多摩動物公園ユキヒョウ物語-彼らの生きた証-(1991年〜2023年)
多摩動物公園(東京都日野市)のユキヒョウたちを中心に、1991年から日本国内で飼育してきたユキヒョウたちの歴史をまとめます。かなり長いです。
今回はユキヒョウたちの誕生、移動、繁殖、死といった大きなポイントに特にフォーカスを当てています。名前のみ登場する個体もいますが、日本で暮らしてきたユキヒョウは全頭紹介していると思います。
物語に入る前に…
まず、日本で最初にユキヒョウの繁殖に成功したのは札幌市円山動物園。多摩動物公園より前、1984年からユキヒョウの飼育を継続して行っています。
▼グレートとロッキーの子ども
・タケシ(1987年4月27日生まれ)→オーストラリア出身の「カルミィア」との間に「ホッピー」という子どもを授かりました。ホッピーはその後、韓国へ。→1996年11月7日天国へ。
・ユキエ(1987年4月27日生まれ)→王子動物園へ。後述する「ミユキ」の母です。パートナーはスイス出身の「ザルツ」。
・ヒサオ(1988年4月18日生まれ)→東山動植物園へ。東山動植物園出身の「パトラ」とパートナーになりました。
・フブキ(1990年3月9日生まれ)→浜松市動物園へ。カナダ出身の「ビアンカ」とパートナーになりました。
・パーチ(1991年4月20日生まれ)→大森山動物園へ。東山動植物園出身の「ライサ」との間に「ベガ」「マーズ」を授かりました。
・テツゾウ(1991年4月20日生まれ)→東武動物公園へ。ドイツ出身の「ナンガ」(群馬サファリから)とパートナーになりました。
・プリン(1991年4月20日生まれ)→旭山動物園へ。東山動植物園出身の「ゴルビー」とパートナーになりました。
そして、名古屋市東山動植物園も、多摩動物公園より前にユキヒョウの繁殖を成功させています。
はじめは「イシュラン」(オス)と「バイカ」(メス)というペアで、1988年にオス1頭(ランド)、メス1頭(パトラ)を授かりました。これが国内3例目のユキヒョウ誕生となります。続いて1991年にオス1頭(ゴルビー)、メス2頭(カイフ、ライサ)を、1992年にオス2頭(コガ、ヨシダ)を授かっています。
▼イシュランとバイカの子ども
・ランド(1988年5月8日生まれ)→上野動物園へ。
・パトラ(1988年5月8日生まれ)→東山動植物園へ。円山動物園出身のパートナー「ヒサオ」との間に「ユキ」を授かりました→のちに世界最高齢のユキヒョウに。
・ゴルビー(1991年4月16日生まれ)→旭山動物園へ。円山動物園出身の「プリン」とパートナーになりました。
・ライサ(1991年4月16日生まれ)→大森山動物園へ。円山動物園出身の「パーチ」とパートナーになりました。
・カイフ(1991年4月16日生まれ)→日本平動物園へ。
・コガ(1992年6月8日生まれ)→日本平動物園へ。王子動物園出身の「ヒメ」とパートナーになりました。
・ヨシダ(1992年6月8日生まれ)→多摩動物公園へ。後述する「ミユキ」とパートナーになりました。
最初は円山動物園と東山動植物園の間で、ユキヒョウのペアリングをさかんに行っていたことがわかります。
ただ、私は円山動物園・東山動植物園のユキヒョウにまだ会ったことがありません。2つの園と並んでユキヒョウの繁殖・飼育実績が多々あり、私も何度も足を運んでいる多摩動物公園を舞台に、今回は記事を書こうと思った次第です。
★ユキヒョウを飼育している動物園(2023年11月現在)
▼8つの施設で18頭
札幌市円山動物園(1頭:シジム13歳)
旭川市旭山動物園(1頭:ユーリ4歳)
秋田市大森山動物園(3頭:アサヒ12歳、リヒト7歳、ヒカリ1歳)
多摩動物公園(6頭:ヴァルデマール19歳、ミミ14歳、ミルチャ15歳、コボ10歳、フブキ6歳、フク6歳)
いしかわ動物園(3頭:スカイ12歳、ジーマ13歳、ヒメル0歳)
浜松市動物園(1頭:リーベ20歳)
名古屋市東山動植物園(2頭:ユキチ14歳、リアン12歳)
神戸市王子動物園(1頭:ユッコ14歳)
▼年齢順(出生地)
♀リーベ:20歳(ポーランド)
♂ヴァルデマール:19歳(フィンランド)
♀ミルチャ:15歳(多摩)
♂ユキチ:14歳(多摩)
♀ミミ:14歳(オーストリア)
♀ユッコ:14歳(円山)
♀シジム:13歳(スウェーデン)
♀ジーマ:13歳(ドイツ)
♀アサヒ:12歳(多摩)
♂スカイ:12歳(多摩)
♀リアン:12歳(円山)
♂コボ:10歳(カナダ)
♂リヒト:7歳(旭山)
♂フブキ:6歳(ロシア)
♂フク:6歳(多摩)
♀ユーリ:4歳(旭山)
♀ヒカリ:1歳(大森山)
♀ヒメル:0歳(いしかわ)
ちなみに私がこれまで会ったことのあるユキヒョウは、
リーベ、ヴァルデマール、ミミ、ミルチャ、コボ、フブキ、フク、スカイ、ジーマ、ヒメルです。
会ったことがないユキヒョウはシジム、ユーリ、アサヒ、リヒト、ヒカリ、ユキチ、リアン、ユッコ。
それでは、物語の始まりです。
ユキヒョウたちの生き様がたくさんの人の心の中に残りますように。
【第1章】多摩動物公園の最初のユキヒョウたち
1991年9月4日 ミユキ来園
多摩動物公園に最初にやってきたユキヒョウは2頭。
「ミユキ」は、1990年5月19日、神戸市立王子動物園で生まれたメス(父:ザルツ、母:ユキエ)。多摩動物公園にやってきたのは1991年9月4日のことでした。ミユキとともに、同じく王子動物園から、兄弟の「カズユキ」(オス)も来園しました。これが、多摩動物公園のユキヒョウ物語の始まりです。
ミユキとカズユキは、関西初のユキヒョウの赤ちゃんとして生まれました。生まれたのは神戸ですが、前述した円山動物園のユキヒョウの家系に属します。母のユキエは、グレートとロッキーの最初の子どもとして円山動物園で生まれています。
▼ミユキには、カズユキの他にもたくさんの姉弟がいました。
・ユキヨ(ユキコ?1991年5月10日)→中国へ。
・オウジ(1993年7月26日生まれ)→中国へ。
・コウベ(1993年7月26日生まれ)→中国へ。
・キョウコ(1993年7月26日生まれ)→京都市動物園→沖縄こどもの国へ。→2003年12月17日天国へ。おそらく沖縄の最初で最後のユキヒョウ。
・ミヤコ(1993年7月26日生まれ)京都市動物園→天王寺→中国へ。
・ゼビューロス(1995年4月4日生まれ)→1998年1月15日天国へ。
・ボレアス(1995年4月4日生まれ)→1998年1月19日天国へ。
・ヒメ(1995年4月4日生まれ)日本平動物園→東武動物公園へ。
特筆すべきは、ほとんどが中国へと渡ったこと。当時の中国は本格的な経済成長期真っ只中で、大阪や兵庫の動物園では動物交換が盛んにおこなわれていました。
現在、中国は世界の6割以上を占める約4500頭のユキヒョウを抱えている「ユキヒョウ大国」です。
1993年~1995年 ヨシダ来園
「ヨシダ」はミユキのお婿さんとして、1993年から1995年頃(正確な年月日は不明)に多摩動物公園に来園しました。「ヨシダ」という名前は日本人の中では大変ありふれた名前ですが、ユキヒョウの中では唯一無二の名前です。由来は双子の兄弟の「コガ」とともに日本の柔道選手から。
彼は前述したように、1992年6月8日に東山動植物園で父イシュラン、母バイカのもとに生まれました。多摩動物公園を経て、2002年に群馬サファリパークへと移動しています。
なお、兄弟の「コガ」はその後日本平動物園へ移動し、ユキエとザルツの子である「ヒメ」とペアリングを開始します。
1995年の多摩動物公園パンフレットによると、当時の多摩のユキヒョウは、
・シスコ(1986年6月10日生まれ)フィンランドのヘルシンキ出身のユキヒョウです。上野動物園からやってきました。1997年3月16日天国へ。
