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フジロックは修行であるって、意外と言ってる人が少ない件。2011年フジロック体験記編Vol.1

先日、後輩にフジロックのエピソードを話したら、「それ、書いたらいいんじゃないですか?」と言われた。
すっかり気をよくしたのもあるが、フジロックの過酷エピソードってあんまり語られてないんじゃないかと思って書くことにした。
初めて行く時は情報がなくて都会在住のシテイボーイたる私は地獄を見た。
その後3回行ったけど、全部地獄を見た。
それでもフジロックを愛している。
この記事は、これから地獄のフジロックを経験するであろう方がフジロックを愛してくれることを目指して書く。

初めて行ったのは20歳の時。
そろそろ夏フェスデビューをと考えていた私だが、バイト先の店長に助言を求めた。

私  店長。そろそろ夏フェスデビュー考えて
 るんですけど、やっぱロッキンかサマソニで
 すかねー。
店長 いや、フジロックがいいよ。
私  フジロックすか。
店長 あそこはマジ日本じゃないから。ホント
 行ってほしい!
私  あー、じゃあフジロック行きます。

こんな感じの会話があって、私はフジロックデビューを飾ることになった。
当時の印象としては、

雑誌でレポートされてるのは見たことあるけど、何かよくわからん外タレばっか出てるフェス。富士山の近くでやってるんかな?

くらいの印象しかなかった。
ただ外タレにも興味を持ち始めた頃だったので、何かよくわからんけど行ってみるか。昔ミッシェルとブランキーがトリやってるじゃん。
まあ、行くかーって感じ。

私はこれだけの情報を頼りに、軽いノリでフジロックに行った。
※記載ないけど、1997年のこともバッチリ調べてました。

この記事はバカな大学生が2011年のフジロックで地獄を見た、歴とした体験談である。意外とバカの体験談は見かけないから、伸びてほしい。


1.当時の持ち物
今でこそある程度装備は揃っているが、当時の私は持たざる者。金もなかった。
そこで何とか揃えた持ち物を、覚えている限り紹介したい。

フジロックで生きのびるには頼りない装備品たち

2.当時の服装
持ち物もそうだが、山を舐め切った格好で臨んだ。

山を舐めるなと言いたくなるようなラインナップ

3.バスを降りたら地獄だった。

着いた時には全身バキバキになる程度の普通のバスだった。

 苗場近辺に着いて、乗客が一斉に雨具の準備を始めた。手際の良い人は最初から長靴だった。
窓からの景色はいつの間にか雨模様。
それもシティボーイの私が見たことないような豪雨。
これからライブを楽しむ喜びよりも、ここから降ろされる憂鬱の方が大きかった。

バスは苗場スキー場に着き、長かった旅も終わった。
準備万端な他の方々は慣れたようにバスを降りていく。
私はもたついてしまい、合羽を着ずにバスを降りた。

容赦ない豪雨で私はあっという間にびしょ濡れになった。急いで合羽に着替えなければ風邪をひいてしまう。一瞬でTシャツとズボンはびしょ濡れになった。

さあ、いよいよ着終わったぞ! というときに事件が起きた。

地獄の扉を開いた私の図

突然強い風が、私の合羽を連れ去った。あっけにとられた私は、呆然と虚空を見つめた。
最早雨粒と同化した合羽は、フジロックのゴミになってしまった。
相談できそうなスタッフは近くにいない。夜行バスの乗務員に相談しようにも、さっさとバスは帰ってしまったのでどうしようもない。

途方に暮れる私

死ぬ。ここにいては死ぬ。
土砂降りの雨は空気を読んで、私に滝のような雨を浴びせてくれる。これでは小学校のプールにあったシャワーの方がマシである。
一刻も早く帰りたくて仕方なかったが、どうすることもできないので道なりに歩く。
遠くには人の影らしきものがぼんやり見える。立ちこめる霧とメガネから消えない水滴が、私の視界を遮った。
段々と寒くもなってきた。山中なのである意味遭難状態である。

何より不安だったのが、この先に安息の地がある保障がなかったことだ。こんな場所にコンビニとかホームセンターなんてあるはずなく、もしかしたら休める場所すらないかもしれない。ちなみに、真横にプリンスホテルがあることには気づいていなかった。そんな余裕なかったし。

雨具を入手できなかったら、3日間この状態で過ごさねばならない。それは絶対に避けたいところだが、果たして雨具など売っている場所があるのか。到底あるように思えない。
すでに成人していたが、ホームシックにかかった。
そして私は、ある場所に辿り着いた。
その場所の名は、聖地『エヌ・プラトー』。

次回に続く。

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