鍵っ子から始めるアイデンティティ
私が小学校高学年に上がった頃に母がパートを始めました。
それに伴って、私は家の鍵を持って学校へ通うようになりました。
首から下げて管理できるように、学校のクラブで覚えたかぎ針でピンクの紐を編んで鍵に括って。
鍵が必要な日に私が忘れて家を出ると、母が「鍵ーっ」と叫びながら追ってきます。あれちょっと怖かった、鬼気迫る感じで。
さて、帰宅時間です。
目の前には深緑の扉、右手には鍵。あとはそれを鍵穴に差し込むだけ。
ではなくて。
私は必ず立ち止まって、ある問題と向き合っていました。
この鍵を鍵穴に差さず、このドアのものだと証明する術はあるか?
考えたことありませんか?
鍵の番号を照合するとか業者さんの力を借りるとかではなく、自分の弁論によってこれを証明することって、もしかしたらほぼ不可能なのでは? というのが当時の私の結論です。
例えばね、その家の表札は「ねじの」と書かれています。私のランドセルにも、「ねじの はな」と書かれています。であるからして、私が持っている鍵は「ねじの」の家のドアを開けるもので間違いない。と主張したとします。
そうすると、次は「表札が偽物である可能性は?」「ランドセルが他人のものである可能性は?」という自問自答が発生します。
最終的に行き着く先は、
私はいったい何を根拠に「ねじの はな」を名乗れるのか?
いや、めんどくせ!
と思われるかもしれませんが、今思えばそれが私と「アイデンティティ」の出会いだったのかもとしれません。
子どもの頃こんなこと考えてたんだよね、と人に話すと、大抵「なんてこと考えてるの(笑)」と言われます。
みんなそうやって笑うけどさ、もし免許証もスマホも持っていない身包み剥がされた状態で「あなたは誰ですか?」って聞かれたら、何を根拠に名乗るの?
(どんな状況だよというツッコミは置いといて)
ちなみに、小学生の私は「誰から盗んだ訳でもなく肌身離さず持っていたこの鍵で、もしもこのドアが開いたなら、それは即ちこの家の子だと考えていいだろう」と問題を逆転するような形で家に入っていました。
あとときどき、たまたま通りかかった同じマンションの子が「何しとんの?」と声をかけてくれたりもしたと思います。そうすると、「ん、何でもない」と言ってしれっと鍵を開けていました。
だんだんそんなことを考えなくても鍵を開けられるようになって、学生証とか免許証について「偽装できるよね、これ」とかもいちいち考えないようになって、今のところ困ってはいないのですが。
いつか身一つで「私」を証明する必要に迫られたら、私は何を言うか?
それについては、今でもときどき考えます。
暫定的に予想されるひとことめは、
「子どもの頃から、この瞬間のイメトレだけはしてきた」
ですかね。状況によっては拘束されるかも。
*この記事の見出し画像はChatGPTによって出力されたものです*