・ケルベロス(1986年7月25日生まれ)フィンランドのヘルシンキ出身のユキヒョウです。上野動物園からやってきました。2001年4月1日天国へ。
・ヨシダ
・ミユキ
・カズユキ
の5頭だったようです。
シスコとケルベロスは上野からやってきたユキヒョウ。前述したイシュランとバイカの子として生まれた「ランド」(1988年5月8日生まれ)も上野に移動していました。上野動物園にユキヒョウがいたことは知らない人が多いかもしれません。
▼こちらのブログには、老衰で亡くなったケルベロスの毛皮の写真があります。とてもきれいな状態です。
1996年5月2日 ミユキとヨシダ、親になる(ミカ、ヨシキ誕生)
「ミユキ」は、「ヨシダ」と1995年末からお見合いを重ねました。2頭はとても相性がよく、1996年1月24日に交尾を確認。
そして、1996年5月2日、3頭(オス2頭とメス1頭)を出産しました。これが多摩動物公園の初めてのユキヒョウの繁殖となりました。
メスの赤ちゃんは、母の名から一文字とって「ミカ」と名付けられました。オス2頭のうち無事に育った1頭は「ヨシキ」と名付けられました。
1998年4月6日 カズユキ&ヨシキ、とくしま動物園へ
多摩の最初のユキヒョウ「カズユキ」と、カズユキの双子であるミユキの子「ヨシキ」がとくしま動物園へ移動しました。
四国初のユキヒョウ上陸です。
ヨシキは1999年11月22日に、カズユキは2008年8月18日に天国へ旅立ってしまいます。
現在とくしま動物園にユキヒョウはいませんが、園内の動物センターにはカズユキかヨシキと思われるユキヒョウのはく製が展示されています。
1999年5月4日 ミユキ、2度目の出産(マユ、マミ誕生)
のちに偉大な母となる「マユ」の誕生です。ミユキは2回目の出産でも3頭(オス1頭、メス2頭:マユ・マミ)の赤ちゃんを授かりました。
マユはその後もずっと多摩で過ごし、双子の「マミ」は東北サファリパークへと移動しました(マミは2006年7月9日に亡くなりました)。
▼こちらのブログには、マユ・マミとともに生まれたオスの赤ちゃんと思われる写真がありますが、生まれてすぐ亡くなってしまったようです。
2000年8月23日 ミユキ、3度目の出産(マイケル誕生)
3度目の出産では2頭(オス1頭、メス1頭)が生まれました。そのうちオスは「マイケル」(Michael)と名付けられました。瞳の色が美しく、優しい表情が印象的なユキヒョウへと成長します。
こうして、ミユキとヨシダの子どもは、5頭(ミカ、ヨシキ、マユ、マミ、マイケル)が無事に育ちました。4頭は母にちなんで「マ行」の名前が付けられ、ヨシキだけは父の名を少しもらいました。
【第2章】モテ男「シンギズ」と繁殖したユキヒョウたち
2000年10月13日 シンギズ来園~偉大な父は21世紀を日本で迎える~
2000年、野生のユキヒョウの生息地であるカザフスタンより「シンギズ」が来園しました。来園時、すでに推定10歳。立派なオスのユキヒョウです。そして、初の野生由来個体でもあります。
のちに多摩動物公園のユキヒョウの代表的な存在となるシンギズは、来園時から「優雅で気品がある」と評され、2003年9月21日には「功労動物」として表彰されました。
シンギズはのちに「閣下」と呼ばれる伝説のユキヒョウとなります。
毛量が多いユキヒョウの中でも特にモフモフとした個体で、夏毛と冬毛の違いが一目瞭然でした。シンギズの足音はほとんど聞こえなかったといいます。
2003年5月4日 ミユキ、4度目の出産。シンギズ、父になる(ミュウ、マイ誕生)
「シンギズ」が父親としての一歩を踏み出しました。お相手は、ヨシダと3回の繁殖を経験している「ミユキ」。
2003年5月4日、ミユキは2頭の赤ちゃんを出産。いつも通り、マ行で始まる名前を公募で募りました。
総投ヒョウ数は…1254ヒョウ!
▼上位20位はこんな名前
マミ、マキ、マユ、マユキ、マユミ、マリモ、マリン、マリ、マロン、マコ、マル、マイ、マーブル、ミミ、ミルク、ミュウ、ミキ、ミユ、メイ、モモ。
この中から、「マイ」(11票)と「ミュウ」(17票)が選ばれました。
2003年6月 ミカ、最初の出産(ハン・ティングリ誕生)
ミユキの初めての子ども「ミカ」は7歳になり、シンギズとペアリングを行いました。2頭はとても仲が良く、2003年6月に「ハン・ティングリ」(カザフスタンの山の名前。ウイグル語で「天の王」を意味します)を授かります。
※つまりシンギズは母(ミユキ)と娘(ミカ)どちらとも繁殖したことになる…
ハン・ティングリを含め、当時の多摩動物公園のユキヒョウは8頭になりました(オス2、メス5、不明1)。しかしハン・ティングリは、生後2か月で亡くなってしまいました。
なお、彼と同じ名前のユキヒョウを保護している自然公園が、カザフスタンにあるそうです。
2003年12月 マイケル、熊本市動植物園へ
ミユキの3度目の出産で、2000年8月23日に生まれた「マイケル」。まだ生後4か月でしたが、熊本市動植物園へと旅立ちました。
マイケルは片目が不自由で、不便な生活を送っていたかもしれません。しばらくは一頭でのんびり暮らしていましたが、のちに生涯のパートナーとなる「スピカ」とともに、熊本で愛されました。そして、2013年1月10日、12歳4か月で亡くなりました。
▼マイケルの写真が掲載されている貴重なブログです。やはり、瞳の色が美しいです。
熊本市動植物園には、円山動物園でグレートとロッキーの間に1990年3月9日に生まれた「コユキ」も移動しました。コユキはアメリカ・サンアントニオ動物園出身の「ルイス」や、アメリカ・バッファロー動物園出身の「ボロミール」とのペアリングを行いましたが、赤ちゃんは生まれませんでした。
※ルイスは1996年2月2日に、コユキは2001年12月26日に、ボロミールは2002年1月2日に亡くなりました。
2004年3月23日 ミュウ、王子動物園へ
ミユキの4度目の出産で生まれた「ミュウ」は、まだ1歳未満という若さで、おばあちゃんの「ユキエ」が暮らしていた神戸市立王子動物園へ旅立ちました。ミュウは来園してすぐ園の人気者となりました。
その後、ミュウは2012年2月2日には東山動植物園へ、2017年3月6日には甲府市遊亀公園附属動物園へ移動することとなり、のちに双子のマイとともに国内最高齢のユキヒョウとなります。
2004年5月6日 ミカ、天国へ
ミユキの最初の子ども「ミカ」は出産後1年足らずで、若くして亡くなってしまいました。シンギズのことが大好きだったミカ。彼に優しく寄り添っている姿が印象的です。
誕生後すぐに亡くなった息子「ハン・ティングリ」と、天国で再会できていることを祈ります。
2004年12月6日 ユキ来園
2004年12月6日、名古屋市東山動植物園から「ユキ」が来園。1998年5月13日、ポーランドのポズナニ動物園で生まれたメスです。ユキは、マユともに「多摩動物公園のユキヒョウの母」として頭角を現していきます。
※ユキは「アルタス」というオスとともに双子で生まれました。母「ジュンガ」は実は日本生まれ。ジュンガは「ヨシダ」の妹としてイシュランとバイカのもとに生まれた「パトラ」の娘です(パートナーは円山生まれの「ヒサオ」)。東山動植物園で生まれ、ポーランドへ渡っていたのです。ポーランドではオスのChensiと出会い、ユキを授かりました。
つまり…
ユキにとって、おばあちゃん(パトラ)の兄であるヨシダは「大叔父」!複雑ですね。
ちなみにパトラが産んだ「ジュンガ」は三つ子で、きょうだいの「バルバット」(オス)は中国へ、「ガーベラ」(メス)は韓国へ渡りました。この三つ子は海外移住組だったのです。
検疫を終え、ユキは2005年1月29日から一般公開されました。これで多摩動物公園のユキヒョウはオス1頭、メス4頭となりました。
2005年2月23日 シリー来園
