見出し画像

現代漫才の紀元前紀元後を2005年とすることへの芸人と世間の乖離の考察

基本的に色んなジャンルにおいて
「それはもう古い」
「今時まだそれをやっているのか」
そう言った刷新性を求めることが美徳とされる面がある。

そういうことに果敢にチャレンジしてるぶってる奴がM-1の一回戦で滑って首傾げながら袖にはけていくのを見物するのは個人的に最高の愉悦であるが、そういう漫才への姿勢は本来馬鹿にするようなものでなく推奨するべきものである。

色んなジャンルの中で漫才ほど国内で毎年毎年、進化を確認できるジャンルも珍しい。2001年以降、年末のゴールデンタイムにガチンコでネタを披露して笑いの神々と共にテレビの前の国民に審査されるのである。そんな演芸が他にあるだろうか。

38マイクがあり、ボケもしくはツッコミがおり、はい、どーもで始まって、もうええわで終わる。伝統的な部分にどうにか最新鋭のアーティスティックな部分を組み込んでいく様を、その自覚なく、ただ自分たちの面白くを追求した結果を、見てもらいまくる。考えれば考えるほどイカれた特殊な演芸である。

その漫才の独特の進化過程でどうにも起きがちな進化過程あるあるというものがある。

M-1一回戦前年度の決勝ハネたコンビの亜種現れまくり案件である。

川瀬は一回戦の予選を見に行くことが趣味である。
もうこれに関しては考察とか研究のためではない。マジでただ好きだから行ってる。その川瀬がいうのだから間違いない。

M-1一回戦の日程は東京予選だけでも25日以上あったりする。
1日につき100組くらい漫才師が出るが個人的体感としては1日に5~10組くらいいる。今年開催されるとなったらミルクボーイさんの亜種が何組見れるのか非常に楽しみなところではある。

しかしながらこれを責めることはできない。
かくいう川瀬も、
和牛の川西さんの「そんなに曲がってへんやろ」
ハマカーンの浜谷さんの「気付かねえよ!!」
の口調に完全に支配されてしまった時期があった。

良いものは真似したくなるし、真似るというのは元々学ぶという言葉から来ていると古典の授業でも習ったし、サンドの伊達さんもハチミツ二郎さんの声を張らない口調のツッコミに憧れたと言ってたし、毎年現れる亜種達もゆくゆくはその取り込んだものからオリジナルを生み出せればそれで良いと思う。

が毎年予選を見てて気づいたことがある。
前年度の決勝メンバーの真似する奴というのはその更に翌年のは流石にほぼいなくなってる。

しかしながら
毎年いなくならずに、ずっと脈々と受け継がれ近年の全漫才師の根底にどうしても影響を与え続け、その亜種にならぬよう悩まされ続ける偉大なるチャンピオンがいる。

ここから先は

4,699字

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?