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それでも好きと言わせて欲しい

今回どうしてこのような記事を書こうと思ったのだろう。

自問自答を続けました。

どうやらずっと心の奥底でモヤモヤしてきた気持ちを吐露することで、共感してくださる方が少数でもいてくださるだけで、自分のわだかまりがとけるだろうと感じているからみたいです。

稚拙すぎて、齢五十をこえた人間が話すような内容ではないのでしょうが、「人によっては多感な十代の頃の体験を後年まで引きずることがあるのだな」ぐらいの気持ちで拙文にお付き合いいただけると嬉しいです。

私にはいつ思い出しても苦い思い出というものがいくつかあります。その一つが高校時代そのものです。自分が自分らしく過ごせなかった高校時代を当時も今も好きになれません。

その理由については諸々あるのですが、全てを書き尽くすことはできないので、今回はそのうちの一つをお話したいと思います。

小学生時代の私は肥満児(当時はその呼称が公に許されていました)でした。小学校4年時の担任であり恩師との出会いが私自身を変えるきっかけとなりました。

5年生の半ばになった時、恩師(担任は変わっていましたが)から「健康のために何かもっと運動をした方がええ、俺が今度監督することになったから一緒にサッカーやろ」と小学校体育連盟主催のサッカー大会出場に向けて学校のサッカーチームに誘われました。

私はその時そんなにサッカーにも運動にも関心がある方ではありませんでしたが、仲が良かった友達のほとんどがチームに入るということで、友達からの誘いもあったので一緒にサッカーチームに入ることを決めました。

恩師はもともと野球経験者でサッカーに関してはさほど詳しい方ではなかったのですが、種々のスポーツが好きな方で、その指導法は当時では珍しく誉め上手で、もちろん厳しさはありましたが、その倍は誉めていたと思います、

その指導もあってか、知らないうちにサッカーを楽しんでいる自分がいました。そして、気付くと体重も減少し肥満児ではなくなっていました。

体重の減少に比例して動作がしやすくなり、サッカーも運動そのもののも大好きになっていきました。

卒業する時にはこれからもサッカーを続けたいと思う程でした。

しかし、地元の中学校にはサッカー部がありませんでした。サッカーを続けるには地元のサッカークラブに所属するしかありません。今となっては何にこだわったのか覚えていませんが、当時の私には学校の部活動以外でスポーツをするという選択肢が全く頭に浮かびませんでした。

「高校でサッカー部に入部しよう。中学校3年間はとにかく脚を鍛えられる種目をしよう」と考えて、出した結論が剣道部でした。

脚を鍛えるとなると陸上部なども思い付いたのですが、剣道は小学校1年生から3年生まで地元の道場に通っていた(正確には母親に通わせられていた)こともあり、少し経験があったからということと親友である幼馴染みも一緒に入部するという話をしていたからでした。

中学校3年間を剣道部で過ごし、卒業を迎え、高校進学と同時に意気揚々とサッカー部に入部したのは良いものの、ここで挫折(私にとって大きな挫折)を味わうこととなるのでした。

先輩方はもちろん、同期も過半数が中学校サッカー部もしくは少年サッカークラブ出身者でした。

その中で私を含めて素人同然の入部者にとって経験者にとっては普通の練習が相当難しいものに感じるある上に、漫画「キャプテン翼」の影響か入部者がとても多い学年でした。

練習は前半の基礎トレーニングは全員で、後半の技術トレーニングは経験者組と未経験者組に分かれて行っていました。

3年生には同じ小中学校を卒業した先輩がおられ、二人ともサッカー未経験者でありながらレギュラーの座を獲得されていて、憧れであると同時に「いつか自分も」という淡い期待を持って練習に打ち込んでいました。が、それはもろくも崩れていきました。

この年頃にありがちなことかもしれませんが、同期内でリーダー的存在を中心に一部の経験者と未経験者の間に溝ができ始めたのです。

ある日、リーダー的存在(彼が望んだのではなく上級生が自然に各学年リーダーを決めていたような気がします)の同期が、未経験者組を集めて「お前らに何か至らないことがある度に俺が先輩に叱られる。いい加減にして欲しい。今年は人数が多いから(練習を厳しくして)ふるいにかけるという話も出ているらしい。もっとしっかりしてくれよ!」と叱責しました。

正直、「至らないこと」が練習態度なのか何なのか私には理解できませんでした。ただ私は、どんな理由にせよ先輩方は今のサッカー部にこんな人数はいらないと思い、何らかの形でふるいにかけようとしていると解釈してしまったのです。

それでもまだサッカーが好きで続けようと頑張ってはみたのですが、その一件以来、一部の同期とギクシャクし始め、それに追い討ちをかけるように担任に呼び出され、複数科目で赤点を採ったため、追試で基準点に満たなければ留年になると言われました。

肉体的な疲労だけではなく、変に気を使っていたのでしょう、知らぬ間に精神的な疲労も蓄積して、恥ずかしながら当時は帰宅しても勉強などほとんどせずに眠りにつく日々を送っていました。

結局、私は1年生の夏合宿を終えた時点で退部しました。気にかけてくださっていた先輩は「1年の夏合宿が一番しんどいねん、それを乗りきったんやからここで退部するのはもったいない」と声をかけてくれましたが、その時の私は「これから同期と仲良くできるのか...」「試合に出られないなら...」「留年か...」などという思いの方が強く、退部を決意しました。

退部後は、サッカー部の先輩方とも何となくギクシャクしてしまい、廊下ですれ違ってもうつむき加減になってしまう自分がいました。

勝手に「負け犬」「途中でケツを割った奴」というレッテルを貼られたと思い込んでいたからです。

それ以来、堂々とサッカーが好きと口にできなくなっている自分がいました。

ただ、この時の経験が今の私に大きな影響を与えていることは間違いありません。

あの時代から数十年経ち、図々しさも会得したので、ようやく「素人ですが」とか「途中でケツを割ったサッカー部員ですが」などの枕詞なしで「サッカーが好きです」と言えるようになってきました。

スポーツだけではなく様々な分野で、色々な考えの人達がいます。初心者に対して「少しかじっただけで、好きなんていうのはおこがましい」という人にも何人も出会いました。

その人達が何年も何十年もその分野で経験を積まれてきたこと、努力されてきたことは認めますし、おそらくそれがあるから素人に毛がはえた程度の人達が軽々しく「何々が好き」と言うのが気に入らないのでしょう。

理解はできます。しかし、チームに詳しくなくても選手に詳しくなくても、プレー内容に詳しくなくても、私は今なお「サッカーが好き」と言わせて欲しい。そして、あらゆる分野で素人に毛がはえた程度でも好きと言っていいじゃないかと思っています。

もし、同じ思いを抱いている皆さんがおられれば、色々な考えの人がいて当然、自分勝手に卑屈にならず、知ったかぶりはしないことを前提に、好きなものは好きって言いましょう!

「好きを止めるな!」

蛇足となりますが、大学剣道部では先輩、同期、後輩に恵まれ、レギュラーとレギュラーでない者の良好な関係性、競技自体を楽しむことを学びました。



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