ユキに続き、海外の血統が導入されました。「シリー」は1990年7月31日、イギリスのバナム動物園で生まれたメス。1993年に群馬サファリパークへ来日し、多摩動物公園へやってきました。大変貴重な血統の個体でしたが、残念ながら繁殖には至らず、多摩動物公園でその一生を終えることになります。
でも、ユキヒョウの長寿記録としては、シリーはとても上位の存在です。
ユキやシリーは繁殖適齢期に達した状態で来園しましたが、これまで出産経験がなかったことを考えると、この時代にようやくユキヒョウの繁殖に適した環境が整えられていったのだと推測できます。また、これまでは主に円山・東山間で行っていたユキヒョウの繁殖の取組に、多摩が参入する時代となっていったのでしょう。
2005年5月27日 ユキ、最初の出産(カーフ、エニフ、スピカ誕生)
ポーランド出身の「ユキ」は来園から約半年で、初の出産を迎えます。父親はもちろん「シンギズ」(この時推定15~16歳)です。
ユキは3頭の赤ちゃんを無事に生存させ、オスは「カーフ」、メス2頭は「エニフ」、「スピカ」と名付けられました。星の名前に由来した美しい名前です。
多摩の「ユキヒョウベビーラッシュ期」の始まりです。
ユキは初めての出産後、非常に神経質になっていて、産箱からえさを食べに出てくる姿を確認できたのは、出産後約1週間のことでした。それでも立派に子育てをやり遂げ、3頭を無事に成長させました。
2005年6月7日 マユ、最初の出産(シリウス、アクバル誕生)
ミユキの2回目の子どもであり、ミカの姉でもある「マユ」。ユキの出産に続き、6歳で初めて出産を迎えました。シンギズはユキともマユともほぼ同時に繁殖を成功させた、すごいパパです。
生まれた子どもはいずれもオスで、一頭はユキの子どもたちと同じく星の名前から「シリウス」、もう一頭はカザフスタン共和国より「アクバル」(アラビア語で「偉大な」という意味)と命名されました。
ユキとマユの子5頭は2005年10月8日、皆で一緒に命名式を行いました。
本来、動物の出産や育児というものはとても難しく、複数頭生まれても全員が生き残ることはまれです。でも、ユキとマユの子どもたちはほとんどが無事に育っていきます。
ここには彼女たちの母親としての潜在能力の高さや、動物園職員さんたちの献身的なサポートがあったことがうかがえます。
【第3章】シンギズの血は海を渡る~国外ユキヒョウ、続々来日~
2006年3月30日 アクバル、円山動物園へ
2005年6月7日に生まれた偉大な子「アクバル」は、1歳を迎える前に北海道へ旅立ちました。アクバルは、移動先の円山動物園で生涯を全うすることになります。
ちなみに2005年12月31日時点での国内ユキヒョウ飼育数は、11施設で26頭(オス12頭、メス14頭)だったようです。
2006年3月31日 ティアン来日(王子動物園)
2004年3月23日にミユキの4度目の出産で生まれた「ミュウ」が旅立った王子動物園には、お婿さんとして「ティアン」がやってきました。ティアンは「天」という意味の愛称。
ティアンは2003年6月12日、フランスの Les Felines d’Auneau(レ・フェラン・ド・ノー)動物園生まれ。
ボンジュール、ミュウ。2頭の相性が注目されます。
ところが…
幸先はあまり良くなかったようです。ミュウはティアンに興味津々でしたが、ティアンが怖がってミュウの背中を噛んでしまいました。繁殖に向けたオスとメスの同居において、2頭の闘争は最も避けたい事態。
幸い、ミュウの命に別状はありませんでしたが、2頭の今後が心配です。
2006年4月15日~カーフ、スピカ、シリウスの旅立ち
ユキとマユの最初の子たちが3頭、相次いで移動しました。
「カーフ」(ユキの子):2006年4月19日、東山動物園へ。その後、2010年2月には浜松市動物園へ。
「スピカ」(ユキの子):2006年4月21日、熊本市動植物園へ。「マイケル」が待っています。
「シリウス」(マユの子):2006年4月15日、和歌山県アドベンチャーワールドへ。
3頭の出発後、多摩動物公園のユキヒョウは、オス2頭、メス5頭の計7頭に。ユキとマユの子5頭の中で残ったのは、メスの「エニフ」だけとなりました。
2006年5月17日 ヴァルデマール、来日
「ヴァルデマール」は、2023年11月現在、最も長く多摩動物公園にいる、最高齢のオスのユキヒョウです。
出身はフィンランドのヘルシンキ動物園で、「ヴァルデマール(Valdemar)」という名前は中世デンマークの大王の名前から付けられました。
2004年5月23日に生まれたヴァルデマールは、1歳10か月で多摩に来園。来園は諸事情により一か月遅れ、2006年5月17日となりました。
ヴァルデマールの来園により、多摩動物公園のユキヒョウは10頭(オス4頭:シンギズ、ヴァルデマール…あと2頭不明?、メス6頭:ミユキ、ユキ、マユ、エニフ、シリー、あと1頭不明?)と最多数になりました。
2006年5月31日 エニフ、イギリスへ
ユキの最初の子の中で唯一多摩に残っていた「エニフ」にも、ついに旅立ちの時が。カーフとスピカは国内での移動でしたが、遠くイギリスへ一頭だけ旅立つことになりました。移動先はシリーの故郷、バナム動物園。
日英の動物園間の協力により、2世の誕生が期待されました。
エニフはその後「Rocky(ロッキー)」というパートナーと出会い、子孫を授かり、ロッキーとともに生涯を全うします。
2007年7月28日 リーベ来日(円山動物園)
「リーベ」は、2023年11月現在、国内最高齢のユキヒョウです。
2003年5月12日、ポーランドのKrakow動物園で生まれ、2006年7月28日、ドイツのニュルンベルク動物園から札幌市丸山動物園に来日しました。
円山動物園では、「アクバル」が待っています!2頭の繁殖はうまくいくでしょうか。
【第4章】マユユキ・シンギズが築いた黄金時代~ミユキ、ありがとう~
2007年5月19日 マユ、2度目の出産(マイヤ誕生)
2007年5月19日、8歳になった「マユ」が赤ちゃんを1頭出産しました。父のシンギズはこの時推定16歳。だいぶ高齢になってきました。
今回生まれた子は、ミユキを彷彿とさせる「マ行選考」で「マイヤ」と名付けられます。2007年6月1日より、モニター映像による公開が開始されました。
マイヤを含め、多摩動物公園のユキヒョウは当時7頭(オス2、メス5)でした。
2008年4月9日 ユキ、3度目の出産(コハク、スオウ、ハン誕生)
マイヤの出産から1年弱、「ユキ」も3頭の赤ちゃんを出産しました。2007年に、ユキは2度目の出産を経験したのですが、残念ながら死産でした。
生まれた3頭のうち、2頭については名前を募集し「コハク」と「スオウ」に。残る1頭は、父親であるシンギズの故郷カザフスタンの大使館が「ハン」と命名しました。
3頭は全員オス。多摩動物公園のユキヒョウは、オス5頭、メス5頭の10頭となりました。このときの多摩は、ユキヒョウの搬出と誕生がほぼ同じ頭数で繰り返されていました。
2008年6月10日 マイヤ、カザフスタンへ
マユの2度目の出産で生まれた「マイヤ」は、1歳になってすぐの2008年6月10日、カザフスタンへと旅立ちました。
多摩動物公園は、かねてよりカザフスタン大使館からシンギズの子どもをアルマティ動物園で飼育したいという依頼を受けていました。
ユキヒョウの寄贈は、多摩動物公園開園50周年記念事業の一つ。カザフスタン共和国と相互に動物を交換することになっていたようです。
ユキヒョウに引き続き、11月にはニホンザル10頭(オス6頭、メス4頭)も寄贈しました。カザフスタン共和国からは、ヒツジのなかまであるアルガリ2頭が寄贈されたそう。
2008年6月26日 マユ、3度目の出産(ミルチャ誕生)
2008年6月26日、マユは1頭の赤ちゃんを出産。シリウス、アクバル、マイヤの妹です。
