたのです。
でもね。
結局初代ゼットンの再現として、あれが良かったのではないかと思ってきまして。
これまで何度もゼットンって再登場繰り返してますけど、結局ウルトラマンをオーバーキルできたゼットンって初代だけなんですよね。
解釈違いではあるけど、これで良かったんだよ……
下書き、ここで終わっていました。
これは完全に書きなぐってるうちに自分の中でくすぶっていた感情に答えが出て昇華されてしまったパターンですね。
で、その答えは多分人に伝えるのがもう難しいから俺だけがこの良さを分かればいいよってなって放置したんだと思います。
でもぶっちゃけうっすらとしか当時の感情を覚えていないので、
「おい!!続きかけよ!!言語化しきれよ!!!」
と自分にキレました。
何事も完成させるのが大事ですね。おしまい。
追伸
締め切りまでもう少しです!!よろしくお願いします。
https://x.com/meijin_yamataka/status/1819387652145402326