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読書記録『死に方がわからない』門賀美央子(著)
自殺マニュアルではありません。
「ひとりっ子親なし配偶者なし子なし」のひとり暮らしが増えている昨今、若くても、親兄弟がいても、いつなんどき部屋で倒れたり不幸にも亡くなってしまうという、孤独死ならぬ孤立死をしてしまうかわかりません。
本書は、ボッチのみなさんがいかに部屋で腐らず、綺麗に人生を閉じるかを、実例を挙げながらユーモア溢れる文章で指南する”実用エッセイ”。垣谷美雨氏絶賛です!
私が今週読み終えたこの本は、「出会いたかった本についに巡り合った!」と、感激の1冊だった。
祖母や義父の認知症を間近に見てきた私は、自分自身の老後を早くから心配してきた。3年前にnoteを始めた頃から、#40代から始める老い支度 のタグで、とりとめのない悩みや、読書記録を綴ってきたけれど、この本に出会えたことで、大きく一歩前進できた。
私は著者よりほんの少し年下だけど、状況は似ている。自分より年上の家族・親族ばかりで、自分の死に際には一人である可能性が極めて高い。(子供なし、夫は年上かつ離婚の可能性も大。)
生物学的には、人間は一人で死ねるけれど、社会的には、死に際して誰かの手を借りることになる。日本社会では、まだまだ家族・親族がいることを前提とした制度・慣習が多い。
孤立死の避け方、医療との関わり方、尊厳の守り方、死後事務の委託、お金の問題など、単身者は身動きできるうちに、できるだけ手はずを整えておこうと、著者が一つずつ検討・整理していった過程は、大いに勉強になる。深刻になりがちなテーマだが、著者の門賀さんのユーモアある筆致に、笑って頷きながら読了した。
また定期的に読み返して、私自身の終活を進めていきたい。
ある程度自分の死に方―人生のゴールの切り方が見えてきた今、私はようやく落ち着いて今後の「生き方」に向き合えるようになってきた。お先真っ暗なのは、変わりない。うんざりである。だが、少なくともゴール地点に灯りを点すことだけはできた。
死に方を見つけた結果、私は生き方に集中する心の余裕を得た。行き先さえ見えていたら、あとはそこに向かってのんびり歩いていけばいい。
私もまさにこの心境にたどり着きたいと思っている。生きている「今」に集中するために、ゴールに必要な備えをしていきたい。
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以下、まとまりがないけれど、読書の感想として書き留めておきたいこと3点。(私個人の事情と一致して大いに共感した点、今後考えていきたい点について)
①母が元気で存命しているうちは、私の「死に時」ではないということ
よほどのことがない限り、彼女をあの世に見送るのは私の義務だろう。
母が平均寿命ぐらいまでは生きると仮定したら、少なくともあと十五年ほどは死より生を優先して生きていかなければならない。心身ともに健康でいられるように生活を管理し、きちんと健診を受け、病気の芽はこまめに摘んでおく。
私も著者と同じで、母が存命であることが、私をこの世に繋ぎとめる大きな要因となっている。
私は経過観察中の持病を複数抱えており、検査数値が悪化すると、自分の健康について投げやりな気持ちになることもある。
今後はますます自分自身の衰えと格闘しながら、母の老化を支えていくことになる。でも、淡々と、出来る範囲で、やっていきたいと思う。
②「自己決定」のこと
今は、脳内でいくらシミュレーションしても「生に執着する理由は特にない」という結論しか出てこない。(中略)しかし、いざ死が切迫してきたら、こんなにフラットな気持ちで「死」に相対できるのだろうか。(中略)認知機能が著しく低下し、これまで考えてきたこと全てを忘れてしまったら。(中略)いったいいつの「自己」が下した決定に私は従うべきなのか。
認知機能が低下した自分が、今までの思考過程を忘れたらどうするのかという問い。著者の門賀さんの考えを参考にしつつ、私なりの答えをこれから探していきたい。
義父は認知症になる前、「俺は頭か体が動かなくなったら、すぐ老人ホームに入って介護を受ける。子どもたちは時々遊びに来てくれるだけでいい。」と何度も繰り返し話していた。しかし認知症が出始めると、「俺は絶対にこの家に住み続ける」と、言うことが真逆になったことを、今改めて思い出す。
③動物たちとの関わり方のこと
ペットを飼うとは命を預かることだ。たとえ虫であっても、命を癒しや娯楽のために自己の領域に繋ぎ止めるのであれば、そのコストは負担しなければならない。負担できないならば、残念ながら飼う資格はない。
著者の門賀さんも大の猫好きとのことだが、私も猫から大いに癒しをもらっている人間だ。
ペットを飼ったら、確実な譲渡先を考えておかなければならないことは認識しているけれど、今後はますます、自分の身の丈に合った動物との付き合い方を心掛けていきたい。