今回も「マ行選考」でしたが、さらに日本の伝統色の中から選ばれ、最終的に「ミルチャ」に決定。「ミルチャ(海松茶)」という色は暗緑色がかった茶色です(渋い)。
ミルチャは2008年7月17日から、モニターを介して公開され、2008年8月30日から一般公開されました。2023年11月現在、ヴァルデマールの次に多摩の古参であるユキヒョウです。
ミルチャは他のユキヒョウとのけんかなどで、顔に傷がつき、耳が欠けてしまいました。でも、運動神経はぴか一で、ユキヒョウの可能性というものを存分に見せてくれるのがミルチャです。
2008年8月18日 ミユキ、天国へ
2008年8月18日、多摩動物公園の最初のユキヒョウ「ミユキ」が亡くなりました。
死亡年齢は18歳。飼育年月は16年11か月。大往生だったのではないでしょうか。ミユキはヨシダとシンギズとともに10頭もの子どもを残した、大変偉大な母でした。
ミユキの死亡後、多摩動物公園のユキヒョウは、オス5頭、メス4頭となりました。また、2007年12月31日時点で、国内では12の施設でオス13頭、メス14頭の計27頭が飼育されていました。
ミユキは17年近く多摩で暮らし、パートナーや子どもたちとたくさんコミュニケーションをとっていたママだったとわかります。子どもたちが無事に育ったのも、ミユキの「ことば」による導きがあったからではないでしょうか。
2009年5月2日 アクバル、父になる(ヤマト、ユッコ誕生)
2006年に1歳で円山動物園に旅立った「アクバル」がついに父親に。
パートナーとして迎えた「リーベ」との相性はとても良好でした。
2009年5月2日にリーベが出産した赤ちゃんは2頭(オス1頭、メス1頭)。オスは「ヤマト」、メスは「ユッコ」と名付けられました。
2009年5月29日 コハク、東山動植物園へ
2009年5月29日、ユキの3度目の出産で生まれた「コハク」が名古屋市東山動植物園に移動しました。
コハクはその後、東山動植物園の所有となり、2018年2月5日に浜松市動物園へ移動し、2019年12月18日には円山動物園へ移動することとなります。
コハクが旅立った後、多摩動物公園のユキヒョウは、オス4頭、メス4頭の計8頭となりました。
【第5章】ユキ、最後の出産。ヴァルデマール、父になる~シンギズ、父引退か?~
2009年7月2日 ユキ、4度目の出産(ユキチ誕生)
2006年5月17日多摩に来園した「ヴァルデマール」が、パパになりました。パートナーは「ユキ」で、出産日は2009年7月2日。
ベテランママのユキは、今回が4回目の出産で、落ちついて子育てをしました。2005年5月の初産と違い、今回は出産当日からえさを食べに産箱から出てきて、食べ終わるとすぐ赤ちゃんのもとに戻っていきました。赤ちゃんはお乳をたっぷりもらっていたらしく、ほとんど鳴き声は聞こえず、安心してユキに寄り添っていたようです。
ユキの出産後、多摩のユキヒョウは、オス4頭、メス4頭、性別不明の赤ちゃん1頭、計9頭となりました。
そして赤ちゃんの性別は男の子と判明。名前は投票で「ユキチ」に。
ウシワカマールと呼ばれることになっていたかもしれないユキチは、生後4か月で一般公開され、すぐに体力がついてきたので公開から1か月で展示時間を延ばすことになりました。
2009年9月19日 マイヤ、天国へ(カザフスタン)
マユの2度目の出産で生まれ、1歳でカザフスタンへと渡った「マイヤ(Maiya)」は、旅立ちから約1年、2歳という若さで亡くなりました。死因は肺炎。アルマティ動物園のスタッフたちも大変悲しんだそうです。
カザフスタンで大きくなったマイヤを見たかったです。彼女は幸せだったのでしょうか。
2009年10月15日 ハン、カザフスタンへ
ユキの3度目の出産で生まれ、カザフスタン大使館から命名された「ハン」は、父シンギズの故郷であり、マイヤが生涯を終えたアルマティ動物園へ旅立ちました。
ハンの出発後、多摩動物公園のユキヒョウは、オス4頭とメス4頭の計8頭になりました。
2010年2月26日 スオウ、イギリスへ
兄弟の「ハン」がカザフスタンへ渡った数か月後、「スオウ」はイギリスのトワイクロス動物園に寄贈されました。
スオウはここで生涯愛され、多くの子どもを授かる父となります。
2010年4月13日 シリー、天国へ
イギリス出身の「シリー」が、2010年4月13日に肺腫瘍のため亡くなりました。19歳8か月でした。飼育年月は5年2か月。
シリーの死亡後、多摩動物公園のユキヒョウはオス3頭、メス3頭となりました。ユキやマユと違い、繁殖という点では名前が残らなかったシリーですが、多摩での生活を謳歌してくれたでしょうか。とても長生きだったことがその証明だと思いたいです。
2010年4月30日 ミミ来日
2010年4月30日、オーストリアのザルツブルク動物園からメスの「ミミ」が来園しました。海外からユキヒョウが多摩にやってきたのは、2006年5月17日のヴァルデマール来日以来約4年ぶりでした。
ミミ到着後、多摩動物公園のユキヒョウは7頭(オス3頭、メス4頭)になりました。
ミミは2023年11月現在も、多摩動物公園で暮らしています。ほかの個体より小柄でスリムな体型が特徴の、可愛いユキヒョウです。
2010年5月12日 ユキチ、東山動植物園へ
長く多摩動物公園で母親として活躍している「ユキ」ですが、その所有は東山動植物園。そのため東山動植物園と取り交わしているブリーディングローン契約(繁殖を目的とした動物の貸借契約)により、ユキの子として2009年7月に生まれた「ユキチ」は東山動植物園に「返す」ことになります。
ユキチの帰宅により、多摩動物公園のユキヒョウは、オス2頭、メス4頭になりました。
ユキチは2023年11月現在も、東山動植物園の人気者として元気に暮らしています。
2010年6月20日 ユキ、天国へ
2010年6月20日、4回の繁殖に貢献した偉大な母「ユキ」が卵巣腫瘍のため亡くなりました。死亡年齢は12歳とまだ若く、飼育年月は5年6か月でした。
カザフスタン出身の「シンギズ」と6頭、フィンランド出身の「ヴァルデマール」との間に1頭の子どもたちを授けてくれたユキ。子どもたちは国内外のさまざまな動物園に旅立ちました。
ユキの死亡後、多摩動物公園のユキヒョウはオス2頭、メス3頭となりました。
2010年11月14日 ユッコ来園 はじめての「おかえり」
多摩で生まれた「アクバル」の子ども「ユッコ」が、ブリーディングローンの成果として円山動物園から帰宅しました。
父のアクバルは、多摩動物公園が札幌市円山動物園と結んだ「ブリーディングローン(繁殖を目的とする賃借契約)」によって貸し出している個体。よってユッコは多摩動物公園の所有となりました(ユキチが東山動植物園に帰宅したのと同じ意味合いですね)。
ユッコが帰宅したことで、多摩動物公園のユキヒョウは6頭(オス2頭、メス4頭)になりました。おかえり、ユッコ。
【第6章】マユ、最後の出産~シンギズは現役だった~
2011年5月25日 マユ、4度目の出産(アサヒ、エナ、スカイ誕生)
2年ぶりのユキヒョウ誕生です。父は…この時推定21歳の…「シンギズ」!母の「マユ」も12歳と割と年齢を重ねてきましたが、シンギズの凄さに、少しかすんでしまいます。
生まれた子は3頭(オス1頭、メス2頭)。名前が決まるまでは、見た目の特徴などから「もにょこ」「Cちゃん」「長い子」と呼ばれていました。
のちに投票で決まった3頭の名前は、日本の百名山の中から選ばれました。
「スカイ」(オス)<皇海山(栃木県・群馬県)>103票
「エナ」(メス)<恵那山(長野県・岐阜県)> 78票
「アサヒ」(メス)<朝日岳(山形県)>72票
3頭は2011年8月6日から公開されました。
2011年5月1日 アクバルとリーベ、2度目の繁殖(リアン誕生)
2009年にヤマトとユッコを授かった「アクバル」&「リーベ」ペア。2年後に再び赤ちゃんを授かりました。
