オズワルドに死ぬほどムカついた話し
思い出し怒り
というものが川瀬にはある。
思い出し笑いではない、思い出し怒りだ。
思い出し笑いをする程いい思い出は貯蓄されてない。
昔死ぬど腹立ったことも時間が薄めてくれるものであるが
何かをキッカケに火山が再活動し始めマグマが滾り感情は泥つき始める。
ことは同居人であるスパイシー坊やが5年前にくらいにやったユニットコントのライブの写真であった。
このユニットコントは『アンダー16』というライブ名で、
吉本若手芸人虎の穴の作家、プロフェッサー山田ナビスコ先生が今より15年以上前からやってる若手育成のためのライブである。
芸歴3〜1年目で山田さんが目をつけた芸人達が全員で色々ネタを考えユニットコントを披露するのだが、山田さんの人見知りとロクな1年目がいねぇという理由からいつしか芸歴5〜3年目までが参加となった。
アンダー16、の16の部分は、そのユニットコントに出る1番上の芸歴の芸人の東京NSC◯期が付けれれる。今回は東京NSC16期である川瀬が1番上の芸歴なので16期とする。
このライブの何が辛いかというとまずメンバー16人くらいの全員のスケジュール合わせである。バイトも入れるとまず全員で合わせるのは困難なことから先輩が優しさで後輩がバイトできる日を優先してあげる。大概深夜に練習になる。
さらに吉本鉄の掟により後輩に奢らなければならず毎日のジュース代や帰りに行く飯代でも半端ではない。
勿論、奢らないという方針も可能ではあるが風評被害が立つ。ロクな結果も出てない状況で先輩力を目に見える形で見せつけなければこのライブの統制自体とることもままならない。血銭を絞り出し打ち上げ代も出す。自分以外のアンダーで土下座して公園で缶チューハイパターンの打ち上げを目撃したが見なかったフリをして通り過ぎた記憶もある。ヤケクソ気味に盛り上がっていたことだけは明記しておこう。
そしてユニットコントの意義も問題であった。
要するに先輩と絡むことで後輩を鍛えようということであるが、まだ売れてもない状態で後輩を鍛える義理は本来サラサラないし、5年目で人を鍛えてる場合か?鍛えられたいくらいなのである。
加えてユニットコントというのは後に残らない。そのメンバーが全員死ぬほど売れてもこの時代みんな揃ってテレビでやることはバチバチエレキテルで終焉を迎えた。
奢らなければならない
バイトもできない
自身の成長も望めない
ネタがほぼ残らない
はらさんは動かざるごと山の如し
以上の要素をもってアンダーは極めて忌むべきものであった。
が、しかし川瀬も人間であり山田さんの若手育成への思いをむげにする訳にもいかない。吉本帝国がこれから恒久的に芸能界で幅を利かし続けることに興味はないがこれから10年20年後、M-1決勝が全員げんしじん事務所であるような事態は絶対に避けなければならないのである。
そしてとうとう、ゆにばーすがリーダーでやるアンダーも最終回を迎えた。
基本的にリーダーが好きなメンツを集めていいので、スパイシー坊やと猫塾(現、ぼる塾)はマストで呼んでいた。さてあとは誰にしようかと思案していた矢先の出来事である。
山田さんからメールが来た。
「すまねぇけどよぉ、ゆにばーすのアンダーで入れて欲しい奴いんだけどよ」
ここからが本題である。
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