安部公房(1962)『砂の女』再読の感想
安部公房の『砂の女』を再読した。
昭和37年(1962年)に新潮社より出版され、昭和56年(1981年)に文庫化されたものを読んだ。新潮文庫の解説は、ドナルド・キーンである。
はじめて読んだときの印象とそう大きくは変わらなかった。結末のおかしみ、何とも言えぬ脱力感がある。
ただ、主人公の男が、思ったより、アグレッシブで、いやったらしいインテリ風で、翻弄されるという感じに欠けていて、あまり同情できなかった。好感の持てない、信用できない語り手であった。
また、解説でドナルド・キーンが指摘しているとおりで、冒頭の
そして、最後の一文、
見事な構成である。この小説は限界集落に監禁された男が脱出をたくらみ、逃亡を試みる物語であったはずなのに、自由が手に入ったとたんテンションが落ちる。
たまらなく不自由を感じていたはずなのに、不自由に慣れ、心地よさを感じるまでに変わってしまう。
(ある種のストックホルム症候群ともいえるのかもしれない)
自由を与えられ、憂鬱を覚えるのは、この男に限った話ではない。これが人間の本質で、あまのじゃくなところである。
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