子どもの名は「絆」を意味する「リアン」。
リアンはその後立派に成長し、2016年3月30日、ユキチが暮らす東山動植物園に移動します。2頭は仲良しカップルとして、現在も一緒に暮らしています。
2011年6月1日 スオウ、父になる(イギリス)
ユキの3度目の出産で生まれ、2010年2月26日にイギリスのトワイクロス動物園へと渡った「スオウ(Suou)」。
2011年6月1日、メスの「Irma(イルマ)」との間に2頭の子を授かりました。
その後も2頭ずつ、計6頭の子を設けました。
2011年6月1日誕生:Makalu、Maya
2013年5月1日誕生:Haru、Sayan
2017年4月1日誕生:Eva、Ceba
2011年12月14日 シジム来日(円山動物園)
2011年12月14日、メスのユキヒョウ「シジム」(2010年5月16日、スウェーデンのNordens Ark動物園で生まれ)が、札幌市円山動物園にやってきました。シジムは「アクバル」との繁殖を目指すことになります。
▼シジムの生い立ちが書かれた記事
「シジム(sizim)」という名前は、生息地の地名からつけられたもの。 12月14日の夜に円山動物園に到着しましたが、輸送箱からほとんど出る事はなく一夜が明け、えさにも手をつけず、奥の方でじっとしていました。
そんなシジムでしたが、アクバルとは相性がよく、これまでに3度、子どもを授かりました。ところが、3度とも死産もしくは赤ちゃんがすぐに亡くなってしまうという悲しい結果になりました。
初産:2019年5月9日。赤ちゃんは数時間後に死亡
2度目の出産:2022年3月30日。3頭出産するも死産
3度目の出産:2023年4月7日~8日。2頭出産するも、1頭は死産、もう1頭は数時間後に死亡
2012年2月末日 ミュウ、東山動植物園へ(王子動物園)
2004年3月23日、多摩動物公園から王子動物園に移動した「ミュウ」。色々あった相棒ティアンとはその後、少しずつ仲良くなったものの子孫を授かることはありませんでした。
2012年2月末日、新たなペアでの繁殖を目的として、ミュウは名古屋市東山動植物園へと移動しました。
ミュウは「ユキチ」の初めてのお嫁さん。その後「リアン」と長く暮らすユキチですが、最初はミュウとのペアリングでした。
当時の東山動植物園は、ユキヒョウ展示場の整備を行っていたため、ミュウは到着後かなり長い期間非公開の場所で暮らしてきました。王子動物園で落ち着いて暮らしていたころにまた引っ越し。ミュウは少しナーバスになっていたそうです。
ミュウとユキチの初対面時は、ティアンとのペアリングの時と同じように、おてんば少女ミュウが興味津々でユキチに熱い視線を送っていたそう。ですがティアンと似た性格のユキチはかなり驚いてパニック状態に。
またまた心配ですが、2頭のペアリングはうまくいくのでしょうか。
2012年3月14日 ユッコ、神戸市立王子動物園へ
多摩出身のアクバルを父に持つ「ユッコ」は、2009年5月2日に誕生し、2010年11月14日から多摩で「一時帰宅」の日々を送っていました。繁殖適齢期になるまで成長するために。
それから1年半。立派に育ったユッコは、繁殖を目的として神戸市立王子動物園へ移動することになりました。行ってらっしゃい、ユッコ。
当時の王子には、ミュウの東山への旅立ちを見送った「ティアン」がいます。
ユッコが王子に来てからもうすぐ12年になります。2023年11月現在は、西日本唯一のユキヒョウとして、大切にされています。後述するパートナーが単身赴任中なので、その帰りを待っています。
2012年03月25日 ジーマ来日(旭山動物園)
日本初の、ドイツの血統を持つユキヒョウが来日。名前は「ジーマ」(2010年5月6日ライプチヒ動物園生まれ)。
ジーマは血統だけでなく、のちに出産・育児経験を持つ貴重なユキヒョウとなっていきます。
ジーマは「ヤマト」とのペアリングをしながら旭山動物園で約10年過ごし、出産と育児を経験したのち、2022年1月17日にいしかわ動物園へと移動します。
2012年9月14日 マユ、天国へ
とても悲しい事故が起こりました。
スカイ、エナ、アサヒを子育て中だった「マユ」が、亡くなりました。飼育年数は13年4か月。
1999年5月4日、ミユキの2度目の出産で生まれたマユは、先に亡くなったユキとともに、多摩のユキヒョウ黄金期を築き上げてきた偉大な母。これまでにシンギズと7頭の子どもたち(アクバル、シリウス、マイヤ、ミルチャ、アサヒ、エナ、スカイ)を生み育ててきました。
13歳だったマユは、まだまだ生きられたかもしれません。
悲しい事故でした。
2013年3月8日 スカイ、いしかわ動物園へ
母の死から数か月後、もうすぐ2歳を迎える三つ子の旅立ちです。まず先陣を切ったのは「スカイ」。北陸初のユキヒョウとして、いしかわ動物園に移動しました。多摩といしかわ動物園との間で、ブリーディングローン契約を結んだのはこの時が初めて。
スカイの移動のお知らせには、「移動先での繁殖相手となるメスの導入は現在未定ですが、今後相手を探すことになります。」と書かれていますが、スカイがお嫁さんを迎えるのは、いしかわ動物園到着から約9年後のことになります。飼育下のユキヒョウの寿命は約20年。繁殖期以外は単独で暮らすユキヒョウですが、9年は少し長すぎた気もします(仕方ないですが…)。
スカイの旅立ちにより、多摩動物公園のユキヒョウは6頭(オス2、メス4)になりました。
スカイはいしかわ動物園で、ジャンプして遊ぶことが好きなユキヒョウとして有名になります。しかも女性の飼育員さんが特に好きで、人を選びながら遊ぶという一面も現れます。
2013年12月28日 ヨシダ、天国へ(群馬サファリ)
多摩で最初に父になったユキヒョウ、「ヨシダ」。ミュウの双子である「マイ」とともに暮らしていた群馬サファリパークで、21歳6か月の生涯を終えました。
当時の生年月日がわかるユキヒョウの中では最高齢でした。2013年に入ってから少しずつ足腰が弱り、眠るように亡くなったそうです。
イシュランとバイカのもとで生まれた7頭のユキヒョウの中では末っ子だったヨシダ。兄姉の「パトラ」(東山動植物園)は2010年2月15日に、「ライサ」(大森山動物園)は2010年5月24日、「ゴルビー」(旭山動物園)は2011年3月3日に相次いで天国に旅立ち(他にもきょうだいは早くに亡くなったランド、カイフ、双子のコガがいます)、パートナーのミユキや子どもたちにも先立たれてしまったヨシダですが、晩年はマイと楽しく暮らせたでしょうか。
2015年10月5日 エナ、カナダへ
マユの最後の子どもたちのうちの1頭「エナ」は、国外への旅立ちとなりました。移動先はカナダのトロント動物園。
エナの旅立ちにより、多摩動物公園のユキヒョウは5頭(オス2頭、メス3頭)になりました。
また、2013年1月1日時点で、世界のユキヒョウは202施設で478頭(オス219頭、メス259頭)が、2014年12月31日時点での国内のユキヒョウは10施設で22頭(オス10頭、メス12頭)が飼育されていました。
エナ(Ena)は、多摩よりずっと寒いトロントで2017年、無事に繁殖を成功させました。子どもの名前はMylo(オス)とKita(メス)。
現在、Myloはアメリカのジョンボール動物園で暮らしています。
Kitaはカナダのアシニボイン動物園で暮らしています。
【第7章】偉大な父シンギズ、26年を生き抜いた
2015年10月10日 シンギズ、天国へ
1つの時代が終わった瞬間です。
「シンギズ」が、亡くなりました。推定26歳。
野生出身のシンギズですが、野生個体の平均寿命の2倍近く生きました。
