ミシェル・クオ(2020)『パトリックと本を読む 絶望から立ち上がるための読書会』の読書感想文
台湾系アメリカ人のミシェル・クオ(Michelle Kuo)の『パトリックと本を読む 絶望から立ち上がるための読書会』を読んだ。2020年に白水社から出版された本である。原題は『Reading with Patrick: A Teacher, a Student, and a Life-Changing Friendship』である。
彼女は台湾系アメリカ人、いわゆる移民二世である。アメリカにおいてはアジア系として分類されるマイノリティであるが、彼女はあまりピンときていない。
彼女の両親は教育熱心で、彼女自身も勉強好きで、ハーバード大学に進学する。
彼女は人種差別に苦しんでいたというより、親に守られ、安全な場所にいる自分に退屈していた。大学進学後、彼女はホームレスのシェルターのアルバイトをしたり、就職に役に立たない社会学(ジェンダー)の単位を取ったりして、コンサルになって大金を稼ぐ人生なんて目指さない、と決める。
それをやってみようという彼女の若さや選択は眩しくもあり、また恵まれているからこそ、挑戦することができたのだと思われた。
彼女は「Teach For America」というNPOでミシシッピ州のデルタという地域が深刻な教師不足に陥っていることを知る。デルタは公民権運動の始まりの土地であり、キング牧師が銃弾に倒れた場所でもあった。彼女は、大学卒業後、そこで教師として働くことを決める。
(この「Teach For America」は一時期、日本でもよくニュースで取り上げられており、一瞬ではあったが、日本においても社会起業家がブームにもなったと思う。しかし、お金を集め、事業を継続する、というのは本当に大変なことだ)
彼女は、いろんな学校からドロップアウトした子どもたちの集まるスターズという学校で英語教師として働き始める。
そこでは黒人の子どもたちが、公然とアジア人差別をしてきたり、黒人作家の作品を読ませても、彼らが歴史的な経緯を知らないため、話が進まなかったりする。ある日は、彼女自身が一線を越えて、空回りしてしまう経験が描かれていく。
志を持ってヘレナ(デルタ)にやってきたはずの彼女も、働きづめで、徐々に行き詰まりを感じるようになる。そこでハーバードのロースクールに願書を出すと、見事合格をする。仕事(学校)を辞めるにも理由がいる。若い人が仕事を辞めるとき、進学ほど、相手が納得してくれる退職理由もないだろう。彼女は二年でヘレナを去るが、それは彼女にとっては短い時間ではなかった。
ロースクール進学後、彼女の元に、パトリックという元教え子が刑務所に収監されたという連絡が入り、彼女はロースクールの勉強をしながら、パトリックの元に通うようになる。
パトリックと本を読み、ライティングを教えていく。松尾芭蕉や小林一茶の句も登場する。
彼女は、自分がロースクールに進学せず、パトリックやほかの子たちの世話をしていたら、もっと違う世界になっていたのではないか、と(傲慢だと前置きしながらも)後悔を見せる。わたしは彼女の考えが大きな思い上がりだとは思わない。子どもにとって、教師はとても影響力の大きい存在だし、毎日会っているのと、いないのでは全然違うからだ。
彼女は情熱を持って、生徒に寄り添った。しかし、長く続けることはできなかった。教職の離職率の高さは、おそらくアメリカでも日本でも変わらないだろう。教師とは何かを教えるだけでなく、ケア労働が非常に多い。特に女性の教師はケア労働で手を抜くと冷たい人という評価を受けることになる。すると、知らず知らずのうちに疲労がたまっていく。ケア労働を続けられる人は、その仕事を続けることを決意した人と、根を詰めず、サボるのが上手な人だと思う。しかも、教育は学費や税金によって賄われ、途中で売り上げが変わるようなものではない。教育成果も、一年や二年で決まるものではない。徐々に擦り減っていく過酷な仕事である。
彼女は両親と喧嘩をするのだが、そこで想起されたことが興味深かった。
「いいか憶えておけ、おまえはアメリカ人だ。アメリカの市民だ。この国で生まれたんだ。わかるか? おい?」
両親が近所の人たちに私を紹介すると、私がしゃべるのを聞いた相手の顔に驚きを感じることがあった。私になまりがないのを一瞬忘れていたけれど、よそ者である私の両親の存在によって、そういえばこの子は英語が流暢だと気づいたような様子だった。私という人物、ことに私のしゃべる英語は、親睦のしるしであると同時に、反撃であり、鬨(とき)の声だった。この子の英語を聴いてくれと両親が言っているように思えた。この子にはなまりがない、この子はあなたたちの仲間なんだ、と。両親からすれば、兄と私はアメリカ人だった。
p.91『パトリックと英語を読む』
これは移民がぶつかる問題である。それほど多くの人が、第二言語を流暢に話せるようになるわけではない。生まれながらにアメリカで育つことは、大きなアドバンテージになる。外国の観光客の発音の悪さは気にしないが、移民の発音は収入や仕事にも大きな影響を与える。だからこそ、両親は子どもの発音に神経質になる。この葛藤は、二世と三世にはよくわからないもので、そこで両親との行き違いが起こる。
本書を読んで、改めて思ったことは黒人の命の短さである。パトリックのお母さんも、43歳で亡くなってしまう。著者が教えていた生徒も、亡くなっている。著者は二十五歳になって彼氏もいないことを嘆く。しかし、貧困層の黒人と高学歴のアジア人とでは、寿命の長さが全然違うのだ。時間の流れの感じ方も異なるだろう。即物的に生きてしまうことを誰が責められるだろう。日本にもそういった人たちはいる。
ただ、正直に言うと、全体を通して、彼女の情熱が空回りしているようで、危なっかしい先生だったとも思う。
でも、かっこ悪くてもいいじゃない。世界を変えようと頑張った女性の記録である。
無駄ではなかったし、意義もあり、世界は変化した。人と人が出会うこと、善なるものを信じている人間の強さを感じ取ることができた。
あと謝辞がめちゃくちゃ長くて、アメリカ人の社交生活のすさまじさもわかる。