2000年10月13日、カザフスタン共和国と日本国との友好のシンボルとして、カザフスタン共和国アルマティ動物園から来園したシンギズ。ユキ、マユとたくさんの子孫を残し、その血はたくさんの国へと繋がっています。彼の子孫は目元や耳が特徴的で、その顔つきからシンギズの血が入っているかどうかわかります。
シンギズには亡くなる数年前から腎臓機能の低下があり、治療を受けてきましたが、亡くなる数日前に全身状態が悪化し、足をひきずったり、食欲が低下したりするようになりました。残念ながら状態は回復せず、偉大な最期を遂げました。
シンギズ死亡後、多摩動物公園のユキヒョウはオス1頭(ヴァルデマール)、メス3頭(アサヒ、ミミ、ミルチャ)の計4頭となりました。
2015年12月17日 コボ来日
シンギズの死から2か月後、海外から新たなオスがやってきました。国外からのユキヒョウ導入は、2010年4月30日に来園した「ミミ」以来のこと。オスの導入は、2006年5月17日の「ヴァルデマール」以来のことでした。
やってきたのは、2歳5か月の「KOVO(コボ)」(2013年6月29日カナダ・アシニボイン動物園生まれ)。
コボは2016年4月25日から一般公開されました。
コボは年齢とともに左目だけ色が濃くなってきています。おかげで個体の識別がすぐできますが、視力に問題がないか心配です。
2023年11月現在、コボは夕方頃に放飼場に出ていることが多く、それまでに出ていたユキヒョウたちのにおいを何度も確かめ、たまに岩の上に登ったりボールで遊んだりして、またにおいをかぐ…というのが日課です。
2016年4月19日 ヤマト、父になる(リヒト誕生)
2016年4月19日、アクバルとリーベの子である「ヤマト」が、「ジーマ」との繁殖に成功しました。旭山動物園での初のユキヒョウ繁殖です。
旭山動物園のユキヒョウについて触れていませんでした。
先代の「ゴルビー」(1991年4月16日生まれ)は、東山のバイカ・イシュランの家系です。つまり「ヨシダ」の兄。パートナーだった「プリン」(1991年4月20日生まれ)は、円山動物園の最初のユキヒョウ、グレートとロッキーの娘です(ミユキの母「ユキエ」の妹)。
ゴルビーとプリンは同い年で、誕生日も4日しか変わらないという奇跡的なカップルでした。現在でこそユキヒョウは大変貴重で頭数も少ない動物ですが、当時は繁殖制限をしなくてはならないほどたくさん飼育されていました。
ゴルビーは2011年3月3日に、プリンは2009年4月19日に亡くなりました。
そうしてユキヒョウの飼育実績がある旭山動物園にやってきたヤマトとジーマ。繁殖も成功させてくれました。
2頭の間に生まれた子どもの名前は「リヒト」。母ジーマの故郷であるドイツの言葉で「光(Licht)」という意味です。
リヒトはその後、2018年3月30日、繁殖を目指すため秋田市大森山動物園へ移動します。
2016年09月11日 ティアン、天国へ(王子動物園)
王子動物園で「ユッコ」と暮らしていた「ティアン」が、13歳で急死してしまいました。これまで体調不良等はなかったようですが、11日の早朝に寝室で倒れているところを飼育員さんが発見し、死亡を確認したそうです。
ティアンは2006年に来園した後、メスの「ミュウ」との間で繁殖に取り組みましたが、2頭の間に子どもは生まれませんでした。「ユッコ」とも仲良く暮らしており、繁殖が期待されていた矢先のことでした。
病理組織検査等の結果、死因は全身の循環不全と診断されました。循環不全の原因としては、心臓が弱っていたことや、急性の胃拡張などが考えられるとのことです。
【第8章】新たな世代をつなぐ
2010年頃から、ユキヒョウの誕生と死亡が次々に重っています。ミユキ、マユ、ユキの子たちは人生を全うし、その子孫と新たな血統が命をつないでいく時代へと入っていきました。
2017年6月2日 ミミ、最初の出産(フク誕生)
マユとユキが亡くなってから途絶えていた、多摩でのユキヒョウ誕生。その期間を乗り越え母になったのは、2010年4月30日オーストリアから来日した「ミミ」でした。パパになったのは2015年12月17日に来日した「コボ」。2頭は国内のどのユキヒョウとも血縁関係のない個体。新たな血統で、命が繋がれました。
2017年2月末から3月初めにかけてコボとミミの間で交尾が見られ、2017年6月2日にミミが2頭(オス)を出産。しかし1頭は生まれた当初から動きが悪く、6月5日に亡くなってしまいました。
無事に育ったもう1頭。名前は投票で「フク」に決定。たくさんの「福」が訪れることを願って選出された名前です。
▼投票結果
フク:687票
ボン:404票
カブ:279票
2017年6月8日で、多摩動物公園のユキヒョウは6頭(オス3:ヴァルデマール、コボ、フク メス3:ミミ、ミルチャ、アサヒ)となりました。
なおこの時、日本国内全体では10の施設で合計21頭(オス10、メス11)が飼育されていました。
今回母親の「ミミ」は初産でしたが、フクを熱心に育てました。フクはこれまで多摩動物公園で育ったユキヒョウに比べると、成長が遅れぎみで体調を崩すこともあり、獣医師による治療もおこなっていました。2017年10月12日、フクは無事に放飼場デビューを果たします。
フクは現在多摩動物公園にいる6頭のユキヒョウの中では最も若い個体です。お顔が丸い(ふくふくしている)のですぐにフクだと分かります。若さを存分に発揮し、いつも活発な姿を見せてくれます。
2017年9月30日 カーフ、天国へ(浜松市動物園)
ユキの最初の子どものうちの一頭、「カーフ」が亡くなりました。寂しがり屋で人懐っこい性格のカーフは、飼育員さんを見つけると駆け寄ってくる、とても愛らしいユキヒョウでした。
カーフは2005年5月27日多摩で生まれ、2006年4月19日、東山動物園に旅立ち…その後は2010年2月に浜松市動物園へ移動して暮らしていました。
2015年頃までは健康状態に問題ありませんでしたが、2017年9月30日、腎不全により亡くなりました。三つ子としてエニフ、スピカとともに生まれたカーフは、最初にユキのもとに旅立ってしまいました。
なお、浜松市動物園のホームページには「おじいちゃんでした」とありますが、12歳だったカーフは年齢的にはまだまだ長生きできたかもしれません。腎不全という、ネコ科の動物が罹りやすい病さえなければ。
2018年2月17日 リーベ、浜松市動物園へ(円山動物園)
2009年、2011年に出産と育児を経験した円山動物園の「リーベ」は、カーフが亡くなった浜松市動物園へと移動することになりました。
浜松市動物園には、ユキの3度目の出産で生まれた「コハク」もほぼ同時にやってきました。コハクは2008年4月9日多摩で生まれ、2009年5月29日東山動植物園へ移動しました。そしてリーベが移動するほんの数日前の2018年2月5日、浜松市動物園に先に来園しています。
その後2頭はペアリングを行い、交尾に至りましたが、残念ながらリーベの妊娠はありませんでした。
2018年12月20日 フブキ来日(王子動物園)
2018年12月20日、ロシア・モスクワ動物園で生まれたオスのユキヒョウが王子動物園にやってきました(2017年5月24日生まれ)。ティアンが亡くなってからは一頭で暮らしていたメス「ユッコ」の新しいお婿さんです。
「ロシアから来たユキヒョウくん」は、「フブキ」と名付けられました。
2019年1月20日 マイ、天国へ(群馬サファリ)
多摩の最初のユキヒョウ「ミユキ」の4度目の出産で生まれ、偉大な父「シンギズ」の初めての子どもでもある「マイ」が、群馬サファリパークで亡くなりました。2013年12月28日に「ヨシダ」が亡くなってから5年後のことでした。
「ミュウ」の双子の姉妹もあるマイ。来園者の頭上がお気に入りでした。マイの死亡によって、群馬サファリパークはユキヒョウの飼育を終了しました。
2019年5月10日 シジム、初の出産(円山動物園)
2011年12月14日、スウェーデンから来園したシジム。アクバルとの初めての子どもを授かりましたが、残念ながら数時間で亡くなってしまいました。
その後も…
2度目の出産:2022年3月30日。3頭出産するも死産
3度目の出産:2023年4月7日~8日。2頭出産するも、1頭は死産、もう1頭は数時間後に死亡
シジムは動物の出産と育児というものがいかに困難であることか、私たちに教えてくれた存在です。3度も出産を成功させてくれたので、生まれた子どもも無事に育ってほしかったです。
2019年7月19日 ヤマトとジーマ、2度目の繁殖(ユーリ誕生)
2016年に、希望の光「リヒト」を授かった「ヤマト」と「ジーマ」。2019年7月19日には女の子を授かりました。
名前は「ユーリ」。一般公募で「7月」を意味するドイツ語(Juli)から名付けられました。
ユーリは2023年11月現在、旭山動物園の唯一のユキヒョウとして暮らしています。旭山動物園公式Xでは、頻繁にユーリの写真や動画が投稿されています。
ジーマとヤマトは、これが最後のペアリングとなりました。
その理由が、ユーリが誕生したときのニュースに書かれています。
ゴルビーとプリンのときは、生まれた子どもの行き場がないという理由でしたが、ヤマトとジーマの場合は将来の近親交配を懸念しての繁殖終了でした。
ジーマはこれを機に、新たなお相手を探すことになり…
2022年1月17日、「スカイ」が待つ、いしかわ動物園へと旅立ちます。
2019年7月20日 ミュウ、天国へ(遊亀公園附属動物園)
双子の「マイ」が亡くなった半年後、「ミュウ」も亡くなりました。
ミュウは、多摩動物公園で生まれ、2004年3月23日に王子動物園、2012年2月2日に東山動植物園と移動した後、2017年3月6日からは甲府市遊亀公園附属動物園(甲府)にて隠居生活を送りました。ミュウは瞳が蜂蜜色の、美しいユキヒョウでした。
王子時代にはオスの「ティアン」に、背中に傷を負わされたこともありましたが、のちに仲良しカップルとなって暮らしました。
東山動植物園では、「ユキチ」とのペアリングを行いました。ミュウはユキチが大好きでしたが、怖がりなユキチとの繁殖成功には、時間が必要だったみたいです。
▼甲府市遊亀公園動物園にミュウが来園した経緯
ミュウの山梨への移動は繁殖目的でも帰宅準備でもなく、動物園の「充実した展示」のためでした。
おてんば少女で、ティアンやユキチをタジタジさせたミュウですが、山梨県初のユキヒョウとして遊亀公園動物園にやってきてからは、穏やかな日々を過ごしました。夕方になると飼育員さんに孫の手で背中をかいてもらうのが日課でした。
2020年7月11日 スオウ、天国へ(イギリス)
ユキの3度目の出産でコハク、ハンとともに生まれ、イギリスで偉大な父となった「スオウ(Suou)」が、天国へ旅立ちました。
トワイクロス動物園公式Xからのお知らせには「悲しいことに、我が家のオスのユキヒョウ、スオウの健康状態がここ数週間で悪化し、獣医師の治療でも健康状態が改善せず、安楽死させるという苦渋の決断が下された。彼はトワイクロス動物園の家族の最愛のメンバーでしたが、繁殖パートナーのイルマ、飼育員、スタッフ、そして来園者たちに惜しまれることになるでしょう。(和訳)」と書かれています。
スオウはイギリスへ渡ってよかったと、きっと思ってくれたのではないでしょうか。スオウが来園するとき、トワイクロス動物園のスタッフたちはユキヒョウ本来の暮らしができるように、施設を新しくして待っていてくれました。そのおかげでよいパートナーと、たくさんの子孫を残すことができたのだと思います。
2020年9月19日 シリウス、天国へ(アドベンチャーワールド)
マユの最初の子である「シリウス」(兄弟はアクバル)が15歳で、腎不全のため亡くなってしまいました。
シリウスは2005年6月7日に多摩動物公園で生まれ、ブリーディングローンによって2006年に和歌山県のアドベンチャーワールドに移動しました。
シリウスはアドベンチャーワールドに移動してから、パートナーの来園はなく生涯を全うしました。近くのチーターたちを眺めるのが日課だったようです。野生の生息地は決して交わることのないチーターとユキヒョウが同じ空間で見られるのはとても貴重であり、また異様でもありました。
2021年3月18日 アサヒ、秋田市大森山動物園へ
マユの最後の出産で生まれた三つ子のうち、多摩に最後まで残っていた「アサヒ」が、とうとう旅立ちました。移動先は秋田市大森山動物園。そこには、ジーマとヤマトの最初の子「リヒト」が待っています。
2021年7月3日 ヤマト、天国へ(旭山動物園)
2021年7月、旭山動物園で父となった「ヤマト」が12歳で亡くなりました。
2009年、アクバルとリーベの最初の子として、円山動物園でユッコとともに生まれたヤマト。2012年からは旭山動物園でジーマとの繁殖に成功し、2頭(リヒト、ユーリ)の父親となりました。その後はジーマをいしかわへと見送り、静かな余生を過ごしました。
ヤマトは旭山動物園の初めてのユキヒョウ繁殖に貢献した、偉大な存在です。
2021年4月14日 コハク、天国へ(円山動物園)
ユキの3度目の出産でスオウ、ハンとともに生まれた「コハク」が亡くなりました。
2009年5月29日に多摩から名古屋市東山動植物園に移動して、約9年の時を過ごしました。その後は「繁殖オス」として、2018年2月5日に浜松市動物園へ。「リーベ」とのペアリングを行いました。そして2019年12月18日には円山動物園へ移動し、「シジム」とのペアリングを行いました。しかし結局、コハクは子孫をのこすことなく亡くなってしまいました。
コハクは生まれてすぐ移動を経験し、その後も「繁殖成功」が常に目指されたユキヒョウでした。彼は幸せだったでしょうか。
2021年10月28日 エナ、天国へ(カナダ)
マユの最後の出産で生まれた三つ子のうちの一頭「エナ(Ena)」が、10歳という若さで亡くなりました。一緒に生まれた「アサヒ」が秋田市大森山動物園へ嫁入りしてから半年後のことです。
エナは慢性腎不全を患っており、トロント動物園で安楽死の処置がなされました。トロント動物園のFacebookには、「これは動物園チームにとって非常につらい損失です。エナはとても特別なネコで、彼女を世話したチームから惜しまれることでしょう。飼育係によると、彼女は他のユキヒョウとは違っていて、動物園でトップクラスの訓練を受けたネコの1匹になった。彼女はとてものんびりしていて、おしゃべり好きで、よく不機嫌になったり、飼育係に言い返したりしていた。彼女のお気に入りの場所は、生息地の窓の前で昼寝をすることで、ゲストは日向ぼっこをする彼女と数え切れないほどの写真を撮った。(和訳)」と書かれています。
エナのおしゃべり好きは、おばあちゃんの「ミユキ」に似たのかもしれませんね。この投稿で、彼女がいかにカナダで愛されていたかわかります。エナの子どもたち、MyloとKitaは、今もそれぞれの地で活躍しています。
2022年4月30日 アサヒ、母になる(ヒカリ誕生)
そして「アサヒ」は、母となりました。
大森山動物園へ旅立ってから1年後のことです。「リヒト」とのペアリングが功を奏し、大森山動物園では22年ぶりのユキヒョウ誕生となりました。
完全に人間の主観というものですが、生まれた子は「エナ」の生まれ変わりなのではないかと思ってしまいました。
大森山動物園では、1991年からメスの「ライサ」(東山出身。ヨシダの姉)、オスの「パーチ」(円山出身。プリンと一緒に生まれた三つ子の1頭)を飼育しており、1994年から計4回、繁殖に成功しました(子の名前は「マーズ」と「ベガ」)。その後、2007年にパーチが16歳で、2010年にライサが19歳で亡くなり、約8年間、大森山からユキヒョウが姿を消すことに。
そうして8年ぶりにやってきたリヒトとアサヒ。旭山動物園の希望として生まれたリヒトと、朝日連峰の中で最も多くの人が訪れる朝日岳から名づけられたアサヒは、大森山動物園にも光をもたらしてくれました。
そう。子の名前は、「ヒカリ」です。
ヒカリは1歳を迎えた半年後、独り立ちを迎え、ずっと一緒に展示されてきた母のアサヒとは別々で展示されることになりました。
【第9章】多摩動物公園の現役ユキヒョウ、ここに揃う。
2023年2月8日 フブキ来園
2018年12月20日、「ユッコ」のお婿さんとしてロシアから王子動物園に来園した「フブキ」。多摩動物公園に、繁殖の修行にやってきました。
ユッコとのペアリングがうまくいかなかったわけではなく、むしろ2頭はこちらが恥ずかしくなるほど仲良しでした。
多摩には「ミルチャ」と「ミミ」がいますが、ミミとの繁殖を目指すようです。フブキとミミの相性は悪くなかったようで、ミミが産室に入ったという情報もありました。しかし、2023年は赤ちゃんの誕生はありませんでした。
ミミは14歳。赤ちゃんを産むには少し高齢になってきたので、ペアリングは慎重にかつ迅速に行う必要があります。繁殖期が終わったら、フブキはユッコの待つ王子動物園へ戻る予定です。
フブキの来園によって、多摩のユキヒョウは6頭(オス4頭:ヴァルデマール、コボ、フク、フブキ メス2頭:ミミ、ミルチャ)となりました。この6頭が、2023年11月現在多摩動物公園にいるユキヒョウとなります。
なお2021年12月31日時点での国内飼育状況は、9施設18頭(オス8頭、メス10頭)でした。
2023年3月31日 スカイ、父になる(ヒメル誕生)
いしかわ動物園初となる、ユキヒョウの誕生です。
「エナ」の訃報、「アサヒ」の出産…マユの最後の子たちのさまざまなニュースが続きました。そんな時、「スカイ」は9年間ずっと、いしかわ動物園で独身ライフを送っていました。
そして、前述したように、2022年1月に待望のお嫁さん「ジーマ」が旭山動物園から来園。スカイはパパとしての道を歩み始めました。
ヤマトとのペアリング経験があるジーマは、相手が変わっても堂々としており、スカイのアプローチには積極的に応えました。それでスカイが逃げてしまうことも。
2頭は少しずつ距離を縮め、ジーマがいしかわに来て1年と少し経った頃、無事に赤ちゃんを出産しました。獣医さんによると、赤ちゃんは当時2頭生まれたと思われましたが、そのうちの「1頭」はジーマのしっぽでした。
そして、子の名前は投票により「ヒメル」に。
▼投票結果
①ヒメル(ジーマの故郷のドイツ語で空(スカイ)を意味するHimmelから)→36%
②トア(「冬空」、ジーマ(スラブ系の言語で冬)とスカイ(空)から)
→29%
③ミト(「海冬」、スカイ(皇海山すかいさん)とジーマ(スラブ系の言語で冬)から)
→22%
④コハル(「心春」春生まれで心優しく育ってほしいから)
→13%
母親のジーマは、3度目の出産。そしてすでに「ヒカリ」という孫がいます。
父親のスカイは、いしかわ動物園に移動してから10年になる年に、初めてパパになりました。
ジーマとスカイは1歳しか歳が変わりませんが、ユキヒョウの人生は本当に1頭1頭違って、不思議です。私たち人間とは時間の流れがまったく異なるようで、思わず追いかけたくなります。
こちらの動画には、生まれて間もないヒメルの様子や、スカイが多摩動物公園からやってきた当時の写真も掲載されています。
2023年6月30日 エニフ、天国へ(イギリス)
「ユキ」の最初の出産で生まれ、イギリスへと旅立った「エニフ(Enif)」。18歳まで生き抜きました。
エニフは潰瘍を患い、2019年には右目を失いました。そして病状は悪化し左目の視力も失われつつあったため、安楽死の処置が行われました。
バナム動物園では「ロッキー」と長年一緒に暮らし、子孫を残しました。
エニフの出産当時の映像を見ると、とても献身的に子どもたちの世話をしていたことがわかります。立派に母としての務めを果たしたのですね。
バナム動物園が発表したエニフの訃報の知らせには「エニフは2006年に東京の多摩動物公園から到着し、そこでオスのユキヒョウ、ロッキーと一緒に暮らしていたが、ロッキー自身も2022年2月に17歳で亡くなった。このペアはすぐに絆を結び、数年かけて数頭の子供を産み、その後も繁殖に成功しました。彼女の視力と全体的な健康状態が悪化したため、スタッフは別れを告げる時期が来たことを悟り、6月末に彼女は18歳で安楽死させられた。(和訳)」とあります。
海外に渡ってしまった個体は、どうしてもその日常を知り続けることが難しいです。バナム動物園のように、毎年個体の情報をSNSに掲載してくれる動物園はとてもありがたい存在です。
2023年8月19日 アクバル、天国へ(円山動物園)
2005年6月7日に「マユ」最初の子どもとして生まれた「アクバル」が、幼いころに移動した円山動物園で亡くなりました。
「シジム」との繁殖には至りませんでしたが、浜松市動物園に引っ越す前の「リーベ」と、3頭の子どもをのこしました。
▼アクバルが亡くなった経緯
アクバルはたくさんの不調を同時に抱えており、最期はとてもつらいものだったと思います。
高いところにいとも簡単に飛び乗り、ユキヒョウの身体能力の高さを教えてくれたアクバル。冬はたくさん積もった雪の中でのびのび暮らし、夏は涼しい室内で、来園者の近くに来てくれることもありました。たまに飼育員さんが用意した樽の中で丸くなっている姿は、その渋い顔からは想像できない可愛さでした。
アクバルは、「偉大さ」を感じさせる風格ある顔つきが、父シンギズに似ていたと思います。モフモフで、ふわふわの毛も同じでした。
2023年08月20日 スピカ、天国へ(熊本市動植物園)
今回のユキヒョウ物語の最後は、悲しいお話となってしまいます。
イギリスで亡くなった「エニフ」の後を追うような形で、兄弟の「スピカ」も亡くなりました。熊本市動植物園に来園してから17年後のことです。
活発な性格のスピカは、遊ぶことが大好きでした。
熊本地震の際には、福岡県の大牟田市動物園で2年6か月もの避難生活を送りました。そしてリニューアルした熊本市動植物園の猛獣舎に帰ってきてから約5年、最後までたくさんの人に愛される日々を過ごしました。
スピカの死により、九州地方で暮らすユキヒョウはいなくなりました。
これが、多摩動物公園を舞台としたユキヒョウたちの生きた証です。
動物園で生きるユキヒョウとしての生きる目的は「繁殖の成功」かもしれません。でも、同じ人生を歩んだユキヒョウは一頭もいません。
今回紹介したユキヒョウたちは、もうこの世を去ってしまった個体もたくさんいます。彼らがどこで生まれ、どこに旅立ち、どんなふうに生きたのか、少しでも残しておきたく、この記事を書きました。
この物語は終わるわけではなく、日本でユキヒョウが暮らしてくれる限り続きます。これからもこのページを更新していくので、ユキヒョウのことが気になったら覗いてみてください。
★参考資料
・東京ズーネット公式サイト
・札幌市丸山動物園公式サイト
・名古屋市東山動植物園
・神戸市王子動物園公式サイト
・秋田市大森山動物園公式サイト
・いしかわ動物園公式サイト
・熊本市動植物園公式サイト
・和歌山県アドベンチャーワールド公式サイト
・「どうぶつと動物園」2004年3月号
マイとミュウのことが載っています。
[グラフ]
多摩のユキヒョウの親子
・「どうぶつと動物園」2008年秋号
[多摩動物公園]ユキヒョウの繁殖──ペアリングから出産まで
……福田愛子・高村里美・永田裕基・黒鳥英俊
2009年4月12日 高碕賞授賞の「ユキヒョウの繁殖」講演会
・「どうぶつと動物園」2020年夏号
[多摩動物公園]
相性に左右されないペアリングの進め方──ユキヒョウの多様なペアによる繁殖を目指して
……高津磨子
その他、記事内掲載のブログ、リンク等